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ぱらのいあ  作者: 楸由宇
第1章 足跡
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犬。

 その男は、数日前からこのあたりで噂になっていた。薄汚れた緑色の上着を着て、黒いゴムの長靴をはいて、スコップを右手に、左手には、紐で一列につないだ十数匹の小犬を連れてこの町を歩き回っているという噂だった。その男を見たことのあるものは、誰もいなく、いつからこのあたりに現われたのかもわからなかった。ただ、黙ってついてくる小犬を連れて、このあたりを歩き回っていた。誰もその男が何をしているのか知らなかった。

 その男が、うちの庭に現われたとき、僕は不思議と少しも驚くことはなかった。僕は、ちょうどそのとき、居間でソファーに座って、テレビを見ていた。僕の座っていたところからうちの庭はよく見えた。居間の窓は、南側を向いている大きいものと、少し小さめの東を向いたものがある。うちの庭は東側から南側にかけてかなり大きくとってあり、僕が小学校に入学したときに植えた桜の木が南東の隅に、また、数年前に比べてかなり小さくなった花壇が塀に沿って南側にあった。僕が座っているソファーからは庭のほとんどが見えた。庭に誰かが入ってきたので外を見ると噂の男だった。その男は、噂通り、緑の上着にスコップをもって小犬たちと現われた。男が入ってくるところは見えなかったが、たぶん、うちの北側で少し塀が崩れたところから入ったのだろう。

  早く塀の修理を頼まなくては。

 僕は、ソファーに腰を下ろしたまま男を眺めていた。男は、何も悪いことをしそうに思わなかったからだった。その男は、庭に入ってくると少し立ち止まり、庭を見回した。そして、そろそろ立派に成長した桜の木に連れてきた小犬たちをつないだ紐を括りつけ、スコップを持ちながら庭をうろうろ歩き始めた。時々、立ち止まり少し考えるようにうつむき、また歩き出す。そんなことを10分も続けていただろうか、突然、男は僕の正面、数年前に花壇があったところあたりに背中を向け立ち止まり、地面にスコップを突きたてた。昔、花壇があったせいかそのあたりは土が柔らかく男はあっという間に、深さが50センチ程の丸い穴を掘りあげてしまった。穴の直径も50センチぐらいで、穴を掘ったときに出た土は脇で山になっていた。

  何をしているのだろう。

 穴を掘り終えた男は、桜の木のほうへ歩いて行き、小犬たちを眺めたあとおもむろに茶色い毛の小犬を1匹抱えあげ、紐をほどいた。小犬を抱いた男は、さっきの穴まで来ると小犬を穴のなかへほうり投げて入れた。僕は、ソファーから腰を浮かせて、立ち上がろうとした。

  何をする?

 男は、急にこちらを向いた。僕は男と眼があった。不思議な瞳だった。しかし、光が感じられなかった。死んだ眼だと思った。瞳に穴があいたようだと思った。普通の人間ではなかった。

  気付いていた?

 男は、僕がじっと見ていることを知っていた。僕は、再びソファーに腰を下ろした。男は、前を向き、何事もなかったように作業を再開した。男は、小犬の頭だけを地面の上に残したまま丁寧に体を埋め始めた。男は、土で小犬の体を埋め終えると、緑色の上着のポケットから小さな粒を2粒ほど取り出して、小犬の頭の脇にそっと埋め込んだ。そして、庭の脇にあったじょうろを持ってきて窓のすぐ脇にある水道の蛇口から水をじょうろに入れ始めた。そして、男は、小犬の頭に水をかけ始めた。しかし、小犬は、何も騒がなかった。ただ、じっと男を見つめていた。男は、水をやり終えると、じょうろを元の場所に戻した。スコップを手にして、残った小犬たちを桜の木からほどくと男は、庭から出て行こうとした。男は僕の視界から消えてしまう瞬間、急に立ち止まり再び僕のほうを見た。男の口元が動いた。

 ”・・・・・・。”

 僕は、男が何といったのか聞き取れなかった。そして、男は庭から出て行ってしまった。僕は、しばらくソファーから動けなかった。

 次の日、変化が起こっていた。犬の首が伸びている気がした。昨日、男がいなくなってから、僕は、小犬を見ることはなかった。しかし、小犬の首が伸びているのは間違いなさそうだった。もう一日たつとはっきりとわかった。小犬の首が伸びている!しかも、頭のてっぺんから植物の芽のようなものが生えてきていた。そのころ、僕は、新しいうわさを聞いた。男が小犬をこのあたりの家の庭に埋めて歩いていたというものだった。男は最初、小犬を埋める家を探していたのだ。三日目、小犬は1メートル近くに伸びていた。もうすでに小犬の頭だったとは見えなくなっていた。どう見ても木にしか見えなかった。僕は小犬だったものに水をかけてみた。五日目、雨が降った。小犬の頭だったものは、うれしそうに揺れていた。また伸びるのが速くなった気がした。十日目、かなり”犬の木”は大きくなった。家の屋根より高くなってしまった。そして、町中に見慣れない木が増えつつあった。それらは、どう見てもただの木だった。しかし、時々、思い出したようにそれらの木の幹が脈打っていた。

  あの男はいったい誰だったんだろう?

 そう思わずにいられない。不思議な木をこの町に残していった男。結局、僕のいえに小犬を埋めていった日から、その男は見かけられることはなかった。

 再び変化が現われたのは、あれから一月もたったころだった。木に何かが実りつつあった。それが小犬であるとわかるまで時間はいらなかった。実り初めて、2日もすれば、その小犬たちが動いているのがわかった。小犬たちは、頭のてっぺんで木の枝とつながっていた。木に実っている小犬というものは不気味なものだ。そして、3日目には、小犬たちは、”犬の木”から落ち始めた。木から落ちた小犬たちは、しばらく木の下で走り回っていたが、そのうちいなくなった。そんなことが町中の”犬の木”で起こっていた。

  枝から落ちた小犬たちは、どこへいったのだろう。

 そのうちに、町中を小犬が走り回るようになった。”犬の木”に実った小犬たちだった。そして、”犬の木”は、増えていた。この町で、”犬の木”が増えていた。勝手に増えているのだ。

  あの男は、この町にはもういないはずなのに。

 つまり、”犬の木”が増えているのは、”犬の木”に実った小犬たちが新しい”犬の木”になっているからだった。あの小犬たちは、”犬の木”の種だった。この町は、小犬と見慣れぬ木で埋め尽くされつつあった。道には、小犬があふれ、ちょっとした空き地には、”犬の木”が生えていた。ただ、この小犬たちは、吠えなかった。もし、小犬たちが吠えていたら、僕らは、耐えられなかっただろう。

 半年もたたないうちに、予想通り、この町は”犬の木”で埋め尽くされてしまった。その間、住民はなにも手を打たなかったわけではない。しかし、”犬の木”は、切っても切ってもきりがないのだ。”犬の木”を切る速度よりも、小犬が実り、”犬の木”となって増えるほうが早かった。それほど、犬の木の増える速度は、速かった。何故なら、一本の”犬の木”に小犬が一度に十数匹も実るのだ。小犬をつかまえることも試したが、全てを捕まえるのは不可能だった。もう、僕らにはなすすべは残されていなかった。そして、いつの間にか、この町は”犬の木”で埋め尽くされていた。僕らも、あきらめつつあった。町は、小犬と”犬の木”であふれた。

 いつのころからか、この町は”犬の木の町”と呼ばれるようになっていた。


  あの男はいったい誰だったんだろう?

  あの男の目的はいったいなんだったんだろう?

  そして、あの”犬の木”はいったい何だろう?

 最近、僕はこのことばかり考えている。でも、僕には、答えはわからない。あの男の居場所すらわからない。たとえ、僕らが、あの男の目的を知ることをできても理解することは不可能だろう。あの男は、人間ですらなかったのかもしれない。でも、僕が一つだけいえることは、あの男は、今もどこかで小犬を埋めているだろうということだ。そして、あの男は今も”犬の木”を増やし続けている。僕はそう信じている。たぶん、それは真実なのだ。


 だから、今もどこかで確かに、”犬の木”は増え続けている。

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