第12回 張郃、白馬・延津の戦いに参戦する
公孫瓚を滅ぼし、袁紹は河北を統一、北方の安定化に成功した。そして、次なる敵は曹操である。
曹操は袁紹が公孫瓚に集中している間に、その勢力を急拡大していた。最も、国力では袁紹が大きく上回る。
そして両雄が衝突することになるのが、この白馬・延津の戦いである。
白馬も延津も城ではなく、黄河の重要な渡航拠点と思ってもらえばよい。
まず、仕掛けたのは曹操であった。白馬を手厚く包囲していた袁紹軍に向かって行った。一方で、主力を延津に向かわせるという陽動作戦を敢行した。
袁紹軍は、曹操軍の主力が延津に向かったことに反応し、袁紹軍の主力も延津に向かったのだ。そこで曹操軍は、手薄になった白馬に曹操自ら急行して突撃をしたのである。そしてその際、袁紹軍で、勇猛で名を馳せていた「顔良」を見事討ち取ることに成功したのだ。
袁紹軍は許さじと延津に向かう曹操軍を追撃したが、策にはまりまたもや猛将の「文醜」をも失うことになるのである。
戦は兵力だけではない、ということを曹操はこの結果で示したことになる。
この序盤の戦いで、顔良、文醜という二将を失ったことは、袁紹軍にかなりの打撃となり、後々まで影響することになる。
しかし、著名な二将が亡くなったことで、以後、袁紹軍における張郃の存在は重きをなすことになるのである。




