第30回 張郃、陽平関に夜襲を敢行する
夜襲の事は当日まで他言無用、という軍令が出ており、夜襲部隊の選抜自体、当日まで出来ないことから、張郃は頭の中で人選を行っていた。
翌日、その次の日も大盾の密度を上げ続けての関門突破を試みたが、功を為さず失敗に終わった。そして、曹操軍は撤退を開始したのである。
張衛が追撃をしてきた場合の策も考えていたが、どうやら猪武者ではないらしい。何かの雰囲気を感じたのか、張衛が追撃してくることは無かった。
張衛は兵士たちに言う。
「お前たち、よくやった。曹操軍は、退却した。我らの手柄は歴史に刻まれるであろう。本来、我々五斗米道の教義では酒は禁忌とされているが、今宵に限り、その禁を解く。」
兵士たちは、拍手喝さいであった。
生粋の五斗米道信者は酒を全く飲まないが、途中から信者になった者や、傭兵たちには喜ばしいことであった。
―深夜―
張郃の軍営の兵士にのみ、招集命令が出た。
今から名前を呼ばれた者は、前に出よ、とのことであった。
次々に名前が呼ばれていく。その数、二〇〇人。
張郃が言う。
「今名前を呼ばれた者たちは、これから私と陽平関に引き返し、夜襲をかける。私が選りすぐった精鋭たちだ。」
兵士たちがざわつく。
「私を先頭に、この二〇〇人は、陽平関わきの切り立った崖をよじ登り、そこより関内に侵入し、門を開ける。そして我らが出した合図を確認し、全軍が一気に関内に突入するという作戦だ。」
張郃は続ける。
「絶対成功できる、という約束はできない。しかし、我々がやらなければ、曹操軍の勝利は無いのだ。我々に全てがかかっている。」
更に続ける。
「残る者は、この勇者たちの無事を祈り、合図があれば、いの一番に駆け付けよ。この戦の一番手柄は、我々張郃軍の者である。」
兵士全体が沸いた。士気の高まりが、張郃自身にも伝わってきた。
そして、張郃を先頭に精鋭部隊二〇〇人が夜陰に紛れて陽平関を目指す。全員息をひそめながら、音を立てずにゆっくりと陽平関に向かって行く。明かりを使うことは出来ない。完全な暗闇を、少しずつ、少しずつ、進んでいく。
どれくらいの時が経過したか。ようやく、陽平関が見えてきた。館内からは、笑い声が漏れ聞こえてきた。勝利の宴でもやっているのであろう、と皆が感じた。
張郃が言葉を発せず、右手の人差し指を上に向けてあげた。ここを登る、という合図である。
これだけの崖に挑戦するのは、張郃すら初めてであり、当然、他の者もそうである。じりじりと崖を昇るにつれて、自分の心拍が高鳴るのが良く分かる。鼓動の音が耳の中でうるさいほどに聞こえてくる。しかし、うるさくなればなるほど、最終到達点が近付いてきている。いよいよ、ようやくにしてたどり着いた。一人の脱落者が出ることもなく、全員が崖を登り終えたのである。
しかし、これは「課程」であり、まだ結果が出たわけではないのだ。息を殺しながらも呼吸を整えた。ここで焦りは禁物と、しばし、休息の時間を張郃は確保した。
崖の上の狭い幅の所を、ゆっくりと進んでいく。
すると、とうとう、関内に突入できるところまで来た。
一部見張りの者はいるが、その士気は緩んでおり、居眠りをしている者もいた。
張郃は声を全く出さず、右手を振り上げ、勢いよく振り落とした。突撃の合図である。あらぬ方向から、人が駆ける音が聞こえてくる。反応の早い兵士が気付く。
「敵襲だ。」と、叫ぶつもりであったのだろうが、張郃の剣が早かった。
次々に敵を斬殺し、関門を開けることに成功した。そして、崖の上に待機している兵士に、火を焚き、本営に合図を送らせた。
本営がすぐさま動き出したのがわかる音が聞こえてくる。
開け放たれた門に、曹操軍が密集して突撃してくる。
はむかう者は殺し、降伏する者は捕らえた。
残念なことに、張衛たち指揮官は逃げ足が速く、捕らえることが出来なかったが、張郃の活躍により陽平関は陥落したのである。




