第6話_討伐
第6話 討伐
天文21年(1552年)尾張の国、津島。
今日の取引について、算盤を弾き、帳簿をつける。
慎介が、いつも行っている作業を、淡々とこなしていた。
ふと、店先が騒がしくなる。
慎介が顔を上げると、暖簾をくぐり、店に入ってきた信長と目が合う。
「いらっしゃいませ、信長公。
自らお越しとは、何かありましたでしょうか?」
「いや、前を通ったのでな。寄ってみただけだ。」
信長は軽く答える。
そんな信長を見て、慎介は呆れた顔をする。
家督を継いで約2年。
『うつけ』と、噂される事はまだあるが、信長の評価は変わってきている。
今では、信長に味方する豪族も増えてきた。
そんな信長が、昔と同じく、気楽に平民と接しているのである。
慎介は、奔放な信長に、苦笑いするしかない。
「信長公。少々無用心ではないですか?
昔と違い、今は、織田家の棟梁です。あまり危険な事はしない方が宜しいかと。」
「慎介も政秀らと同じことを言うのか。お節介な奴め。
心配無用。例え相手が鬼でも負けん。それに、常に家来を連れている。」
「ふふふ。変わりませんね信長公は。まるで危険を楽しんでいるようです。
そういえば、赤塚の戦いでは、倍の兵を相手に戦われましたね。」
「ああ、山口親子を叩いてやった。
20年も親父殿に世話になりながら、裏切った馬鹿共だ。
どうという事はなかったわ。」
山口親子は、信長の父信秀に20年使えていたが、信秀が死んだ後、今川に寝返ったのである。
その為か、声音は穏やかだが、信長の目には、怒りが宿っていた。
赤塚の戦いとは、4月17日に起こった、三河に近い鳴海城の城主、山口左馬助とその子、九郎二郎との戦いである。
織田を裏切った山口親子は、今川勢を手引きし、尾張を攻めようとしたのである。
その進撃を防ぐため、信長は手勢800人を引き連れ出陣。
信長勢が、鳴海近くの三の山へ着陣した頃、山口九郎二郎が1500の兵を率い、出陣して来たのである。
報告を受けた信長は直ちに出陣。三の山の東にある赤塚の地で、両軍は激突した。
両軍の兵力差は倍近くある中、信長勢が奮闘していた。
信長は、真っ向から敵とぶつかり合い、互角の戦いを展開する。
両軍入り乱れた2時間余りの激闘が行われる中、次々に山口側の名のある武将が討ち取られていく。
というより、数で負けている信長は、意図的に将を狙ったのだろう。
将を討てば、兵を指揮するものがいなくなり、戦闘能力が低下するからだ。
この戦いは、勝負がつかず引き分けとなり、両軍兵を引くことになった。
信長側は30騎を失う損害を受けたが、山口側の損害はさらに大きかった。
数で勝りながら、将を何名も討ち取られ、軍の立て直しが必要になった程だ。
この結果は、今川方だけでなく、尾張の国にも衝撃を与えていた。
今川は、織田信長の強さを警戒し、攻撃より、新たに得た領地の防御を選択する。
片や、尾張の国では、全ての人間が、驚きに包まれていた。
何と言っても、あの『うつけ』である信長が、倍の兵を相手に互角に戦い、今川の侵攻を止めたのだ。
嘘や誤報と思われても、仕方がなかったのである。
「倍の敵を退けるとは、なかなか出来ることではないですよ。
しかも先日は、清洲勢を見事破ったとか。お祝い申し上げます。」
「ふん、世辞はいらん。
慎介の事だ、この位、俺が出来ることは予想しておっただろう。
それに、清洲の城はまだ健在だ。油断できん。」
「確かに清洲の城は健在ですが、最早先はないでしょう。
信長公により、有能な将を数多く失っており、以前の様な勢いを得ることは無理でしょう。
なにより、信長公が許さないでしょう。」
「ふん。慎介の癖に、生意気なことを言う。」
皮肉げな笑いを浮かべているが、信長は楽しそうだ。
赤塚の戦いからしばらくして、信長が清洲城を攻める、と噂が流れ始めた。
もちろんこの噂は、信長が意図的に流したものだ。
それに反応した清洲の城主、織田信友は、宿老である坂井大膳に、信長攻撃を命じている。
命令を受けた大善は、信長方の城、深田城と松葉城を落としたのである。
城陥落の知らせが届くと、準備が出来ていた信長は、叔父の信光と供に出撃。
清洲から3キロ程の地点で、両軍は激突した。
数時間、戦いが続いたが、信長は名の知れた将、50人程を討ち取る大勝利をあげた。
敵大将の弟、坂井甚介を討ち取り、他にも、坂井彦左衛門、黒部源介、野村、海老半兵衛、乾丹波守、山口勘兵衛、堤伊与、などなど。
大敗北と言ってよい程の、多大な犠牲を出した清洲勢は、総崩れとなり、撤退する。
信長は、勝利の勢いのまま、清洲城へ進軍を開始。
その途中、深田城と松葉城から兵が出陣し、信長勢へ攻撃したが、此処でも、30人程の将を討ち取られ撤退。
結局、両方の城を放棄し、清洲城へ逃げ帰ったのである。
「しかし、なぜ清洲の城を攻めなかったのですか?
名のある将を殆ど討ち取り、攻めれば城を落とせたのではないですか?」
「慎介。分かっていることを聞くな。
城攻めをすれば、損害が馬鹿にならん。
清洲はこの先、弱る一方だ。無理する必要はない。
そんなことよりも、この店で火薬を扱っているな。」
「はい。先日より取り扱っております。」
数年前から調べていた、火薬の生産に成功したのである。
与平が積極的に動いていたが、やはり最初は難航した。
まず、火薬製造の職人を引き抜きたかったが、無理だった。
当たり前だが、何処も技術の漏洩には敏感で、交渉すら出来なかった。
なので、職人を探すことにしたのである。
もちろん、ただ探すだけでは見つかるはずがないが、今の世は弱肉強食の時代。
競争に負けた商人を見つけ、金を払い、雇っていた職人を紹介してもらったのである。
職人探しに時間が掛かったが、後は、材料と職人を増やすだけだ。
硫黄は、昔から日本各地に発掘場所があり、問題はなかった。
硝石は、日本では基本取れないため、今でも輸入した物を仕入れている。
最初は失敗が多かったが、生産を始めて1年、ようやく商品として取り扱える様になっていた。
今では、質も量も商品として、問題ないだけの生産ができている。
「では、慎介。あるだけ買おう。
用意が出来たら、城へ持って来い。
今後も火薬が入ったら、俺が買おう。」
「毎度ありがとうございます。
火薬の件、了解いたしました。
今後も、定期的に納入可能ですので、よろしくお願いいたします。」
「うむ。よろしく頼むぞ。では、また来る。」
満足したのか、あっと言う間に店先から消えた、信長。
だが、その進む先は、大きく開かれようとしていた。
父信秀の代から、尾張下四郡の守護代として、勢力を誇っていた清洲勢。
それを打ち破った信長に、周囲の反応が変わっていく。
信長の武を認め、味方になる者。
今も信長を『うつけ』と信じ、倒そうとする者。
良くも悪くも、尾張の国は、信長を中心に、動き始めていたのであった。