表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【1話完結】【すぐ読める!】現代ホラー短編集  作者: somari


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/3

【1話完結】カメラが映した真実

最初に相談を受けたのは、三月の初めだった。


「柏木さん、ちょっと聞いてほしいことがあるんです」


隣室——302号室の藤村沙織が、エレベーターホールで修一を呼び止めた。


二十代後半の、いつも穏やかに微笑んでいる女性だ。

だがその日の彼女は顔色が悪く、目の下に濃い隈を作っていた。


「最近、部屋で変なことが起きるんです」


聞けば、二週間ほど前から毎晩のように異変があるという。


朝起きると家具の配置が微妙にずれている。

冷蔵庫の中身が減っている。

浴室の鏡に、指で何か文字を書いたような曇りの跡がある。


「夜中に目が覚めると、誰かが部屋の中にいる気配がするんです」


「金縛りみたいに動けなくて、暗闇の中で誰かがじっとこちらを見ている感覚がして……」


沙織の声が震えた。


「それだけじゃなくて。朝起きると……パジャマのボタンが全部外れてるんです。毎回。自分でそんなことする癖、ないのに」


一度だけではなかった。


首筋に身に覚えのない赤い痕が残っていた朝もあったという。

ヘアブラシの毛が明らかに減っている日もある。


枕元に置いていたはずのスマートフォンがテーブルの上に移動していたこともあった。

ロック画面のカメラが起動された形跡があったが、撮影履歴には何も残っていなかった。


「誰かに……触られてる気がするんです。寝ている間に」


沙織の目には本物の恐怖が浮かんでいた。


大家には連絡したが気のせいだと言われ、警察にも相手にされなかった。


「お化けとか信じないほうなんですけど……」


沙織はそこで言葉を切り、少し恥ずかしそうに目を伏せた。


「……このマンション、出るって噂、聞いたことありますか」


修一は首を傾げた。


「三年前に、この階で亡くなった方がいるんです。304号室。孤独死だったって。発見されたのが真夏で、何日も経ってたみたいで——」


304号室は沙織の部屋から二つ隣、修一の部屋の一つ隣だ。

今は空室で、もう二年以上入居者がいない。


「引っ越してきたとき不動産屋さんに聞いたんですけど、304号室の前の住人は男性で、近隣トラブルを何度か起こしてたらしくて」


「特に……女性の住人に対して、つきまといみたいなことを」


沙織は声を落とした。


「最初は本当に、その人の幽霊なんじゃないかって。金縛りとか、誰かに見られてる感覚とか、全部そういうものなのかなって……」


修一は黙って聞いていた。


深夜の金縛り。

誰もいないはずの部屋に漂う気配。

鏡の曇り。

動いたスマートフォン——。


「もう怖くて眠れないんです。柏木さん、カメラとか詳しいですよね」


「録画で確かめたいんです。幽霊なんかじゃないって……そう確認したいだけなんです」


修一は映像機器メーカーで技術職をしている。

小型カメラの扱いはお手のものだった。


困っている隣人を放っておけず、二つ返事で引き受けた。


沙織はそのとき、少し迷うような間を置いてから言った。


「……本当は、お祓いとか考えたこともあったんです。でも柏木さんなら、ちゃんと調べてくれるかなって」


その言葉が、胸の奥に温かく落ちた。


「幽霊は映りませんけど、人間なら必ず映ります。安心してください」


沙織は少しだけ安堵の表情を見せた。


「ありがとうございます。柏木さんが隣にいてくれて、本当に心強いです」


彼女は修一の手をそっと握った。

細くて冷たい指だった。


修一は握り返すべきか迷い、結局何もしないまま手が離れた。


部屋を出る間際、ふと振り返った沙織が言った。


「柏木さんって、自分の優しさに気づいてないタイプですよね」


何のことかわからず曖昧に笑った。


自室に戻ってからも、指先に残る彼女の体温を、なぜか何度も思い出していた。



翌日の夜、沙織と一緒に302号室にカメラを設置した。


リビング、寝室、玄関の三か所。

暗視機能付きの高感度カメラだ。

映像はSDカードに自動録画される設定にした。


「これで何が起きても記録できます。寝る前にここのボタンを押して録画をONにしてください」


「朝起きたらもう一度押してOFFにします。ここからSDカードを出して、僕に渡してもらえれば内容を確認しますね」


沙織はうなずいた。


「映像の中身は、僕以外の目には触れさせません。必ず原因を突き止めましょう」


沙織は少し笑った。


「幽霊が映ったらどうします?」


「そのときは一緒に逃げましょう」


冗談めかして言ったが、沙織は少し真剣な顔で修一を見つめた。


「……一緒に、か。それなら怖くないかも」



設置を終えて自室に戻る途中、一階で大家の久世と擦れ違った。


六十代のやせた男で、管理業務から清掃まで一人でこなしている。

住人の出入りには妙に詳しく、誰が何時に帰宅したかまで把握しているような人間だった。


「柏木さん、今日は帰りが遅いですね」


久世はゴミ袋を提げたまま、こちらを見上げた。


「ちょっと隣の藤村さんに用があって」


「そうですか。藤村さん、最近元気がないようだから。心配してたんですよ」


久世は微笑んだ。

だがその目は笑っていなかった。


修一は会釈して通り過ぎた。

背中に視線を感じたが、振り返らなかった。



毎朝、修一は沙織からSDカードを受け取り、自室のパソコンで映像を確認した。


一日目の夜、異変はなかった。

二日目も同様だった。


三日目の夜も何も起きず、修一はやはり沙織の気のせいだったのかもしれないと思い始めていた。


四日目の朝、いつものようにSDカードを受け取った。

沙織の顔は少し明るかった。


「昨夜は金縛りもなかったんです。でも朝起きたら枕元にあったはずのヘアゴムがなくなってて……」


パソコンに差し込み、映像を早送りで確認していく。


午前零時。一時。

何も動きはない。


午前二時十七分。

玄関のカメラに変化があった。


ドアが外側から開いた。

鍵を使って。


人影が入ってきた。


修一は早送りを止め、画面に顔を近づけた。


映った。


超常現象などではない。

生身の人間だ。


暗視映像の中で、その影は緑白色に浮かび上がっていた。


男だった。

中肉中背で、Tシャツにスウェットパンツという格好。


リビングを横切る足取りは、慣れたものだった。

まるで自分の家であるかのように。


暗視映像の粗い画質では、顔の細部までは判別できなかった。


だがシルエットに、どこか既視感があった。

体の動かし方。足の運び。

うまく言語化できない、見慣れた何か。


修一は違和感を振り払った。


この手の映像は人をそう見せるものだ。暗視カメラの緑白い光は人の輪郭を曖昧にし、見知らぬ人間にさえ奇妙な親しみを錯覚させる。

職業柄、それは知っているはずだった。


修一は怒りで拳を握り締めた。

こいつが沙織を怯えさせていた元凶か。


侵入者はまず台所へ向かった。

冷蔵庫を開け、中の麦茶に直接口をつけて飲んだ。


それから洗面台で何かをし、戻ってきたときにはその手に沙織のヘアブラシが握られていた。


絡みついた髪を一本ずつ丁寧に抜き取り、自分のポケットにしまった。


その手つきの静かさが、奇妙に胸をざわつかせた。


荒々しい侵入者ではなかった。

まるで大切なものを扱うような、愛撫にも似た所作だった。


そして寝室へ向かった。



侵入者はベッドの脇に立ち、眠っている沙織をじっと見下ろしていた。


一分。

二分。

微動だにしない。


やがてゆっくりとベッドの縁に膝をつき、沙織の顔との距離が数センチになるまで身を屈めた。


目を閉じ、何かを嗅ぐように鼻を近づけている。


長い時間をかけて、首筋から鎖骨のあたりへと顔を移動させた。


それから指先で沙織の髪をそっと払い、耳の後ろをなぞった。


沙織が微かに身じろぎした。


侵入者はぴたりと動きを止め、沙織が再び深い眠りに落ちるのを待った。


その忍耐強さに、修一は鳥肌が立った。

同時に——言葉にできない、もっと深い場所が軋む感覚があった。


画面の中の男の指が沙織の耳の後ろに触れた瞬間、修一の右手の人差し指が、無意識にかすかに動いた。


なぞるように。


修一はそのことに気づかなかった。


画面の中で、男の手が掛け布団の縁へと伸びていった。


修一は画面から目を逸らした。


こいつは誰だ。

必ず突き止めてやる。

顔さえ特定できれば、警察に突き出せる。


映像を先に進めた。


三十分ほどして、侵入者は寝室を出ていた。

最後まで顔は鮮明に映っていなかった。


だが手がかりはある。

体格。歩き方。服装。それに合鍵。


幽霊などではなかった。

生きている人間が、鍵を持って沙織の部屋に忍び込んでいた。


修一は映像をパソコンに保存した。


今夜、沙織に報告しよう。

そして二人で警察に行く。

もうこれ以上、彼女を怖がらせはしない。


彼女を守れるのは自分だけだ。


その思いは、正義感と呼ぶには少し熱すぎた。



その日の夕方、もう一度映像を確認しようとパソコンを開いた。


フォルダの中は、空だった。


録画データが消えていた。

四日分すべてが、跡形もなく。


修一は混乱した。

自分で消した覚えはない。


操作ミスか。

だが四日分が一度に消えるような誤操作があるだろうか。

朝、確かに保存したはずだ。


ゴミ箱も確認した。空だった。


復元ソフトを試みたが、データの痕跡さえ見つからなかった。

まるで最初から何も書き込まれていなかったかのようだった。


映像機器メーカーの技術者として、この消え方が異常であることは誰よりもわかっていた。


嫌な汗が背中を伝った。


外出中に誰かがこの部屋に入り、データを消した。

そうとしか考えられなかった。


修一は立ち上がり、部屋の中を見回した。


そしてすぐに気づいた。


玄関の靴の並びが、いつもと違う。

昨夜きちんと揃えて脱いだはずのスニーカーが、つま先を外に向けた状態で置かれていた。


キッチンに目をやると、シンクにコップがひとつ置かれていた。

昨夜、寝る前に洗い物はすべて片づけたはずだ。


コップを手に取った。

内側に薄く茶色い膜が残っている。

麦茶だ。


冷蔵庫を開けた。

買い置きの麦茶のボトルが、昨日より明らかに減っていた。


背筋が凍った。


あの男は沙織の部屋だけでなく、この部屋にも出入りしている。

沙織の部屋の映像データを消すために。


合鍵を持っている人間。

このマンションの構造を熟知している人間。

住人の行動パターンを把握している人間。

日中、修一が不在であることを知っている人間。


——あの大家か。


久世の顔が浮かんだ。

全部屋のマスターキーを持ち、住人の生活を隅々まで把握している男。


あの夜、すれ違ったときの目。

笑っていない目。


証拠が消された以上、もう一度撮り直すしかない。

今度はクラウドに自動転送する設定にすれば、たとえ部屋に侵入されても映像は消せない。


今夜中に仕組みを変えよう。


そう決意してデスクに向かおうとしたとき、ふと洗濯カゴの横に目が止まった。


昨夜脱いだスウェットが、畳んだ覚えのない形で置かれていた。


手に取り、ポケットに何気なく手を入れた。


指先に何かが触れた。

柔らかくて、細い感触。

たくさんの。


ゆっくりとポケットの中身を引き出した修一の手が、止まった。


長い黒髪が、ポケットの中からあふれ出てきた。


一本や二本ではない。


何十本もの黒い髪が、丁寧に束ねられた状態で詰め込まれていた。


一晩で集められる量ではなかった。

何日も、何日もかけて、夜ごとに抜き集めた量だった。


そしてもうひとつ。

ポケットの底に、小さな金属の感触があった。


取り出したそれは、302号室の合鍵だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ