119 風呂場にて 10
なんとか腋の処理も終わらせた――もちろん抜いたわけではない――マリコとミランダは、ようやく湯船に入った。宿屋の湯船の底は二段になっている。湯船の手前側と両側の縁から三十センチほどが、深い所の半分くらいの高さの段になっているのだった。まだ昨夜ほど湯が減っていない今だと、深い所だとマリコが正座してあごが出るくらい、段の所に座ると胸元くらいまでの深さである。
アリアもカリーネ達三人と並んで段に座っていたので、マリコ達もそちらに近づいて腰を落ち着けた。四人の前には先ほどまでと変わらずお盆が浮かべられている。マリコがそちらに目を向けると、そこに載った白っぽいカップにはオレンジ色の液体が満たされ、氷の欠片まで浮いていた。
浮いていると言えば、四人の内二人の前には二対四個の膨らみも浮いているのだが、マリコは最早ほとんど気にしなかった。視線を下げれば自分の一対もそこに浮いているのだ。いちいち気にしていても仕方がない。色や形はそれぞれなんだな、と思う程度である。
「白ワインをオレンジジュースで割ってお砂糖を足した物ですけど、マリコさん達も飲みます? ああ、アリアちゃんのはオレンジジュースだけですからご心配なく」
マリコの視線に気が付いたカリーネが早速飲み物を勧めてくれた。三人が飲んでいたのはいわゆるサングリアブランカであったらしい。
「ありがとうございます。でも、この後厨房に戻りますので、頂けるならアリアさんと同じ物をお願いします」
「ああ、私もだな。真っ赤になって戻るわけにもいかん」
「あら、それは残念」
カリーネからオレンジジュースの入ったカップを受け取ったマリコは、足を伸ばしながらそれに口をつけた。程よい酸味を持った冷たい果汁が熱を持った身体の中に滑り落ちていく感覚が気持ちがいい。マリコは一気に飲み干すとふうと息をついた。ふと隣を見ると、同じように一気飲みしたらしいミランダも目を細めて息を吐き出していた。
「ところでマリコさん、聞いてもいいかしら?」
「ええ、何でしょう?」
落ち着いた気分になって、少し赤い顔のカリーネに空になったカップを返しながら答えたマリコを待っていたのは、バルト組女性陣――しかもアルコールの入った――による質問の波状攻撃だった。
◇
どこから来たの、何やってたの、好きな人は付き合ってる人は、と先陣を切って突っ込んでくるミカエラ、口数は少ないものの絶妙なアシストを入れるサンドラ、時折二人をたしなめるものの止める気はなさそうな上に斬り込んでも来るカリーネと、実に見事な連携である。新顔がどんな奴か興味があるというのはマリコにも十分理解できる話ではあるので、答えられることは答えていった。
例の記憶喪失設定のおかげでなんとかボロを出さずに済んだかなとマリコが思っていると、最後に聞きたいんだけど、とミカエラが口を開いた。何故か先ほどまで以上に顔が赤いようにマリコには思えた。
「バ、バルトのは、どうだった?」
「どうって、バルトさんの何がでしょう?」
「え、ええとだから、バルトの……ナニが。見たんでしょう? さっき」
「ナニ……、見た? さっき? って、ああ!」
ようやくミカエラの言葉が指す物が分かったマリコは思わず声を上げた。風呂場の入り口でのことである。とは言え、そこまでしげしげと眺めたわけではないし、特に変わったところがあった覚えもない。印象に残っているのは、髪と同じ色なんだと思ったことくらいだった。
「あー、普通だったと思いますよ? 多分」
女の人もやっぱりそういうのが気になるんだろうか、と思いながらもマリコは何の気なしにそう答えた。
「「普通!?」」
「マリコさん、あなた……」
「え?」
ミカエラとサンドラの驚きようとカリーネの反応に、マリコは訳が分からずキョトンとした顔になった。そこへチョンチョンと二の腕をつつかれる。マリコがそちらを振り返ると、ミランダが複雑そうな表情をしてマリコを見ていた。
「あー、マリコ殿? 今横から話を聞いた限りだとだな、貴殿には今好きな殿方はおらず、お付き合いしている殿方もいない。しかし、殿方が普通かどうかを一見して見分けられるだけの知識ないしは経験を持っておられる、ということになるのだが……」
「え……、あ!」
「いやなに、あれほどの腕を持っておられるのだ。ならば、これまでに経験してきたことも私など比べ物にならぬほど豊富なことであろう。かつて恋仲となった殿方の一人や二人、おられたとしても不思議は……」
「いやいや! 待って、待ってください! いません、いませんから、恋仲になった殿方も昔の男も!」
マリコは恐ろしい推論を展開するミランダにあわててストップをかけた。マリコとしては、ほんの数日前まで己の身体にあったはずの見慣れたモノとつい比べてしまっただけである。迂闊な失言だったのは間違いないが、それで男と付き合っていたことにされてはたまらない。
「ではマリコ殿は一体何と比べられたのか」
「え、ええと…、そう! 以前、親戚の男の子をお風呂に入れたことがあって、それで……」
「えっ!? じゃあ……」
「バルトさんは……」
「「子供並み……」」
「ああっ! いや、今のナシ! 違うから! ええとええと」
今度はミカエラとサンドラが食いついてきて、マリコは即座に前言を撤回した。今の所妙なところばかり見ているせいかあまりいい印象のないバルトではあるが、女性陣に影で子供並み認定されてしまうのはさすがに不憫すぎる。自分の嘘が原因となればなおさらである。
「父親」という、皆を納得させられる理由を思い出して風呂から上がる頃には、マリコは精神的にぐったりしてしまっていた。
一回の風呂に一ヶ月……。
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