131 野豚狩り 4
里の境にある門は宿屋の門より一回り小さな両開きの物だった。先頭に立つミランダは上下二カ所にある閂を横にスライドさせてはずすと、木製ではあるものの結構な厚みを持った門扉を片側だけえいっと押し開けた。
壁のすぐ外側には幅も深さも一メートル少々の空堀が掘られ、門の正面には角材と木の板で作られた橋――というほど大袈裟な物でもないが――掛けられていた。門柱から橋の向こう側の角に斜めに太いロープが伸びており、一応跳ね上げることができる作りになっている。
堀の向こう側はしばらく草原で、その向こうに森が見えていた。熱帯雨林というわけではないので、ずっと奥はともかく手前の方は木もまばらで森と言うより林である。人がしょっちゅう出入りするからだろう、草原にはそちらに向かって草の生えていない道が付いていた。
マリコたちが門を通り抜けるとミランダは門扉を閉めて、その外側に飛び出している取っ手を動かして閂を掛け直すと三人を振り返った。
「とりあえず戦闘準備だな」
ミランダの声にエリーとジュリアは装備の類を取り出して身に着け始めた。二人とも例の白いジャケットに同じく白い革製の兜を被る。兜といってもラグビーのヘッドギアのような形をしており、頭頂部の左右にはすきまがあって、ジュリアのお団子にまとめた髪はそこから出ていた。
次いで二人は腰に小剣を佩いた後、弓と矢筒を取り出した。二人の弓は長い和弓ではなく、アーチェリーのような形の木でできた洋弓だった。ミランダはマリコが前に聞いた話の通り、黒い鞘の日本刀をベルトに一本だけ差し、頭にはこれも赤く塗られた金属板を縫い付けた鉢巻、いわゆる鉢金を巻いている。マリコは短剣を腰に着けたまま歩いてきたのでそのままである。
「さっきも説明した通り、弓矢で足を止めて、できれば息のあるうちに首の血管を掻き切るのが理想だ」
皆の準備が整ったのを確認したミランダがマリコに言う。息のあるうちに首の血管を、と言うのは血抜きのためであり、その辺りは鶏と同じようなものなんだなとマリコは思った。
「さて、今から森の方へ向かうわけだが、今日は誰が?」
「ん、じゃあ私が」
皆に問いかけるミランダにエリーが小さく手を挙げて答えた。当然何のことか分からないマリコは首を傾げる。
「虫除けだ、マリコ殿。ではエリー、まずはマリコ殿に掛けて差し上げよ。マリコ殿、気を楽にして受け入れられよ」
「ん」
「え? はい」
虫除けと言うのだから何か薬でも掛けるのだろうと思ったマリコは、素直にエリーに向き直った。しかし、エリーは何かを取り出すわけでもなく、マリコの方に手の平を向ける。
「防護」
目を細めたエリーがつぶやくと、マリコは例の魔力が流れる感覚と共に目に見えない何かが自分の身体を包み込むのを感じた。
(防護だって!?)
防護はゲームにもあった魔法である。防御系の魔法としてかなり初期に覚えることのできるそれは、一定以下のダメージや低レベルの毒や麻痺といった状態異常作用を無効化する効果を持っていた。
ただし、キャラクターがある程度育って相手にする敵が強くなってくると、スキルレベルの低い防護ではじきに効果が追いつかなくなることと、スキルレベルを上げるための条件が面倒――何百回毒に侵されろ、などである――なことであまり人気の無い魔法でもあった。
「よし、皆うまく掛かったみたいだな」
マリコが見えない膜に包まれたかのような気がする自分の身体を見回しているうちに、エリーは自分も含めて防護を掛け終えていた。ミランダが満足そうに頷いている。
「これで蚊や蜂に刺されたり、草の葉で切ったりするのを防げるのだ。皆、途中で効果が切れたらちゃんと言って、掛け直すのを忘れぬこと」
ミランダは前半をマリコに向かって、後半は全員に向かって言った。ゲームの中で蚊に刺されたり草で切ったりすることなどは当然無く、マリコは防護の思わぬ使い方に感心した。
「時にマリコ殿は防護は覚えておられるか?」
「ええ、使える、と思います」
防御系のスキルや魔法は片っ端から上げたマリコである。防護もレベル二十のはずだった。ただ、火矢のこともあり、どういう効果が出るのかがはっきりしない。破壊系の魔法ではないのでそんなにとんでもないことにはならないだろうというのが救いである。
「では、ご自分のが切れた時にはできれば自分でお願いする。さっきは練習がてらエリーに試させたが、後までだと彼女たちでは魔力が心許ない」
「分かりました」
一行はおしゃべりしたりしながらのんびりと草原を抜けて林を目指す。初めて里から出たマリコはあちこちと見回しながら歩いていたが、草に埋もれて朽ちかけてはいるものの、切り株がたくさんあるのに気が付いた。この草原は森を切り開いてできたものであったらしい。
「そう言えば、群れから離れている野豚を狩るって言ってましたけど、そんなにすぐ見つかるものなんですか?」
転移門からの帰り道にミランダから聞いた話だと、野豚は数頭のオス、いわゆるボスと多数のメスと子供たちで群れを作っており、その群れ自体は森のずっと奥にいるのだと言う。ほとんどの若いオスは群れから離れて過ごしており、力を付けてボスに挑むのだそうだ。森の端の方に出てくるのは大抵この若いオスで、今回の獲物もこれである。この話を聞いた時、なんだかニホンザルみたいだなとマリコは思った。
「ああ、見つかるというか、向こうが見つけるというのが正しいだろうな。オスの野豚は我らの臭いを嗅ぎ付けると、まず間違いなく雄叫びを上げて突っ込んでくる」
「何ですか、それは」
ミランダは少しの間、言いにくそうに逡巡すると、少し顔を赤らめて口を開いた。
「あー、やつらはだな、マリコ殿。我ら人のメス、つまり女を見つけるとだな……」
「見つけると?」
「ええと、その、なんだ。……種付けしようと寄ってくるのだ」
「はあ!?」
とんでもない理由だった。
また感想欄で当てられそうに……。
今回はネタバレしていませんよ!
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。