第21回 張郃、開戦を待つ(前)
さて、この頃の「呉」の孫権はどうしていたか。
曹操が荊州を無傷で手に入れた今、次なる標的は当然に自分たちであるということは自覚していた。
曹操は、荊州水軍を中心に、水戦の訓練に明け暮れているとの情報も入ってきた。更に、総兵力は三〇万という情報も届いた。呉の有する兵力の一〇倍である。
この情報を聞いて、呉の参謀、名士たちは開戦論と降伏論に分かれており、現状、降伏論が優勢となっているのだ。
曹操は、祖父の「曹騰」が大宦官であること、父親の曹嵩が殺されたとき、徐州で大虐殺を行ったということで毛嫌いをする名士が多い一方で、人材を大切にすること、降将でも能力ある者はすぐに高位につけることから、名士層の評判は総じて悪くはなかった。
呉の参謀、名士たちも、曹操に全面降伏をしたとしても、仕える相手が変わるだけ、なのである。
孫権も、最近全面降伏した劉琮が、国替えはされたものの、青州刺史に任じられ、列侯にも取り立てられたという話を知っている。無理して戦わなくてもいいのではないか、という弱い気持ちが生じ始めていた。
しかし、敢然と開戦論を振りかざす名士が二人いた。
「周瑜」と「魯粛」である。
周瑜は孫呉水軍の総督であり、魯粛は参謀をつとめている。
周瑜は言う。
「孫権様、兵力格差から言えば、敵は一〇倍の兵力を有しています。しかし、戦は数ではありません。我が水軍精鋭三万で、十分に対抗できると考えます。」
「しかし、総督。敵は荊州の水軍を無傷で手に入れている。しかもあの文聘がそのまま指揮をすることになっている。それだけでも、かなり手強いのではないか。」
「文聘は確かに手強い相手ではありましょう。しかし、所詮は敵に何もせずに膝を屈した者です。我々の敵ではありません。」
ここで、魯粛が発言をする。
「孫権様。総督のご意見がごもっともでございます。戦は兵力ではございません。それは、父上である孫権様も兄上である孫策様も、証明されているではありませんか。」
「確かに、戦は兵力だけではない。しかし、私に父上や兄上を超える能力があるとは思えない。」
「何をおっしゃいます。孫権様こそ、英邁なご君主であるからこそ、これだけの者がお側に仕えているのですぞ。最も、自分のことばかり考えて弱腰の者がほとんどですが。」
ここで、降伏論の代表者である「張昭」が口を挟む。
「魯粛殿、言葉が過ぎますぞ。我々も、曹操に膝を屈することを潔よしとはしていない。しかし、無謀な戦いに挑んで民を巻き込み、それこそ孫権様の身に何かあったらどうするのだ。」
「言い過ぎたのは謝りましょう。しかし、やはり戦うべきです。ご提案がございます、よろしいでしょうか。」
「ああ、頼む。」
「大きな戦力になるとは申しませんが、先日まで劉表に属していた劉備が、約一万程度の兵を保持して夏口にとどまっております。私が行きますので、同盟を締結しては如何でしょうか。」
「劉備と同盟・・・。本当に役に立つのか。」
「劉備には、関羽、張飛、趙雲といった一騎当千の猛将がおり、更には、最近あの伏龍と言われた諸葛亮を参謀としてその傘下におさめました。兵力こそ少ないものの、何かの役には立つかと思います。」
「そこまで言うなら、魯粛よ。劉備のもとに行って参れ。」
「畏まりました。」
「本日は一旦ここまで。続きは魯粛が戻った後だ。」
こうして、開戦か、降伏かの議論は一旦終了した。
帰り際、周瑜が魯粛に言った。
「魯粛殿、劉備との同盟の話は初耳だ。」
「申し訳ございません。私としても悩んでいたものでして・・・。ただ、あのまま評議が続けば、こちらが不利になると思い、あの場で提案する形となりました。」
「そうか、別に責める気はないのだ。ただ、仮にうまくいっても役に立つかどうか。」
「私は、諸葛亮がついた、というところを買っています。いずれにしても、直ちに夏口に向かいます。」
魯粛は急ぎ劉備の下に向かったのである。
呉が開戦か、降伏かでもめている間も、張郃は水軍の調練に参加をしていた。積極的に大型船から小型船まで、実際に船に乗ることを重ねたことにより、船の揺れから起きる体のだるさといったものは、全く感じないくらいに、体と感覚は船になじんできたといってよい。
しかし、どれだけ調練を積み重ねようと、水や船になじまない兵というのもかなりおり、体力が低下した者はやはり疫病にかかりやすくなるなど、体調不安を抱える者がかなりの数にのぼった。
張遼は言う。
「儁乂、お前の所の兵の調子はどうだ。」
「水になじむ者、なじまない者、半々といったところか。」
「俺の方もそんな感じだ。このままだと、水軍の主力は文聘殿と荊州水軍に委ねることになりそうだな。」
「ああ。開戦時期にもよるだろうが、それが現実的であろうな。」
「そすると、数での優位が保てなくなるな。孫権の水軍は数こそ少ないが、その精強さといったら桁違い、という噂だからな。」
「そのためには、文遠よ、我々の軍は少なくとも水軍の役に立てるまでの段階にしておかねばなるまい。」
「ああ。やれることをやり切るのが、我々のつとめだ。」
こうして、張郃は開戦を前提に、慣れない水軍の調練に勤しむのである。




