106 探検者の帰還 9
しばらくの後、マリコとミランダの前には切り分けた肉の山ができあがっていた。オオカミはさすがに野豚とは違って脂身が少なく、ほとんどが赤身の肉である。肉の山を前に少し考えたマリコは、そこから何切れか薄く切り取るとミランダに声を掛けて一緒に一度厨房へと戻ることにした。
「それをそのまま食べてみると言われるか」
「おいしくないっていうのがどのくらいのものなのか気になりまして。ミランダさんは知ってますか?」
「そう言われてみると、私も煮込んだものか干したものしか食べたことはないな。子供の頃からおいしくないと聞かされていたら、わざわざ食べようとは思わぬであろう?」
「それはそうですよね」
サニアに事情を話すと快く承知してもらえたので、マリコは塩コショウだけを振った肉をフライパンで焼いてみることにした。じきに焼きあがった薄切り肉を、ミランダと二人で少々行儀悪くフライパンから直接箸で取って試食する。
「「うっ!?」」
口に入れた途端、二人は顔を見合わせた。味自体は少し牛肉に似ているような気もするが、マリコが野豚の時に感じた野性味どころではない獣臭さが口中に広がって何とも言えない。
「「……」」
しかもかなり固い。二人はしばし見つめあったままモグモグと口を動かし、ようやくそれを飲み込んだ。
「はあ。これは、確かにおいしいとは言いがたいですね」
「ああ。食べられないわけではないが……正直言って自分から食べたいとは思えぬ。干した物は塩辛かったがもう少しマシだったはずだ」
そう二人が感想を言い合っていると、様子を見ていたサニアが近づいてきた。手には小さな布袋を持っている。
「二人ともどうだった? で、これが干し肉にしたものよ。マリコさん、これも味見してみて」
サニアが袋の口を開けてマリコの方に向けた。マリコはそこから中身を一つつまみ出す。黒っぽい褐色で細い短冊のようなそれは、マリコの記憶にあるビーフジャーキーそっくりな物だった。
マリコはその細長い干し肉を少しポキリと折り取って口に入れた。かなりの固さで、しかも乾燥しているため、噛むとボリボリと砕けるように割れていく。
「臭みは少しマシですけど、かなりしょっぱいですね、これ」
「まあ、塩漬けした肉を燻製にして干した物だもの」
サニアに聞いたレシピによると、塩にコショウやトウガラシの粉、少量の砂糖を混ぜたものを肉に塗して一週間程冷蔵庫で漬け込み、その後燻製、乾燥となっている。塩辛さが強くなるのも当然だった。それでも日持ちがしてかさばらない蛋白源であるため、転移門から離れたところに向かう旅行には付き物の食料なのである。
「これ、試しに漬け方を変えたものを作ってみてもいいでしょうか」
「あら、マリコさん何か考えがあるの?」
マリコの頭に浮かんだのは正に先ほど連想したビーフジャーキーの作り方だった。醤油やショウガがあるのが分かっているので、自分が知っている作り方ができそうに思えたのである。
「さすがにやってみないと分かりませんけど、もう少し食べやすい味にできるかも知れません」
「いいわよ。任せるわ。昨日のこともあるし、マリコさんなら大丈夫でしょう。要る物があったら言ってちょうだい」
サニアはあっさりとゴーサインを出した。料理に関しては最早マリコを疑うつもりがないようである。
「ありがとうございます。じゃあ、何分の一かをそっちでやってみます」
昨日一日厨房にいたことで、何があるかは分かっている。マリコは早速必要な材料を集め始めた。
◇
マリコは、オオカミ肉の筋を取りながら厚さ三ミリほどにスライスしていく。生肉の薄切りは本来はかなり難しいのだが、今のマリコはそれを難なくやっている。
(元の自分なら絶対無理だろうけど、これがスキルが高いということなんだろうな)
全体の三分の二はサニアのレシピ通りに作ることにしたマリコは、先に肉に塗すための塩と新レシピ用の漬け込み液を準備した。漬け込み液は、塩、砂糖、コショウ、トウガラシ粉、すりおろしたニンニクとショウガを醤油と酒――今回はウイスキー――に溶いたものである。
その後、肉の切り出しを始めたのだが、マリコはもうひたすら切っていく。切られた肉はミランダが取って、一枚一枚塩を塗して樽にどんどん並べて詰めていくのだ。ミランダは不器用なわけではないので、作業に慣れるとその速度はどんどん上がっていった。
やがて塩漬け分が終わり、次は液に漬ける方である。こちらはスライスされた肉を漬け込み液が入ったボウルに入れていき、しっかり液が付いた肉をやはりミランダが桶に詰めていった。桶が一杯になったら、少し漬け込み液を足してやって作業完了である。
肉で一杯になった桶はフタをして冷蔵庫へ仕舞われた。
「これで塩漬けの方は一週間ですね。液に漬けた方は一日もあればいいので、明日一日置いて明後日燻製に掛けましょう」
「何、そんなに早くできるものなのか」
井戸の脇で使った道具を洗いながらマリコが言うと、ミランダが驚いた声を上げた。
「ええ、それもあったのでこのやり方を試してみようと思ったんです。燻製してしまえばとりあえず食べられますよ。日をもたせるためにはちゃんと乾燥させないといけませんけど」
「ほう、では明後日にはとりあえずどんな味になったか確かめられるのか」
「はい」
「あの漬ける液自体が結構食欲をそそる匂いをさせていた故、楽しみだな」
「うまくいけばいいんですけど」
二人は洗い終えた道具を集めると、厨房へと戻って行った。日はかなり傾き、食堂では夕食の時間が始まっている。バルトとアドレーの組もテーブルに着いていた。
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