012 世界の始まり 9 ★
サニアに続いてマリコ達も部屋に入った。部屋の正面には、窓を背にしてこちらを向いた机があり、そこに座って書類を見ていたらしい女の人が顔を上げた。やや白髪の混じった赤い髪をまとめて髪留めで留めており、ややきつめの印象の茶色い目をしている。年齢はどう見ても五十歳を超えているようには見えない。
(この人がアリアのおばあさん? 若過ぎないか? せいぜい私と同い年くらいにしか見えないな)
おばあさん、という先入観を覆されたマリコは、つい今の身体のことを忘れてそう思った。
「こんな時間にどうしたんだい。カウンター空けて大丈夫なのかい?」
「山は越えたから大丈夫よ。それに、女将に聞いてもらわなくちゃならない話みたいだし」
「おやそうかい。じゃあ、そっちで聞くわ。座ってちょうだい」
女将はそう言いながら机の左手にあるソファとテーブルの方を手で示して立ち上がった。
「ああ、挨拶がまだだったわね。私が宿屋ナザールの女将、タリアです。はじめまして」
「こちらこそ申し遅れました。はじめまして、マリコと申します」
机の横まで出てきた女将に言われて、マリコは挨拶を返した。タリアは白いブラウスに緑色のボウタイをして、スカートではなくスラックスのような紺のパンツをはいていた。背格好はサニアとほとんど変わらない。母娘のはずだが、姉妹だと言われてもおかしくないように見えた。背筋がピンと伸びており、中年から壮年期の落ち着いた活力のようなものを感じさせる。さらに驚いたことに、このタリアも腰に剣を帯びていた。カミルの物より小さめの短剣だったが、やはりしっくり納まっている。
(女将さんというより、剣士かキャリアウーマンか、って感じだな。多分この人、カミルより強いんだろうな)
タリアに促されて席に着きながらマリコはそう思った。ローテーブルを挟んで、奥のソファにタリアとサニア、手前側にマリコ、アリア、カミルと並んで座る。全員が腰を下ろしたところで、見計らったようにコンコンと扉をノックする音が響いた。
「お茶をお持ちしました」
「ああ、ミランダ。ちょうどよかった。入ってちょうだい」
扉の外から聞こえた女の人の声にサニアが返事をした。カウンターを出る時に頼んであったのだろう。
「失礼いたします」
扉が開き、ワゴンを押してミランダと呼ばれた女の人が入ってきた。マリコは何となくそちらを振り返り、ミランダを見て目を見張った。ミランダはマリコより背が少し低いくらいのスレンダーな美人だった。やや目尻の上がった大きめの茶色い瞳が、その顔つきを少しクールに見せているが、歳は今のマリコとそう変わらない十代後半のように見えた。
だが、マリコの目を見張らせたのは、彼女の顔や体型ではなく、彼女に付いているものとその服装だった。
(ね、猫耳の、メイドさん!)
ボブカットに整えられた、オレンジと茶色が少し斑になったような色の髪の上には、猫の耳にしか見えない物が飛び出していた。そして、マリコの着ている物とは少しデザインの違う、深緑で膝丈のメイド服の、少し広がった裾からはオレンジと茶色の縞がハッキリ付いたしっぽが垂れて左右に揺れていた。
(しっぽも! しかも赤トラ!)
思わず立ち上がりそうになったマリコは、なんとかその衝動を押さえ込み、表情を取り繕った。テーブルに近づいたミランダは手馴れた様子で順にお茶を淹れていく。白いカップに注がれていくのは、先ほどマリコが飲んだ物と同じ緑茶のようだった。近くで見るとミランダの虹彩は円よりすこし細まっている。目も猫の瞳のようだった。
マリコの目の前で赤トラのしっぽが揺れる。マリコは凝視し続けないよう必死にこらえたが、目がそちらに行くのを抑えきることはできなかった。猫の耳がピクリと動くのが見えた時、思わず声を上げかけた。
「かっ」
「えっ?おねえちゃん?どうしたの?」
「かわいい……」
隣に座るアリアにそう尋ねられたマリコは、留めるつもりだった台詞をついそのまま口に出してしまった。
流れるように作業を進めていたミランダが一瞬動きを乱して、置きかけていたカップがガチャリと音を立てた。アリア達がきょとんとした表情になる。
マリコは急いで口を押さえたが、出てしまった言葉を取り戻すことはできなかった。ミランダは驚いたような戸惑ったような微妙な表情で一度マリコを見たが、結局何も言わずに給仕を再開した。
「し、失礼いたしました」
マリコはそう言うと表情をフラットに戻したが、恥ずかしさに頬が熱くなるのは隠しきれなかった。
(初対面の人にいきなり何を言ってるんだ私は)
タリアがそんなマリコを見て少し面白そうな顔をしたが、マリコはそれに気付かなかった。やがて、全員にお茶が行き渡り、ミランダは扉の脇に下がっていった。
「で、どういう話なんだい?」
カミルとアリアの顔を見比べながら、タリアがそう尋ねた。
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