私の可愛い癒しペット
犬な彼と、彼を拾った彼女の話です。
愛玩動物――ペット。
それは人々が生活する上で癒しを求める存在。
仕事での疲れを、人間関係での疲れを、目まぐるしく変わる日常の疲れを癒やしてくれる、そんなペットの話。
某日――。
「いつもより遅くなっちゃった……。
早くしないと……悠貴がお腹すかせて鳴いてるかも!」
そう一人ごちながら、一人の女が家路を急ぐ。
彼女の名前は志岸朱莉。
今日はいつもより仕事が遅くなってしまった彼女は、家で待っている愛玩動物――悠貴の事を考えながら、薄暗くなった帰り道を走っていた。
はあはあ…と、彼女は息を切らせつつも全速力――と言ってもヒールを履いている為、それほど速くは走れていないのだが――で駆け抜ける。
と、その途中。
とある公園の横を過ぎようとした時、ふと、昔の記憶を思い出した。
『そういえば、ここで悠貴を拾ったのよね……懐かしい。
あの日はそう、まだ春になって間もなくて、冬の寒さが肌を刺すような、そんな寒い日だったな……。』
彼女は家路を急ぎながら、その日の事を頭に思い浮かべた。
*****
その日は仕事が半日で、珍しくも定時で仕事が切り終わった日であった。
まだスプリングコートには早く、分厚いウインターコートを羽織り、肌寒さに何とか耐えながら朱莉は今日と同じ家路を辿っていた。
「うぅ~……っ!
寒すぎ!春になったって言ってたじゃん、テレビ!
まだ冬だよ、コレ!」
ブルブルと冷たい風に煽られ震える体を小さく丸め、朱莉はゆっくりと、風がこれ以上冷たく吹かないように祈りつつ、公園の横を通り過ぎようとしていた。
いつもは子供の声が響く公園も、今日ばかりは風の子と呼ばれる子供でも寒いのか誰の姿も見受けられない。
閑散とした、少し物寂しい公園であった。
と。
「ん?……鳴き声?」
何処からともなく、小さな鳴き声が聞こえてくるのを朱莉の耳がキャッチする。
それは、見ているだけで寒くなる様な公園の、ドーム型の遊具の中から聞こえてきていた。
何となく気になった朱莉は、家路を外れて公園へと足を踏み入れる。
そして、徐々に大きくなる鳴き声を頼りに、公園の遊具――ドーム型のそれに近づき、腰を屈めた。
そのドームに開いた、大人は通れないが子供は通れる大きさの穴から中を覗き込む。
と、そこには一つのしっかりと蓋のされた小さな段ボール箱が置かれていた。
その段ボール箱を持ち上げる際に手を差し入れる穴から、その鳴き声は聞こえてきていた。
朱莉はヨイショと若者らしくない声を上げながら、服が汚れるのも特に気にせず地面に歩伏前進するように寝そべり、その段ボールを奥から引き出した。
ズズッと引きずって出した段ボール。
それは微かな重みを感じ、中に何かがいる事を確信させた。
「……寒くない様に考えて、蓋をしてこんな所に捨てたのかな?
でも、捨てるってこと自体がどうなのよ……。」
半ば愚痴る様にそう零し、朱莉は手を差し入れられる穴から中を覗く。
そこは暗くてよく見えないが、何かの動物が一頭微かに動いて、何かを求めるように鳴いている事は分かった。
「……しょうがないな。
確かうちのマンション、動物オッケーにしてたから……よし。
家においで、私が面倒みたげる。」
そう言って、彼女は中身を開けて見ることなく、その段ボールごとそれを持ち帰ったのであった。
*****
『今思えば、あれは無謀すぎたかもね……。
けど、あのまま捨て置くこともできないし、例え中身を見てても普通わからなかったっしょ。』
そう考えながら、朱莉は苦笑を零すのであった。
そんな彼女の今の格好は……。
あの頃に比べたらずいぶんと暖かくなり、こんな夕方を過ぎた時間帯でもスプリングコートすらいらなくなった為、長袖のTシャツにジーパンだけという簡単な、ボーイッシュな格好である。
彼の動物を拾ってから、もうすでに二月が経とうとしているのだ。
と、そこまで回想し、彼女は疲れた足を途切れ途切れの息を整え休ませるべく、 とある道端の電柱に手を掛け、肩を大きく揺らしながら一息ついた。
家にはもう少し走らなくてはならない。
*****
あの日、家に連れて帰ったソレを、彼女は自室の机の上に置いた。
そして、そこで漸く段ボールの蓋を開いた。
「うわぁ!
何コレ、可愛いぃぃぃ!!」
中を覗き込み、思わず彼女はそう叫ぶ。
そんな彼女の声に反応して、段ボールの中で鳴いていたソレは小さく肩を揺らして驚き、そのまん丸の目を零れんばかりに見開いて朱莉を見上げていた。
それには、フワフワの薄い栗茶色の毛を持った、柴犬によく似た、けれども雑種だろうと思われるコロコロとした子犬が一匹座っていた。
朱莉は思わずその子に手を出し、優しく両手で抱きかかえるようにして持ち上げ、机のすぐ横に置いているソファーに座ってその子犬を抱きかかえた。
「うわ……お前、フワフワだね?
毛も綺麗で艶も良いし、体が弱そうにも見えないし、何より可愛いし……何で捨てられてたんだろ?」
朱莉はふと疑問に思った事を口に出しながら、その子犬を優しく労わるように撫でる。
この時、子犬が悲しそうに目を伏せ、耳と尻尾を垂れさせていた事には気づかず、彼女は子犬の入っていた段ボールの中を見て見た。
段ボールの中には、フワフワの真新しい膝掛けが底面に敷き詰められていて、綺麗な水と少しだけ口にしたのか食べかけのドッグフードが入った器が一つずつ置かれていた。
朱莉がそれ――段ボールを丸々抱えて移動した所為か、底面の膝掛けに水やドッグフードが零れている。
それ以外には特に何も見当たらない。
玩具もなければ、子犬に付いた首輪もなかった。
もしかしたら、飼う気はなかったのかもしれないと、ふと頭に過ぎった朱莉だが、それならば何故買ったのだろうか?
それとも産ませる気はなかったのに、母犬が妊娠してしまい、この子を捨てることにしたのかもしれない。
そんな考えがどんどん頭に沸いては消えていく。
けれど、いつまでもその事ばかり考えてもいられない。
これから、この子は自分が育てるのだから、それなりの準備が必要だろう。
そう、頭を切り替え、子犬に話しかける。
「そうさね……まず、名前を決めようか?
……何にしようか?」
そう言いながら、彼女は頭を捻らせる。
ウンウンと唸り始めた彼女を、子犬が何やら心配そうな視線で見上げていた。
「茶色だからチャチャ……って、浅井三姉妹か!
茶色茶色……青は政宗だから小十郎……って、それはゲームのキャラの色だろ!
色で決めるのは止めよう。
なら、私の好きな武将から名をとって信繁とか?
いや、有名な方の名で幸村とか……んん?
小さいから幼名で弁丸ってのは……って、これは前に飼ってたハムスターと同じ名前じゃないか……。
よし、そろそろゲームから離れようか、私!
う~ん……在り来たりだけどチビとか?
いや、コロ……って、昔伯母さんが飼ってた犬にそんな名前のいなかったっけ?
チロ、クウ、ヨウ、ヒナタ……、そうだ、漢字が良い。
空、陸、海……って、自然かよ!
う~ん……あ。」
ブツブツと独り言のように呟きながら、彼女は色々と名前を考えていく。
そして、全て却下していく。
が、突然、ある名前を思い出して呟きを止めた。
それから子犬を見下ろし、ニッと笑んで……。
「ユウキ――祐樹ってのはどうだろう?
私の、いなくなった親友の名前なんだよ……。」
そう言って彼女は、切なそうに微笑んだ。
そんな彼女を、子犬は小首を傾げながら見つめるように見上げる。
自分をジッと見てくる子犬に、朱莉は苦笑の様な笑みを零し、子犬の頭を撫でつけた。
「あいつね、ほんと犬みたいな奴だったんだ。
いつも私を見かけたら尻尾振って寄ってきて……っても、実際に尻尾があるわけじゃないんだけど。
そんな幻覚が見えるくらい、可愛かったんだよ?
それが……あんな……。」
そう言って、朱莉は何処かを見るように遠い目をしてため息を零した。
そして、未だ自分を見上げてくる子犬を見て苦笑し、お前はあいつみたいにならないでよと言いながら頭を撫でた。
「ああ、そうだ。
あいつみたいにならないように、漢字は変えておこうか?
悠貴――これならいいでしょ。」
そう言ってニカッと笑んで見せた。
そして、気にいった?と子犬の頭を優しく撫でたのであった。
こうして、一人と一匹の日常が始まった。
*****
あの日の事を思い出しながら、整えた息をまた乱しながら朱莉は家路を駆け抜ける。
と、漸く家が見えてきた。
「はぁ、はぁ……っ、やっと、着いた……!」
息切れを起こしながら彼女は掛け込むようにマンションへと入っていく。
そしてエレベーターの中で深呼吸を繰り返し、どうにかこうにか息を整え、自分の家がある階でエレベーターから降りた。
そして早足で自宅の扉へ近づき、鍵を差し込む。
と同時に部屋の中からドタドタと慌てて玄関まで駆けてくる足音が聞こえてきた。
それに苦笑しながら、朱莉は鍵を回してドアノブを捻り、自宅の扉を開いた。
「ただい……ぶぉっ!?」
「もう、遅かったじゃないか、朱莉!
心配したよ!」
口を開きながら開けた扉から、ビョンッと飛び出すように彼女へ抱き着いてそう口早に、彼女の身体をすっぽりと包みこんだ男が不満げな声を上げる。
そんな彼にギュウギュウと抱きしめられながら、朱莉は話せないから離れろとその男の背中をボスボス叩きつつ訴える。
それに男は少し力を込めてギュウゥッと彼女を抱きしめ、それから彼女の言う通りに少し離れた。
「心配掛けてごめんね?
ちょっと仕事が長引いただけだから。
大丈夫、何もなかったよ?」
「ホント?」
心配そうに朱莉の頬に片手を添えて覗き込むのは、ピョンコピョンコ至るとこを跳ねさせた薄い栗茶色の髪と丸い愛らしい形をした瞳を向ける精悍な顔立ちの純朴な雰囲気を携えた青年。
歳の頃は朱莉よりやや年下らしく、18位か。
そんな彼は、キョトンと朱莉を見つめつつ真偽を確かめるように聞いてくる。
それに彼女はコクコクと頷きつつ、嬉しそうに苦笑しながら口を開いた。
「ホントホント。
それより、お腹すいたでしょ?
少し遅くなったけど、ご飯の支度を今からするから。」
そう言って、未だ彼の腕に捉えられている彼女は自宅の中へ入ろうと体を捻った。
が、ガッチリと彼の腕に捉まっている為、身動きをすることしかできなかった。
そんな彼女を未だしっかりと捉まえている青年は、彼女の言葉を聞いて満面の笑みを顔に浮かべ、自慢げにわざとらしい笑い声を上げながら口を開く。
「フッフッフー!
今日は俺が作ってみたよ☆」
「……へ?」
「ほら、前に朱莉が料理の仕方、教えてくれたじゃん?
だから、今日は俺が作ってみました☆」
「えっと……あの時作ったのはオムライスだったから、今日の夕飯はオムライス……?」
未だ現状が良く分かっていないと言うか、彼の述べた言葉の意味が理解出来ていないと言うか、彼女はキョトンとして、ようやっとという様に緩慢な思考を巡らせて幾日か前の、一緒に料理をした日の事を思い出し、問いかけるように口を開いた。
すると彼はその事を当ててくれたのが嬉しいのか、朱莉に向けてこれ以上ない位の嬉しそうな笑みを浮かべて彼女をギュッと抱きしめた。
「御名答☆
今日はオムライスだよ。
さ、早く食べよ?
朱莉が帰ってくるまで、俺、ちゃんと“待て”してたんだから。
もう腹の中すっからかんだよ!」
「あ、ちょっと……悠貴!」
彼女は自分の飼っている子犬の名を――目の前で強引に彼女の手を引っ張って自宅へと歩き始めた彼に向けて抗議するように叫んだ。
目の前の青年――いや、彼女があの日拾った子犬は、そんな彼女に呼ばれても嬉しそうに微笑むだけで、足を止めることはなかった。
彼の正体は犬です!
あの日拾った子犬です!
さて、どうでしたか?
実はこの話、続きと言いますか、彼が人になるまでの話(この話の前の話)もあったりします。
が、その話はちょいとシリアス濃いめになったので、あまりシリアス要素のないキリの良いところで区切り、アップしました。
その話が読みたいとの声があるか、自分で投稿したいと思ったらアップしますが、きっと投稿はないだろうと思います。
書いてて何か哀しくなっていく話だし……最後はハッピーエンドですけど。
もし読みたいという方がいらっしゃれば言ってください。
読みやすいように直してから投稿しますので。
では、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。