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螺子

掲載日:2026/10/04

何処にでもある景色だ、ただ今は夕刻なので学校帰りの学生が多い。

 彼も又その中の一人で、いつもの道をいつものように歩いていた。通常の、有り触れた風景の中で、彼だけが、『通常』から抜けていくのも知らないで。

「あの、すいません。落としましたよ」

「え? あ、どうも」

平和な道端で、唐突に渡されたものは、ハンカチでも財布でもなく、一本の。

「は? 俺、ネジなんか落としてませんけ……ど? あれ?」

当然のように其処に人はいない、残ったのは彼と螺子。

「何なんだよ、ネジなんか知らねぇよ……」

螺子は呆気無く宙に投げ出され、重力にならって落下する。

後に――彼は捜す事になる、この螺子を。




 帰路を歩く彼は、また一本の螺子に出会った。

「あ、そこの君! 落としたよ?」

「へ?」

そう言って中年男性が彼に差し出したのは、やはり螺子。

 又か、と思いながら今度の彼は否定してみた。

「いや、あの……。ネジなんて落としてませんよ、俺」

「いやいや、そんな事は無いよ。君から落ちたんだよ、これは」

彼の否定に対して、男性の口調はしっかりと肯定的である。

「そんな事言われても、ネジなんか持ってないんですけど……」

「いいから。君の落とし物なんだから、君が持ってなさい」

そう言われて、やや強引に、螺子は彼の手の中に握られた。

うんざりするように、彼は又、その螺子を投げ捨てた。




 駅から電車に乗って一時間、彼はようやく地元に帰った。

 駅から家までは、やや距離があって歩いて三十分程だ。商店街を通り、暗い夜道を行く事となる。

 商店街はいつものように賑わって、買い物をする主婦や彼と同じ学校帰りの学生などが食品や文房具、本などを買っているようだ。彼は特に何も買うものが無かったので、真っ直ぐと家路を歩く。

 商店街を抜けた頃には住宅地が見える。

 そこから彼の家まで二十分少々――。割と在る距離を又、彼はいつものように歩いた。十分程、歩いた頃には長かった影はその姿を薄めていた。

 夕刻は過ぎ、辺りは夜へと変化しているのだ。

 商店街を離れてしまうと、辺りは静かで自身の足音がよく聞こえてくるようになる。コツコツと、革靴の小気味の良い音が響いた。

 その足音と共に金属音が響いた。


 ヵキンッ!


 いや、コキン、と言ったのかもしれない。その金属音の方向――背後を彼は見た。しかし、そこに金属はおろか何も無い。鞄や制服、金属がついていそうなもの、全て調べたが、やはり何処にも無い。

 気のせいか、と思い、彼は再び帰路を歩いた。

 しかし――、

 キンッ、キコンッ、ヵキン、チキン、キン、……。

 連続してその音は流れ、聞こえた。

 再び振り返り、確かめても何も無い。

 無論、鞄も制服も携帯電話のストラップも見た。


(幻聴? いやそうじゃない、何処かの音が響いてるんだろう。)と彼は納得した。


 納得してからも彼の耳には金属音が届いた。

 さらに再び振り返り、確認しても何も無い。歩くのを止めると止まるその音に、彼は疑念を抱いた。

(誰かが嫌がらせしているのか?)と。立ち止まって、確認する。

彼は声高に言った。

「誰だよ!」

……しかし、何事も返って来ない。

 仕方無く歩き出した彼に、又もあの音は語り掛ける。

 ついに走り出した彼を、音はまだ追って来る。

 走りに自信の有った彼は、全速力で走れば撒けると思ったのだ。

 しかし――いや、やはりと言うべきか、音はまだ追って来る。

 そして止まれば、また音は止み……。

 彼の疑念と不安、ストレスは最高潮に高まった。

「何なんだよ!ネジ落としたとか言われたり、追われたり!何なんだよ今日は!」

彼は、そう自分で言って気がついた。

 ネジ?

 そうだ、ネジだ!と確信に辿り着いた満足感と、新たな疑念を心に廻らせる。

 そう思って振り返れば、無数の螺子が歩いて来た方向に目印のように落ちている。

 彼は蒼ざめた。顔面蒼白で、驚いていた。本当にネジなんか、落としてたのか?と。

 確かにこの螺子は、彼から落ちたものであり、落ちる度に音は彼を追って来ていた。

 そう、まるで影のように。

 無数の螺子に対する疑心と共に、彼はやっと或る事に気が付いていた。

「ここ、……何処だ?」

通い慣れたはずの道、いつも通っていた道、走っていたとはいえ、迷うなんて事は絶対に無い。おかしい、家を捜さなきゃ。家……、家?

 そう思い始めると、まるで待っていたように謎は頭を駆け巡り出す。

「家って、何処にある?誰がいる?家って、家って?家って、何だ?家から何処に行った、学校、学校って何だ?誰がいて、何をする?家では何をするんだ?俺には誰がいる?家族、家族って何だ?どんなやつの事を言うんだ?俺、俺?俺って何だ……?」

彼がブツブツと呟く最中も、螺子はジャラジャラと音をたてて落ちていく。

 彼は膝をついて、倒れた。前のめりに倒れても、やはり彼は呟き続けた。

「どう、やって……、歩けば……いいんだ?どうやって……喋……んだ?、言、葉?……うあ、ああ……あ?」

そして、彼はついに、

 うあああああああああああああ!!!

 叫んだ。

 そのまま彼の中の何かがブツンッと音をたてて、彼の意識は途切れた。




 彼が次に目覚めた時、其処には二つの物体があった。

 彼が目を開けると、それらは、

「あ! お母さーん!お兄ちゃん起きたよー!」

「ちょっと判る?あんた大丈夫?」

小さい方の物体――妹は消えて(母を呼びにいったのだ)、大きい方の物体――姉は彼に語り掛けて来た。

彼が答えられず無言でいると、妹と別の大きな物体――母が現れた。

 母は言う。

「いったいどうしたの、こんな突然……。いきなり倒れたんだって?××さん家の奥さんがね、電話くれたのよー?今度お礼持って行かなきゃぁね」

妹も何か言った。

「お母さんとお姉ちゃんとあたしでねー、お兄ちゃんを運んで来たんだよー。カンシャしてよねー?」

 彼女たちは平和にも、彼の表情に気付かずに一方的に情報を浴びせる。しかし、姉だけは気付いたようで、口を開き続ける母と妹を制した。

「ねぇ、おかしくない?様子が」

「え?」

言われるまで気付かなかっただろう。

 彼は黙って聞いているように見えただろう。

 だが、彼の眼は一点を見ながら固まっていたのだ。

「ねえ、ちょっと、ねえ」

身体を揺さ振って、話しかけても、全く反応が無い。

 異変に気付いた家族はまるでシーンを区切った映画のように早急に、彼を病院に連れて行く事を決めた。呼ばれて、やって来た救急車は彼を乗せ、彼の螺子に気付かないまま、同じ道を通り過ぎて行った。

 医者には、原因不明だと言われた。

 過度のストレスによるものかもしれないと言っていた。

 生きてはいるが脳死に近い状態だ、とも言った。他は健康なんだ、と。

 家族、救急車、彼自身のこと。

 そんな事はどうでも良かった。彼にとっては。

 何せ彼の頭に残された螺子は、たったの十三本。

 五臓六腑を動かす事と、まぶたを開けている事。

 そして、もう一つ。

 彼の頭の中の螺子は、家族に、そして彼自身にこう言っていた。


【螺子を、捜さなきゃ】


 後に彼の友人は、こう言っていたと言う。

「あの日にアイツ、頭ぶつけてたんです、学校で。ふざけてて……、すごい音したから、病院行けって言ったんですけど、平気だって……、だから……」

 これが原因だった、とか、そういう事を言うつもりは無い。だけれど、これだけは言える。彼の螺子は、彼の頭の中の【記憶】だったという事。


 名前も、頭をぶつけた事も、身体の動かし方も、それまで生きてきた思い出も、何もかも、忘れてしまった。

 物忘れの激しい人、最近頭をぶつけた人、気をつけて。


 貴方の螺子は、ちゃんと、頭に付いていますか?

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