010 世界の始まり 7
家々が並ぶ方へと続く道は自動車でも通れるくらいの幅があり、轍が付いていた。自動車はともかく、馬車か荷車のような物はあるのだろう。畑の作物は、カミルに聞くとやはり小麦で、じきに刈り入れだという。穂がたなびく畑の間を通る道を、三人はアリアの家を囲む壁に近づいていった。
「大きい、というか、広いですねえ」
マリコは思わずそうつぶやいた。遠目にも広そうには見えていたが、近づいて見ると壁に囲まれた範囲は本当にかなり広いようだった。小さめの小学校くらいありそうだ。やがて、道の正面に口を開けている門の前に着いた。
よく見ると、壁は土を固めた物のようで、やはり三メートルほどの高さがあった。目の前には間口が四メートルくらいある大きな門があり、両開きの門扉が内側に向けて開け放たれている。扉は木のようだが、鉄だと思われる金属で補強されており、厚さも十センチ以上はある頑丈そうな物だった。門の脇には小さな小屋が建っていて、その前に男が一人立っている。
「えっ!?」
しかし、マリコを驚かせたのは門の大きさや厚さではなく、それを支える門柱に掲げられた大きな看板だった。日本で言えば、武道の道場や寺院の山門に掛かっている巨大な表札のようなものが右側の門柱に掲げられていた。
そこには「宿屋ナザール」と書いてあった。
(漢字と、カタカナ!? ……いや、待てよ。そもそも私は……)
マリコは今さらながら、重大な事に気が付いた。先ほどからアリアやカミルと普通に話をしていたが、マリコは当然日本語を話しているつもりであるし、自分の耳にもそう聞こえている。そして、二人が話す言葉も日本語にしか聞こえない。顔を見て話している時にも、口の動きと声がずれていたりといった違和感を感じた覚えはない。
マリコは思わず門柱に近づくと、畳に近い大きさの看板の文字を撫でた。木の板に文字を書いて、それを浮き彫りにしたのだろう。勢いのある筆跡の「宿屋ナザール」の文字は手で触れてみても、ちゃんと漢字とカタカナの形をしているように思われた。
「大きいでしょう? それ、おじいちゃんが自分で字を書いたのを彫ってもらったんだって」
看板を撫でるマリコに、自慢するようにアリアが言った。
(やはりゲームの中ということか? もし万一これが異世界なのだとしたら、文字も言葉も同じなんていうことがあり得るんだろうか)
「おや、お帰りなさい、アリアちゃん。早かったですね」
横合いから掛けられた声に、また考え込んでいたマリコはそちらに振り返った。声を掛けたのは、反対側の門柱の前に建っている小屋の所にいた男のようだった。服装はカミルと似たり寄ったりで、やはり腰に剣を帯びている。手に持ってこそいないが、槍が男の後ろの小屋に立掛けられている所を見ると門番なのだろうか。よく見ると小屋の中には男がもう一人いて、どうやら食事中のようだった。
「うん、ただいま」
「あれ、カミルも一緒なんですか。あと、そちらの方は?」
視線を向けられてマリコは男に軽く会釈したが、何と言えばいいのかとっさに分からず、アリアの顔を見た。
「ええとね。このおねえちゃん……マリコさんと門の所で会って、おばあちゃんの所へ案内するんだけど、お父さんも一緒に来たの」
「はじめまして、マリコといいます」
「ああ、新しくこっちに来た人ですか。女将さんは中に居ると思いますよ」
「ありがとうございます」
にこやかにマリコを見る男に、マリコは答えように困ってとりあえず礼を述べた。
「じゃあ行こう、おねえちゃん」
再び手を引かれて門をくぐる。後ろから、カミルとさっきの男が何やら軽口を叩きあっているのが聞こえた。
「これが、宿屋?」
壁の内側に入ったマリコは思わずそう口にした。そこにあったのは、外から見た時に想像した以上の光景だった。
壁の厚さは一メートルくらいはあり、内側に所々階段が張り出しているのが見える。ということは、壁の上を歩ける作りなのだろう。
正面に見える建物は、壁が石作りで間口も広く数階分の高さがあり、物見台のような物も飛び出している。いくつも見える窓はほとんどが板戸を跳ね上げられて、光を取り込んでいるようだった。家、というレベルではない。どう見ても小さめのお城である。
他にもいくつかの建物や、外で見たのと同じ小麦が植わっている畑や、水路になっている部分も見える。これはマリコが想像した宿屋では絶対にない。砦というより、むしろ壁に囲まれた小さな村と言った方がいいようにさえ思えた。
「うん。ここがナザール門の宿屋ナザール。わたしの家だよ」
「そうですか。これが、宿屋……」
アリアはそう言うとまた、呆然とするマリコの手を引いて正面の建物に向かって進んで行った。
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