001 世界の終わり 1 ★
その日、マリコは世界の終わりを見届けるためにこの地に立った。
◇
薄曇りの空の下、マリコは商業地区の目抜き通りの石畳を歩いていく。長袖の肩が膨らんだ、くるぶし丈の黒いワンピースに肩から膝下まで覆う白いエプロン、頭にはホワイトブリム。足元から覗く黒い編み上げブーツのヒールがやや高く細目な所に目をつぶれば、典型的なメイドさんルックである。肩口まであるややシャギーの入った紫色の髪を揺らして、マリコは髪と同じ色合いの瞳に街の様子を映した。
中世ヨーロッパ然とした街並みを貫く大通りは閑散としていた。以前は通りの中央にびっしりとひしめいていた露店――場所代を支払って臨時に開く路上店舗――も今は一つも見当たらない。通り沿いに並んだ商店はいつものように営業しているものの、客の姿は見えない。
店先に置かれた樽の上が定位置だったはずの雑貨屋の看板猫が、大通りの真ん中に座っているのを見つけて近づいた。賢者のような顔つきをしてスフィンクスのようなポーズで座っていた雉トラの看板猫は、近づいてきたマリコを認めるとごろりと体を横に倒して腹を見せる。見上げる顔には「撫でるのを許可する。というか、撫でろ」と書いてある。
(えらそうに。雉トラは私の中では二番です。私の本命は赤トラですよ)
そう思いながらしゃがみ込んで、そこだけ白い毛に覆われた腹をわしわしとかき回してやった。手足としっぽをゆらゆらと揺らしながら目を細めていた雉トラは、しばらくすると満足したのか起き上がってマリコの顔を見上げてニャアと鳴いた。
「もういいのですか?」
マリコがそう言うと、雉トラはタタッと数歩離れ、振り返ってまたニャアと鳴く。
「ん?」
首を傾げていると、また数メートル進んで振り返った。進んでいく先には雑貨屋が見える。なるほど。思い返してみると、この通りを訪れた時に雑貨屋に客がいなかったのは今日が初めてだ。看板猫は客がいない時には客引き猫になる仕様だったらしい。今になって初めて知った事実にマリコは笑みを浮かべた。
店の前まで戻った客引き猫は、最後にマリコを見て一声鳴き、ひょいと樽に飛び上がって看板猫に戻った。
「悪いけれど今日は行きたいところがありますから、また今度」
猫相手に多分に社交辞令的な台詞を吐いて通りを後にする。
振り返っても雑貨屋が見えないところまで歩いてしまってから、「また今度」はもう無いのだと思い出して胸がチクリと痛んだ。
◇
商業地区を後にしたマリコは、住宅街を抜けてさらに歩いた。やがて王城の正門が見えてきたが、ここにも人通りはなく、鎧を着け槍を構えて門の両脇に立っている門番の男二人以外に人の姿は見えない。登城する役人、使命を帯びて出て行く騎士達、売り込みに行く商人。大通りほどではないにしろ、それなりに人の出入りのあった門は、今は空しく口を開けている。
正門の正面まで来た時、門番の片方が声を上げた。
「王城に何か御用ですか?」
「こんにちは」
「で、今日は何です?」
男は手にした槍の石突で石畳をゴンと突いて威圧的に定型句を言った後、へらりと相好を崩した。これまで散々ここを通って見知った顔のマリコに対して、彼が仕事モードの顔をするのは一言目だけだ。
城内に用がある時は用件を伝えて通過するだけなのだが、特に用がない時に世間話を振ってみると最近の出来事やら城内の下らない噂話やらをいろいろと教えてくれる。そして、最後にナンパしてくるのだ。
――俺、明日非番なんだけど、今晩飲みに行かない?
――今夜のことより、今現在やるべきことをそろそろ思い出したらどうだ、相棒
――あー、オホン。それでは、いずれまた改めて
ただし、誘い始めたところで門番の相方にすかさずツッコミを入れられ、真面目な顔に戻って元の位置に付くのがいつものパターンである。このいつものパターンに出てくるはずの「いずれまた」ももう無いということに気が付いたマリコは、話がそちらに流れないうちに会話を打ち切ることにした。
「暇そうにしていたので、声を掛けてみただけです。では」
言うだけ言って、きょとんとした顔の彼に背を向けて歩き出す。
「暇そうとは何だ、暇そうとは! 王城の正面を守るという栄えある……」
マリコの背中に怒ったような拗ねたような声が掛けられるが、そのまま次の角を曲がるまで早足で止まらずに進んだ。正門が見えなくなった所で足を止めてため息をつく。
誰かと話をするのはやめておいた方が良さそうだ。町の人たちはあまりにもいつも通りで、そのいつも通りの受け答えに泣きそうな気分になる。
彼らは何も知らないのだ。
今日で、世界は、終わるのに。
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