不器用皇太子と無防備な妃の物語
幼なじみが初めて我儘を言ったのが結婚相手だった。
カイル・アゼイア・フェナミカの2つ年下の従弟アルベルト・ミナレリカ・アイゼンフィート=ピントゥナはピントゥナ帝国という大陸では絶大な勢力を持つ国の皇太子だ。カイルから見てもアルベルトはカリスマ性を持つ上に立つに相応しい人物であった。昔から頭も切れるし、剣術にも長け、またそれでいて柔軟性もあり、何より国と民を何よりも大切にしている。カイルは昔から国のために何かを犠牲にするのも厭わない所を心配していた。
『アンサクレ国のメアルリナ王女を自分の正妃にしたい。』
そうアルベルトから聞いた時は冗談だと思った。アンサクレ国のメアルリナ王女といえば国王の王妃唯一の子どもでもあり、国民から慈愛のあるアンサクレの宝石として人気がある。しかも、ほとんど決まりかけている婚約者候補までいるのだ。どう考えてもアンサクレ国王が外に嫁に出すとは考えにくかった。それでもアルベルトは譲らなかった。カイルも仕方なく色々と手回しをしてようやく婚約をこぎつけたのだ。
まあ色々あって念願の相手と結婚できた幼なじみはといえば、かなりの不器用でへたれ男っぷりを発揮しておりカイルはかなり驚いた。メアルリナに対するカイルの態度は普段のカリスマ皇太子からかなりかけ離れているのだ。まあ、それもカイルには微笑ましい。
「まあ、カイル様。そんなに微笑まれてどうかなさいまして?」
目の前にいたメアルリナが珍しそうにカイルを見つめている。カイルは今メアルリナにアルベルトからの伝言を伝えているのだ。ついうっかりアルベルトを思い出して微笑んでしまった。
「申し訳ありません。妃殿下。それで、アルベルト殿下へ伝言はございますか。」
カイルがそう言うと、メアルリナは少しだけ考え込む。
「そうですね。殿下には無理をなさらないようにとお伝えくださいませ。殿下が倒れては元も子もないのですから。」
メアルリナは心配そうに言う。カイルは頷く。アルベルトの伝言はこうだ。
『今日は書類が立て込んでおり、なおかつ陛下の監視もしなければならないので、姫と寝る時間がズレる。なので、先に休んでいてくれ。』
それを聞いたメアルリナは穏やかに微笑む。
「それにしても、本当に殿下は真面目でこまめな方ですね。」
「普通ではありませんか?」
カイルはそう言ってしまってから、失言だったと思った。メアルリナの父はメアルリナの母と結婚した当初からメアルリナの母に対して素っ気なかったらしい。きっとアルベルトの態度はメアルリナにとっては普通ではないのだろう。
「そのような顔をなさらないでください。私の中でそのことは終わったことですから。」
メアルリナはにっこり笑う。カイルは恐縮したようだ。
メアルリナは部屋で物思いにふけっていた。父が生涯愛するのはただ一人。それは母ではなく父の親友の妹アマリエ夫人だった。父は賢王と言うのに相応しいだけのことをした。ただ、私生活においては失敗したといえるだろう。父は何においてもアマリエ夫人を優先する。時には王妃よりもアマリエ夫人を。メアルリナの母である王妃は誰よりも妃に向いていた。国を愛し、民を愛した。だから、人気も高かったが、父の最愛だけは得られなかった。まあメアルリナにとってはそれだけの話だ。父は母が死ぬまで変わらなかった。母が死んだ時点でメアルリナにとって終わった話なのだ。
「アン。何か甘いものをちょうだい。」
「まあ。なりませんわ。今日のおやつはおしまいです。殿下のお美しいお姿を保つためですから。」
メアルリナがアンサクレから連れてきた侍女がアンだ。アンはもともと母の侍女の娘でずっとメアルリナの面倒を見てくれていたのだ。メアルリナにとっては姉のような存在だ。そしてメアルリナが甘えられる数少ない一人だ。
「何をそんなにカリカリしてらしてるのですか?」
「なんでもないわよ。」
メアルリナはそう言って微笑む。アンは軽くため息をつく。こうなってはメアルリナはなにがあろうと何も言わないのだ。
「はい?父上今なんと?」
アルベルトは父であるピントゥナ皇帝の言葉を聞き返す。
「だーかーらー、終わったよ。愛しの息子。」
皇帝は威張ってそう言うが、そもそも仕事を終わらせるために息子に見張ってもらっているところからおかしいことに気づいて欲しい。
「それは珍しいですね。父上。」
「うん。今日は皇后と会う約束があってね。」
皇帝は上機嫌で言う。アルベルトはなるほどと納得する。アルベルトの父は無類の女好きで後宮にはたくさんの側室がいる。それでも宮廷が荒れないのは皇帝が皇后を常に一番に接しているからだ。実際夫婦仲も悪くないのだ。むしろ父が皇后のことを好きすぎてうっとおしいから側室をけしかけたとかいう噂があるくらいだ。あの母なら普通にけしかけそうな所が想像できてアルベルトは怖いのだが。
アルベルトは皇帝の執務室を出る。
「それで、殿下これからはどうなさいます?予定よりも早いですが。妃殿下の所に向かいますか?」
カイルに聞かれて、アルベルトは黙る。
「アル。」
「わかってる。カイル。先触れを。...姫の所に行く。」
アルベルトに言われてカイルは先触れを出した。
「まあ。仕事が早く終わったからこちらに向かわれているのですか?」
メアルリナは先触れを素直に喜んだ。メアルリナはアルベルトと喋るのは好きなのだ。彼は母国でメアルリナが苦手にしていた頭が万年常春のめでたい男性ではない。なんだかとても一緒にいて落ち着くのだ。自分がこんなに穏やかに結婚生活を送れるとはアンサクレにいた頃は考えてもみなかったが。ただ、このままではいけないこともわかっていた。政略結婚なのだ。世継ぎの子供は必要だ。しかし、一度もアルベルトはメアルリナに手を出すことはなかった。
「姫。」
アルベルトは部屋に入ってきた。そして、人払いをする。部屋は2人きりになる。メアルリナはアルベルトにお茶を出した。
「お疲れ様です。殿下。」
「ああ。今日は姫は何をしていたんだ?」
「私ですか?午前中は皇后陛下にお呼びいただいてお茶会に参加させていただいてました。あと午後からは手紙を書いておりました。」
「母上は何か仰っていたか?」
「そのう、皇后陛下は...」
メアルリナは顔を赤くして口ごもる。アルベルトは嫌な予感がした。
「その、皇后陛下は早く孫の顔が見たいと仰せでした。はい。」
メアルリナが顔を赤くして言うと、アルベルトは激しくごほごほっとお茶をむせ返す。メアルリナは慌てて、アルベルトの背中をさすった。
「大丈夫ですか?殿下。」
「あ、ああ。大事ない。そうか。うん。孫ね。」
アルベルトの様子を見て、メアルリナは決心したようにアルベルトを見つめる。
「殿下、私では魅力がございませんか?」
「なに?」
メアルリナの言葉にアルベルトは聞き返す。
「でしたら、その、側室の方を召された方がよろしいのではないでしょうか。」
「は?」
メアルリナはそう決心したように言う。側室を紹介するのも正室の務めだ。
「それは母上が?」
「違います!ただ、私の意見です。もし、殿下が側室の方を召されて、御子様が生まれましたら私、絶対に御子様の教育に協力しますわ。」
メアルリナはアルベルトを変な方向に元気付けるように言う。アルベルトはそんなメアルリナにむっとした。アルベルトはメアルリナを横抱きにして部屋を出る。部屋の外ではカイルがいた。カイルはぎょっとアルベルトを見る。サラとアンも驚いている。横抱きにされたメアルリナは何か言いたそうに口をぱくぱくしている。
「殿下、どちらへ。」
カイルが聞く。
「寝所だ。誰も入れるな。」
アルベルトは冷たい声で言う。そして、すたすたと歩く。寝所はすぐそこにある。
「で、殿下。私、歩けます。」
「うるさい。黙っていろ。」
アルベルトは寝所を開けて、ベッドにメアルリナを横たえる。それから、メアルリナの上に覆い被さり、つまり、押し倒したのだ。それから、無言でメアルリナの顔に顔を近づける。そして、唇と唇がくっつく前に止まる。アルベルトはすぐに顔が真っ赤になる。
「殿下?」
「駄目だ。悪い。俺はとんでもないことを...」
メアルリナは眉間にシワを寄せ、アルベルトの額に手を当てる。それから自分の額にも手を当てる。
「熱はないようですね。あんまり殿下のお顔色が赤いから熱でもあるのかと思いました。」
アルベルトはそう聞いて動作を止める。それから体を起こす。メアルリナもそれに倣って体を起こした。
「俺は健康に決まっている。姫!貴女はもっと恋物語など読んだりして恋愛を勉強したほうがいい。」
「まあ。私が恋愛ですか?」
「もっと男女の機微というものをだな。ちっ。まあいい。悪かったな。乱暴なことをして。」
アルベルトはばつが悪そうに謝る。メアルリナはふわりと微笑む。
「謝ることはございません。私、ちっとも不快には思っておりませんから。」
メアルリナの言った言葉にアルベルトは口をぽかんと開ける。メアルリナは何気なく言っただけだ。
「俺は調べ物があるので、少し開ける。姫は先に寝ているように。」
アルベルトはそう言ってふらふらと部屋を出る。どうやら彼は頭を冷やしにいったようだ。
不快には思ってないだなんて期待してしまうだろう。と言わなかったアルベルトはやっぱり不器用というかなんというか。とりあえず彼は無防備な妃から逃げたかったのだった。