第35回 張郃、定軍山の戦いで夏侯淵を失う
劉備軍に動きがあった。
陽平関付近での争いに飽いたのか、軍を定軍山に移動したのである。陽平関が漢中の北方の防御拠点であれば、定軍山は南方の最重要拠点と言える。
両軍は、ここで対峙することになった。
夏侯淵は、劉備軍の全貌を見て、呟く。
「何だ、これは・・・。劉備め、これほどの兵を擁するまでになっていたのか・・・。」
見渡す限り、劉備軍の兵で埋め尽くされていた。総勢は一〇万を超える規模であった。
一方の夏侯淵軍と張郃軍は合わせて五万強である。関中の安定のためにも兵を割いていることから、兵力に関しては曹操軍が劣勢となった。
ここで、急報が入る。
「敵部隊、張郃将軍の隊に集中攻撃をかける模様。」
夏侯淵は即座に軍令を出す。
「張衛、一万の兵を率いてすぐに張郃軍の救援に行け。」
張衛は降ってから、夏侯淵の軍に所属していた。
張衛は命令通り、張郃の救援に向かう。
しかし、これは劉備軍の軍師「法正」による陽動作戦だったのである。
張衛を出して手薄になった夏侯淵の本陣を、劉備軍の宿将ともいえる黄忠が一気に襲う。虚を突かれた夏侯淵は、いつもの武勇を披露する暇もなく、黄忠に討ち取られたのである。
黄忠が夏侯淵の首を槍先に掲げて、大声で叫ぶ。
「劉備軍が黄忠、敵将夏侯淵、討ち取ったり。」
夏侯淵軍の兵士たちは、潰走を始めた。夏侯淵戦死、の知らせがすぐに張郃の下にも入った。郭淮が言う。
「ここは張郃将軍が総大将であることを喧伝し、潰走する兵をまとめて、迅速に退却すべきが肝要かと。」
「わかった。」
張郃は一言言って、兵士たちに触れ回る。
「今から、全ての曹操軍の兵士は私の命に従え。従わない者は身分を問わず、その場で斬る。」
張郃のこの一言で、潰走していた曹操軍は徐々に落ち着きを取り戻した。
そして張郃は見事な撤退戦を行い、曹操軍の損傷は最小限に留められたのである。
しかし、陽平関を維持することは困難であり、陽平関を出て北進し、長安に向かって全軍撤退した。
劉備は、夏侯淵を討ち取った黄忠を激賞した。そして、確認した。
「それで、張郃はどうなった。討ち取れたのか。」
法正が答える。
「残念ながら、取り逃がしました。敵ながら、ほれぼれするような撤退戦を展開していました。」
「そうか・・・。我々にとって、一番危険な人物はまだ存命なのだな。次こそは、必ず・・・。」
劉備は、曹操軍の中でも張郃を最も警戒しており、討ち取れなかったことを心から悔しがった。
こうして、漢中を領して数年間で曹操は漢中を失うことになったのである。




