103 探検者の帰還 6
バルト達を見送ったサニアは食堂を振り返った。視線の先にいるのはテーブルに陣取っているアドレー達である。一緒に飲んでいた里の者達は灰色オオカミの話を伝えにそれぞれ散って行ったので彼らだけが残っていた。
「あなた達も今のうちにお風呂に入ってきたら? そのまま夜まで飲み続けたら、酔いつぶれて汗臭いまま寝ることになるわよ」
サニアの言葉に五人は顔を見合わせた。自分の襟元を引っ張って嗅いでみたりすると、確かに汗と酒がかすかに臭う。臭くて堪らないとまでは言わないが、確かにいい匂いとは言い難い。
「ついでに言っておくと、汗臭い男が好きっていう女の子はあんまりいないわね。少なくともうちの娘達にはいないと思うわよ」
「うっ。イゴール、ウーゴ、エゴン、オベド。皆、風呂だ、風呂に行くぞ。用意はいいか」
「「「「お、おう」」」」
アドレー達はそれぞれ手にしたジョッキやカップの中身を空けるとあわてて立ち上がる。中空を見たりかき回したりしているように見えるのは、アイテムボックスに要る物があるかどうか確認しているのだろう。
「ではサニア殿、行って参ります。ミランダ姫様にはよろしくお伝えください」
「はい、いってらっしゃい。洗濯物も忘れずに出しておくのよ」
「了解です」
手回し良く出しておいた彼らの部屋の鍵を渡してやりながら、サニアは猫耳達を送り出す。そして、賑やかに奥へと消えていく五人の背中に笑顔を向けると小さくつぶやいた。
「若い男は素直ねえ。でも、汗臭い男は嫌われるんだけど、好きな男の汗の匂いは嫌いじゃないのよ、っていうのは自分で相手に教えてもらいなさいね」
◇
「シッ! 静かに」
ソファに座って今まで普通に話をしていたミランダがいきなり真剣な顔になってそう言ったので、マリコはあわてて自分の口を押さえた。何事かとマリコが目で問うと、ミランダは無言のまま顔を扉の方へ向ける。
じきにマリコの耳にも足音と話し声が聞こえ始めた。オオカミが、鍛錬が、といった会話の一部が切れ切れに伝わってくる。足音の数は五人、声からするとおそらく全員男の人、とマリコが思っていると、その一団はそのまま執務室の前を通り過ぎて行った。少し前に通った二人組と同じように風呂場へ向かうのだろう。ミランダは動いていく足音を壁越しに追っている。
「……ふう」
五人の気配が遠ざかり、もう裏から外へ出ただろうという頃になってやっとミランダは息を吐き出した。それを見てマリコもようやく口から手を離す。
「ミランダさん? 今のは?」
「ああ、今のは今日戻った組の一つで……」
ミランダが言いかけた時、不意に扉がガチャリと開いてミランダはビクリと固まった。もし立っていたら飛び上がっていただろう。しっぽが瞬時にブワッと膨らんだのがマリコにも分かった。
「おや、ミランダもまだここにいたのかい。アドレー達は風呂に行ったみたいだよ。さっきこの前を通ったろう?」
入ってきたのはタリアだった。タリアであればノックもなしに入ってくるのも当然である。ここは彼女の仕事部屋なのだ。
「タリア様……、脅かさないでいただきたい」
「脅かすって、人聞きが悪いね。あんたこそまた隠れてたのかい?」
「隠れていたわけではない。無用な騒ぎを避けているに過ぎぬ。タリア様こそ……」
「あー、お二人とも!」
「ん?」
「え?」
「アドレーさんというのは今日帰ってくるとお聞きした組の方ですか? どんな方なんでしょう? ミランダさんとどういう関係が?」
言い合いが始まりそうな雰囲気にマリコは割って入り、二人が言葉を止めた間に一気にまくしたてた。このまま始められても話についていけない。マリコはミランダの話の続きが聞きたかった。
「自分の事なんだから自分で話しな。マリコが分からない事があるようなら説明するから」
マリコから浴びせられた質問に二人で顔を見合わせた後、タリアが引いた。
「う、ええとだな。マリコ殿の言われた通り、アドレーというのは今日戻った組の一方を率いている者だ。私とは同郷で、ええと、私の所に、ええと……、タリア様、これは何と説明すればよいのだろうか」
「はあ、私が言っていいのかい? いいかい、マリコ。アドレーはミランダが結婚を勧められた相手なんだよ。ほら、昨日言ってたろう」
「え!? じゃあ、ミランダさんが逃げた婚約者さんですか?」
「逃げたのではないし、婚約者でもない!」
「ああもう、ややこしいね。順番に言うとだね、ミランダの親御さんがアドレーを婿に迎えようとしたんだよ。そしたらミランダがここへ逃げ……オホン、修行に来ちまったんでアドレーは追いかけてきたのさね。そこで一揉めあって、自分より弱いんじゃ話にならん、じゃあ探検者になって強くなってやるって話になって、改めて仲間を連れて探検者としてここへ来たんだよ。探検者としている分にはミランダが追い返すわけにもいかないからね」
タリアの説明にマリコは目を白黒させた。しかもミランダは自分と試合をして勝てば婚約するが、腕力が自分以下の相手とはそもそも試合をしないという条件までつけたと言う。拒絶しているのか成長を期待しているのか、マリコには判断がつかなかった。
しかし、今のタリアの説明にはマリコがもっと気になる点があった。マリコはそれを恐る恐る聞いた。
「アドレーさんを婿に取るっていう話なんですよね? じゃあ、ミランダさんの親御さんっていうのは……」
「ん? 私の親? 父上はアニマの国長を務めておるが、それがどうかされたか?」
(それ、ミランダさんはお姫様っていうことでは?)
マリコは言葉を失った。
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