第七話 ハンバーガーorトイレ掃除っ!?
「……でっ、天国と地獄では、何をするんだっ?」
暫くして、笑いが収まったその部屋に、俺の声が響いた。
少女達は相変わらずまたラスクを食べており、そのかりかりとラスクを食す音が部屋に小気味良く響いている。
するとそんな俺の問いに、少女達はそう言えばまだ話していなかったと少し驚いたように目を丸くしたが、そのあと少し考え込んで言葉を発した。
「……簡単に言うと、天国ではその+ポイント分の快適な暮らしが送れるわっ」
「そして地獄では-ポイント分の奉公を行うっ」
「そしてそれが終わると、魂の精製が行われて、また人間の魂が地に墜ちていくという訳よっ。地に戻っていった人間はまた一から新しい生活を始めるのっ。その繰り返しなのよっ、この世界は。……もうこれは、貴方にばれてしまったから、正直に言ったわよっ!」
そうラスクを食べながら坦々と話をしていた少女達だが、次の瞬間からその目に活気が宿り、俺に必死に勧誘を始めた。
「だからっ、貴様は地獄に来いっ!!」
「だからっ、貴方は天国に来なさいっ!!」
突然身を乗り出し、勧誘を始めた元気なその大きな甲高い声を発する少女達。
突然のその様子の少女達に俺は身をびくっと震わせ、少女達の声に少し身を退き気味に傾けた。
「どーせなっ、貴様が今から頑張って天国に行こうとしても精々稼げるポイントは多くて300っ。300ポイントなんてな、ハンバーガー一つ食べたら終わりだぞっ!大したことなんて出来ん!だから地獄へ来い!そして働くのだっ!」
「そうなのかっ!?……それじゃぁ、特に天国に行く価値もねぇかもな……」
「いいえ、ハンバーガーを馬鹿にしないで下さいっ!マックドナルドなら、三つも食べられますし、どんぐりがむが三十個買えますのよっ!300ポイントを馬鹿にしないで下さいっ!地獄の方こそ、つまらないですわよっ!奉公って言ったって、貴方が稼げる-ポイントなんてたかがしれていますわっ!精々トイレ掃除一、二回して終わりですわよっ!」
「そうなのかっ!?トイレ掃除するんなら、ハンバーガー食った方がいいか……。ってか、何でトイレ掃除っ!?」
少女達が必死の説得を試みているが、俺はそれの困惑して取り敢えずそんな少女達に返事を返す。
「……取り敢えず、もう少し考えとくわっ」
そう俺がどっちとも着かない返事を返すと、少女達は露骨にしゅんと悲しそうな顔を見せた。
「……そうかっ、早く地獄へ来ることを決めろなっ」
「……そうっ、早く天国へ来ることを決めてくださいねっ」
もしかしたらブーイングの嵐と共に少女達からの暴行が加わるのかと心配したが、案外素直に一旦退いたので、取り敢えず胸を撫で下ろす。
そしてまたラスクを食べることに専念しだした少女達。……ラスクが食べたかったから退いたのか?あとちょっとしかないし。……食べるの早くね?
そんな少女達を眺めながら俺は考える。
……でも、本当にどっちに行ったほうがいだろうか。大した違いは無いが、早めに決めた方が良さそうだよな。……やっぱりここは、ハンバーガーでも食っとくべきか……。
……いや、別にそれ食うために天国に行くことも無いような……。何なら、ボランティアみたいのはやったことねーし、ここは誰かの役に立てるようにトイレ掃除でもちょっとやってみるか……。……つーか、何処のトイレ掃除だよっ。地獄はトイレだらけなのかっ?どんだけ排出すんだよっ。
そんな迷いを心の中で繰り広げながら、ふと俺は思った。
……俺の人生は、ハンバーガーかトイレ掃除かぁ。
確かに大した価値があるとは思えないが、そんな簡単なものに置き換えられてしまう自分の人生を思うと可笑しく、そして悲しく思う。
しかし、自分の過去を思い出して見ると、確かにそんなもんだな、と納得してしまえる。
一人一人が生きる価値がある……なんて言葉を聞いたことがあるようなないような。
……もし、自分の人生も最初は価値のあるものだったとしたら、
俺は、何処で価値を失ってしまったのだろうか……。
心当たりは鮮明にあるのだが、それを思い出すと、憎悪や怒濤の念が込み上げてくる。
それを俺は嫌悪そうに睨み、そして考えるのをやめた。
俺は、残っていたカップラーメンの汁を飲み干すと、財布を手にとって中身を見た。
1500円。まだ仕事代も入って来ないし、高校生の財布の中身にしては少ない……のか?
この中から次の仕事代が入るまで生活費なんかを全て出さなくてはいけなかったから、今は生活がきつい所だった。この前の仕事代が、いつもより少なかったのだ。
しかし、それらをもう俺が払う必要は無い。……その頃には、もう俺はいないんだからな。
……良かったっ。ラッキーなこと……だ?
後から振り込まれる生活費は、きっと母さんが払ってくれるだろう。……悪い気も少しするが、それらはもう、しょうがないことだと片付けるとしよう。……どうせ、金は生活には困らない位はあるんだろうから。
そう思いながら、俺は席を立った。
するとその時、ちょうどタイミング良く少女達の声が上がる。
「あーーーっ!!もうラスクが無くなってしまったでは無いかっ!!これはどういうことだっ、貴様っ!!」
「あーーーっ!!もうラスクが無くなってしまったではないっ!!これはどういうことなのっ、貴方っ!!」
「……そーいうことだっ、食べたら無くなるだろう。……先に言っとくがっ、もう菓子はねーからなっ」
そんな少女達の驚きの声を少し呆れたように聞き流しながら、俺はテーブルの上にあった芥を全てゴミ箱の中へと放り込む。
少女達はその様子を見ていて、ゴミ箱へと移動される菓子の袋を目で最後まで追いながら、不満そうに頬を膨らませる。
「あぁーーっ!?もう無いのかっ!?……っまったく、使えん奴だ……!」
「えぇーーっ!?もう無いのっ!?……まったく、使い無い者ね……!」
「散々俺ん家のもの食いやがってっ、何なんだよ、この言われようは……」
少女達のブーイングに少し苛立つ。
しかし、何だか面と向かって文句を言うのにはもう疲れてきたので、ぼそっと一言吐くと、俺は財布を手にし、玄関の方へと歩き出した。
その様子に、イスの上で足をぷらぷらさせていた少女達は、テーブルを押してイスを引くと飛び下り、俺の後へと着いてくる。
その少女達は、不思議そうな面持ちで俺に尋ねた。
「どうしたんだっ?どこへ行くのだっ?」
「どうしたのっ?どこへ行くのですっ?」
「外だっ」
そんな少女達に、俺は一言呟いた。
そしてその後、言葉を付け足す。
「……どーせ家にいたってしょうがねーから、町の方でもぶらぶらしようと思ってなっ」
そう言って、リビングを後にしようとする。
そんな俺の後には、ふーんと言葉を漏らした少女達がとことこと着いてきていた。
しかし、そんな俺の足は、リビングを出ようと廊下に出る寸で止まった。
いきなり止まった俺に、少女達が相次いでぶつかる。
『ドゴっ!!』
「いだっ!!」
「いだっ!!」
「……っ貴様っ!!何故いきなり止まるっ!?ぶつかってしまったじゃないかっ!!」
「……っ貴方っ!!何故いきなり止まるのですっ!?ぶつかってしまったじゃないっ!!」
しかし、そんな少女達の声を、俺は聞いていなかった。
無視されたのかと思われた少女達は、もう一度啖呵を切る勢いで俺に言葉を投げかける。
「っ貴様っ、あのなぁ……っ!」
「っ貴方っ、あのですね……っ!」
しかし、その言葉も俺の様子を見て止まる。
驚いたのだろうか、不思議に思ったのだろうか。少女達は言葉の続きを話そうとはしなかった。
それも、無理はないかもしれない。
何せ、今までの俺の顔とは、全く違う顔がそこには張り付いていたのだから。
恐怖。
――いや、喪失。
―――いや、憎悪。
――――いや、嫌悪。
―――――いや、哀愁。
そのどれにも当て填らないような表情であったが、しかしそれは、それらをごちゃ混ぜにし、複雑に絡み合ったものを何度も意地悪に練り合わせたかのような、そんな表情をしていた。
一言では、とても表すことは出来ない。
しかし、それは単純単一な表情だった。
複雑で、どうしようと一言で表すことの出来ない表情なのだが、それは、ただ一つの、単純純粋緒な俺の顔なのだ。
……要するに、どんな方法を駆使しても、その表情を表すことは出来ない。
俺の思いは、多種多様な感情の入り交じるものなのだが、それは純粋な俺の、一途な思いからなるものだった。
時に、矛盾している言葉が同じ意味を示すことがあるのだ。
そんな、先ほどまでとはまるで違う俺の表情を見れば、少女達のように驚くのも無理は無い。
そして、そんな俺の顔面は、一つのものを見ていた。
―――それは一つの、
――――――床に染み付いた大きな黒ずむシミだった。