第40回 (最終回)張郃、西方の防衛に人生を捧げる
張郃は、引き続き西方防衛線の総大将として君臨した。
蜀漢軍との戦いは日々繰り広げられるが、全く隙を見せない見事な戦いぶりであった。
官位は「車騎将軍」に昇進をし、故郷の名を冠した「鄚侯」に封じられた。
張郃は諸葛亮による北伐が再びあるとみて、警戒を怠らない。張郃が最重要拠点と考える「祁山」に軍営を設け、郭淮と共に常駐するようにしている。
この頃は、郭淮も完全に独り立ちし、張郃の有能な参謀としてそのつとめを果たしていた。
張郃が聞く。
「伯済よ。俺は蜀漢がそろそろ動いてくる頃合いと見ているが、どうか。」
「はい。こちらは石亭の戦いで呉軍に惨敗をし、そして大将軍の曹真様もご病気で亡くなられました。これを機として、諸葛亮が動いてくることは十分に考えられます。」
「諸葛亮が狙いを定めてくるのは。」
「もうこれは、当然ここ、祁山でございましょう。祁山は交通の要所、そこを押さえて長安方面への侵攻を考えているとみるべきでしょう。」
「そうだな。そうでなければ、我々が常駐する意味はない。諸葛亮が来た時の応援要請体制は問題ないか。」
「はい。すぐさま早馬、のろし、火信号を使って知らせる体制を構築してあります。」
「わかった。決して、油断することなく警戒を維持せよ。こういった拠点の兵はどうしても士気が緩むときもあるので、そのあたりも注意するのだぞ。」
「はい。ご助言、ありがとうございます。」
「間もなく来る。」
張郃の長年の戦いで培ってきた直感がそう語り掛けてくるのだ。
大将軍の曹真が亡くなった今、もし、諸葛亮が出撃してくれば、総大将は「司馬懿」であった。
張郃同様、曹操、曹丕、曹叡と三代に仕え、もっぱらその智謀と策略によって、ここまで昇りつめてきた。地方でその多くを過ごしてきた張郃とは対照的で、常に中央にてその才覚を発揮しており、張郃と直接の接点はなかった。
同じ重臣であっても、かたや最前線に身を置き、かたや最後方で鎮座する、というところも違っていた。
張郃に急報が届いた。
「諸葛亮、立つ」というものであった。
張郃は郭淮に命じ、即座に応援軍の要請を行わせた。
そのおかげで、諸葛亮が祁山にたどり着くころには、すっかり魏軍の軍容は整っていた。
司馬懿が張郃に言う。
「張郃殿。即座の応援要請でこちらも緊急出動が可能であった。こうして、ゆとりをもって、蜀軍と対峙できる。」
「こちらこそ、まさかここまで早くお出でになるとは思いませんでした。」
「この祁山の重要度はこの司馬懿もわかっています。急ぐのは、当然です。」
数日後、諸葛亮率いる蜀漢軍が祁山に現れた。
「これは見事な・・・。」
諸葛亮は、司馬懿の布陣に感嘆の言葉が出た。
「曹真より確実に、手ごわい。」
布陣を見ただけでそう思った。
一方、司馬懿も諸葛亮の布陣を見て、無駄のない見事なものだ、と感嘆をしていた。
両指揮官がその度量を認め合うならば、そう簡単にお互いは動かない、ということになる。
ひたすら動かずのにらみ合いが続いた。
こうなると、焦りが生じてくるのは遠征してきている蜀漢軍の方である。魏軍は兵糧、物資の面で何ら心配をする必要はないが、蜀軍は特に兵糧の消耗が気になりだす時期となってきた。この辺りは、食糧を調達するにも、何もない場所である。兵糧切れは、蜀漢軍の敗北に直結する。
結局、この対峙の関係はずっと続き、蜀漢軍は退却をせざるを得なくなった。
蜀漢軍の退却の動きを見て、若い将校たちは、こぞって追撃戦の提案を司馬懿にした。
しかし、司馬懿は下手な追撃戦の展開は大事な兵を損耗する可能性があり、あの諸葛亮が無策に退却するわけがないので、非常に危険であることから、追撃は一切行わない、と決定をした。しかし、誰も納得せず、議論は紛糾した。
張郃は、何故、司馬懿が総指揮官の権限で、
「これ以上追撃を主張する者があれば斬る。」
と言えばおさまりそうなものを、そうしないのか少し不思議に思っていた。全ての意見を真摯に聞くことが司馬懿のやり方なのか、と思うことにした。
しかし、全く収まる気配が無いので、張郃が提案した。
「司馬懿様。この辺りは私にとっては庭も同然、地形も熟知しております。まずは、我が軍五千で追撃戦を行い、頃合いをみて戻ってまいります。それで、如何でしょうか。」
「しかし、魏の宿将たる張郃殿に、もし万が一のことがあったらと思うと、お願いできませぬ。」
「お言葉、ありがとうございます。しかし、私はまだまだ老いてはおりませぬ。お任せください。」
こうして、張郃は郭淮と五千の兵を率いて、追撃戦を開始した。蜀漢軍の退却を目の当たりにして、張郃は、さすがは諸葛亮、と感嘆した。逃げる兵士たちは取り乱すことなく、冷静に行動をしているのだ。
それでも、やはり、追う方が有利である。張郃軍が、少しずつ、蜀軍の殿を削り出した。
しばらく行くと、張郃は全軍に停止命令を出した。
「木門道」の入口にたどり着いたからである。
この木門道は、狭隘な谷に入り込む、入り組んだ地形をしている。張郃は、諸葛亮が仕掛けをうつならここだ、と思った。
「ここが頃合いだ。」
そう感じたので、退却命令を出した。
しかし、この追撃戦に志願してついてきた若手の将校たちが、ここでも反対意見を述べた。一人が言う。
「張郃将軍。ここは追撃の手を緩めるべきではございません。入り組んだ地形とのことですが、それならば、逃げる方に焦りが生じるのではないでしょうか。」
「そういう考えも、間違えているとは言わない。しかし、ここの地形は本当に複雑であり、諸葛亮が伏兵を置くなら、間違いなく、この場所なのだ。故に、一定の戦果も挙げたことから、ここで戻るのが妥当だ。」
「・・・。わかりました。」
どうやら納得したようだった。張郃は、追撃戦を完了し、戻ろうとした。その時である。
一部の若手将校が、木道山に入っていっているとの報告が入った。完全な軍令違反であるが、見捨てることは出来ない。
張郃はやむを得ず、木道山に入った。その際、郭淮は入口に置いていくことにした。ついていくという郭淮を、張郃はたしなめる。
「伯済よ。万が一、私に何かあった時は、お前がこの軍の指揮官だ。それ故、私の副官としてここに留まる様に。」
「・・・。わかりました、なにとぞご無事で。」
張郃は入り組んだ道を進んでいく。すると、目の前に若手の将校たちの姿を捉えた。
「戻れ。」
張郃は叫んだ。
その時である。
上空から、矢の雨が降ってくる。張郃の予想通り、諸葛亮の配した伏兵である。
矢の雨を盾でかわしながら、張郃は若手将校を伴い、退却を図る。
しかし、ものすごい勢いの矢が一閃、張郃の首筋を貫いた。
張郃は、その場で倒れた。即死であった。
魏の宿将張郃に、突然のあっけない死の訪れであった。
「張郃死す」の報告に郭淮は動揺したが、その場から整然と全軍引き上げを完了した。
張郃の死を司馬懿に報告、若手将校たちはその罪を問われ、全員処断された。
張郃儁乂。享年六九歳。諡号は「壮侯」であった。
郭淮は張郃の死に涙で濡れた。しかし、思い出したことがある。以前、張郃よりもらい、肌身離さず持っていた文があるのだ。張郃より、もし、私に何かあったら、その時に開けよ、と言われているものだった。
郭淮は封を開けた。
「伯済よ、これをお前が読んでいるということは、私はこの世にいないということだ。まずは、この様な私に誠心誠意尽くしてくれたこと、心から感謝する。お前はあふれるばかりの才能、そしてそれを誇示しない慎ましさも持ち合わせている。私の後を継いで、西方の防御の要に必ず任命されよう。その際、司馬懿様とその一族との関係は必ず良好にし、争うことを決してしてはならぬ。時代は動く。恐らくその主導権を握るのは司馬懿様とその一族である。今一度言う、決して争ってはならぬ。そして、読み終えたこの書面は燃やして、その内容はお前の胸に刻んでくれ。」
郭淮は、張郃が自分の死んだ後のことまで考えてくれていたということで、張郃をまるで父親の様に思った。
郭淮は、張郃からの最期の文の内容を良く守り、西方防衛線の重臣として、司馬懿一族からも重用されたのである。これが、張郃への最大の弔いと言えるであろう。
■おわりに
大好きな武将である張郃の人生を、自分なりに書いてみました。最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。 涼風 隼人
■参考文献
・歴史群像シリーズ⑰三国志上巻⑱三国志下巻(学研)
・世界史劇場 正史三國志 神野正史(ベル出版)
・地図でスッと頭に入る三国志 渡邉義浩(昭文社)
・「三国志」の政治と思想 渡邉義浩(講談社選書メチエ)
・正史 三国志1~8 陳寿・今鷹真・井波律子・小南一郎
(ちくま学芸文庫)
■参考情報(インターネット掲載情報)
・ウイキペディア
・三国志人物伝
・今日も三国志日和
・もっと知りたい!三国志
・後漢と三国
・歴史の史実研究所
・歴史の読み物
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