第39回 張郃、街亭の戦いで大功を挙げる
張郃が征西将軍に任命されて数年間、西方の防衛線戦は小競り合いがあるものの、大きな戦いや反乱は起こることなく、非常に安定をしていた。
そして、その安定を揺るがす戦いが勃発する。
諸葛亮による、「第一次北伐」である。
この時、既に魏は文帝が死去し、「明帝」が即位をしていた。
一方、蜀漢も皇帝は二代目の「劉禅」である。
劉備は、先に行われた呉との大合戦「夷陵の戦い」に敗れたとき、失意の中、亡くなっている。
この北伐は、諸葛亮が劉備の宿願を果たすために敢行したものであった。総勢一〇万の大軍である。
迎え討つ魏軍は「曹真」を「雍州刺史」「都督雍涼諸軍事」に任命して総大将とし、その軍勢は一五万であった。
諸葛亮は、宿将である趙雲に長安へ向かう最短の道のりを進撃させ、曹真の目がそちらに向かうと自ら率いる本軍で涼州に突撃し、あっという間に三郡を攻め落とすことに成功した。
この結果を受けて、当然に魏軍は涼州奪還に向けて動いてくる。その魏軍を止めるために選んだ拠点が「街亭」であった。諸葛亮は、この街亭で魏軍を食い止める重要な役割を、新進気鋭の武将「馬謖」に任せることにした。
諸葛亮は馬謖に言った。
「幼常よ。ここで魏軍を止められるかどうかというのが、この戦全体の成否にかかわってくる重要任務と心得よ。」
「はい。この要所、必ずや守り抜いて見せます。」
「一つだけ言っておく。陣を設けるのは麓の街道にするように。決して、山頂に布陣をすることは許さぬ。」
「・・・。はい、畏まりました。」
諸葛亮は、馬謖の返事に一瞬の間があった事に違和感をおぼえたが、特に何も言わず、馬謖に任せることにした。
先にこの要所を抑えることは、かなり大きなことを意味する。馬謖に与えられた兵力は一万であるが、ここに堅陣を張れば、十分に対抗できるのである。
しかし、馬謖は軍令違反をする。
諸葛亮に許可をされていない山頂に、陣を築いたのである。
山頂から勢いよく下り、街道を通る魏軍を打ち砕く、というのが馬謖の描いた作戦であった。
諸葛亮の指示を知っていた「王平」が馬謖に言う。
「馬謖殿。諸葛亮様は、山頂への布陣は禁止していたはずです。山頂に陣を張り、魏軍に補給線を遮断されたら、どう戦うのですか。」
「王平殿。あなたの意見はごもっともだ。しかし、一気呵成に山頂から駆け下り攻撃を仕掛ければ、魏軍に甚大な被害を与えられると思っている。」
「それは机上の空論。こちらに向かってくる魏軍は、三万、そしてそれを率いるのは先帝も恐れていたあの張郃との情報も入ってきています。急ぎ、要所である街道を押さえるべきです。」
「・・・。王平殿、もうよい。戦は変化するものだ。この戦いの総大将は私だ。私の決定が全てなのです。」
「・・・。わかりました。もう何も申しますまい。」
こうして、馬謖は総大将としての権限を発動し王平を黙らせ、街亭山の山頂に陣を張ったのである。
一方、張郃である。
張郃も街亭の重要性はわかっており、得意の急行軍をかけたが、今回は先に蜀漢軍に占拠されてしまったようだ。張郃はまずい、と思いながらも先を急ぐ。その時、追加の情報が舞い込んできた。
「敵将の馬謖、街亭山の山頂に陣を張った模様。」
この一報に、張郃は驚き、確認する。
「それは、本当か。本当の話か。」
「はい、もちろんです。この目で確認してまいりました。」
「そうか、ご苦労。」
張郃の中で生気がみなぎってきた。
「天は我を見捨てなかった。皆の者、更に急行だ、ついてこい。」
張郃軍は更なる加速をする。
街亭にたどり着いた。報告通り、山頂に布陣している。
張郃は軍令を出す。
「軍令だ。山頂を囲むように全ての街道を封鎖、完全に包囲せよ。」
張郃軍の布陣が始まる。街亭山を完全に包囲したのだ。
そしてたちまちに麓にある水源をわかる範囲で全て押さえたのである。
山頂で湧き出ている水はほんのわずかであり、とても一万の兵の飲み水には足らなかった。その上、完全に包囲をされているので、水はもちろん、食糧の補給もできないのだ。
馬謖は、山頂から見下ろした魏軍の隙の無さに、攻撃をかけることを躊躇した。王平が言う。
「馬謖殿。このままここにいても、全軍、飢え死にです。私に兵二千をお与えください。必ずや、道を切り開いて見せますので、馬謖殿はその道をお進みください。」
「わかった。すまぬ、王平殿の言うことさえ聞いていれば。」
こうして、王平は決死隊二千を率いて、一気に山頂から駆け下りる。この突撃で出来た穴に、何とか馬謖も到達することができ、命からがらの逃走となった。
張郃は包囲を解き、全軍で追撃を敢行した。そして途中で引き返し、奪われた涼州三郡を応援の兵を待って、次々と奪還していったのである。
張郃は郭淮に言った。
「伯済よ、今回の馬謖の布陣を見てどう思った。」
「ありえない、と思いました。」
「そうであろう。兵法書を読むのは構わないが、本当に活かせるかどうかは別問題なのだ。山頂からの攻撃は、上から下への圧力をかけることが出来る故、確かに有利。しかし、それは攻撃側の兵が多いこと、完全に補給線を確保しての事だ。馬謖は我々より寡兵であることを知りながら、山頂に布陣した。伯済よ、戦は生き物だ。徹底的に現実を突き詰めて考えて、行動せねばならん。」
「はい。机上の空論を振りかざさず、現状の分析をすることに心血を注ぎます。」
この馬謖の敗戦で、蜀漢軍は退却を余儀なくされた。
もし、この重要拠点を馬謖以外が守っていたなら、歴史の展開が多少なりとも変化していた可能性があるほどの、重要な戦いであった。
先帝である劉備は、以前、諸葛亮に馬謖は重要な局面で使うべきではない、と助言をしている。諸葛亮もまた、人の意見を聞かずに失敗したのだ。
結局、馬謖は軍令違反で斬首。自らも、丞相の位から降格をさせて、責任を果たした。
この街亭の戦いの勝利は張郃によりもたらされた。
明帝はこの功を称え、張郃を「特進」とした。
特進とは、「三公」に準じる特別な官位であり、三公である大尉、司徒、司空と同等の待遇を受けられるという高位の栄誉職であった。
こうして、張郃は魏には無くてはならない宿将となったのである。




