閑話 夢
マンションの廊下。
305号室の部屋の前で、扉に手を伸ばしている。
自分の意思ではなく、身体が勝手に動いている感覚。
(これは・・・・・・夢か)
偶に経験する、夢を夢だと自覚できる明晰夢。
どうせなら大量のファンタジー生物でも出てくれればいいのだが、残念ながら今見ているものは違うようだ。
見覚えのある場所。
俺の体は小さくて、小学生低学年ぐらいの時か。
扉のノブを捻って中に入る。
「ん? もう帰って来る時間? 今日はしゅんくんが来るから外で遊んでなさい」
その一声を発したのは、濃い化粧をした女。
俺の、前世の母親である。
・・・・・・
・・・
同級生を見ていると、どうやら俺の生活は一般的なものとは言い難いものらしい。
両親は離婚。
親権は母が獲得したが、自由人の母は子供の育児に割く時間、リソースを放棄した。
俺の行動範囲は、近くの公園。
もしくは少し離れた場所にある、人気の薄い河川敷。
夏は河川敷にいることが多く、逆に冬は公園のドーム状の遊具の中でよく過ごした。
一般的でないことに何故か恥ずかしさを覚えてた頃。
よく俯いていたのを覚えている。
その恥ずかしさは、誰かが後ろ指を指すからであって、他者を見下ろした価値観のそいつらが逆に恥ずかしい存在だと気付いたのは、三十を過ぎてから。
後から思い起こせば、学生の頃は兎に角余裕がなかったのだと思う。
(この時期は・・・・・・)
時間が点々とする夢の中。
変化が訪れた小学三年生。
児童相談所が家に来たらしい。
俺は家に入れられるようになった。
同時に、母親の彼氏からの暴力が始まった。
「ちっ、気持ち悪ぃな。見てんじゃねえよ!」
なにかと気に入らない事があれば、すぐに腕が振り下ろされる。
とても加減しているとは思えない威力を受けて、肌が青く腫れた。
「ちょっと、人目につくとこにやったらまた面倒よ?」
「分かってるよ。服で隠れるとこならいいだろ」
自分が優位になっていれば、これだけ残酷になれるのかと、顔を守るようにして出した両腕の間から見続けた光景に吐き気だでた。
このまま殴られるだけの生活が続く。
そんな将来が見えた当時、俺はなけなしの金を手に取って家を出た。
学校帰りに見えたある施設。
ボクシングジムへと。自衛できるようになるための手段を得たかった。
「ん? なんだ坊主?」
ジムのオーナーは髪が後退した男だった。
ただ肉体は鍛え抜かれていて、衰えがない。そして後ろに見える、強そうで自信を持っていそうな人たちを見て、決意は固まった。
手に持っていた32円を差し出して、
「殴り方を教えて下さい」
見下ろして手元の金に視線を向けたおっちゃんがこの時なにを思っていたのかは分からない。
ただ、差し出した硬貨を手に取り口角を上げてこう返された。
「おぅ、最強にしてやる」
全く足りないはずのお金で、おっちゃんは俺に手を貸してくれた。
「まずはそのへなちょこな体をなんとかしないとな。こっちにきな、飯を食って肉をつけるんだ。うちには毎日寄れよ、一日休めば体が三日はなまっちまうからな」
ご飯を貰った。
その日から指導が始まった。
拳の握り方、顎の引き方、足の動かし方。
それだけに留まらず、勉強の面倒まで見て貰った。
「こんぐらいは分からなきゃ大人になっても恥をかいちまうからな。圧倒的な力を持ってても、おつむが残念じゃあ恰好がつかんだろ?」
きっと、俺が理解できていない道徳的な部分を教えられたのだと思う。
反面教師しかいない中で、なにを目指せばいいか分からなかったから。
三年間が経って、栄養を十分に得た身体は一気に成長した。
その間も暴力は続いていたが、その日は男の様子がいつもとは違った。
相当酔いが回っているのか、顔を赤くさせて呂律の回らない口でなにごとかを叫ぶ。
「くっそぉ、はらたつなぁあ!! きょうれごまんもすっちまった!」
酒瓶を投げつけられ、額が割れて血が滴る。
「あ゛? あにみてんだよ。てめえもはらんなかでわらってんだろぉ!!」
馬乗りにまたがってきた男が俺の首を絞める。
一気に酸素の供給がなくなり、視界がぼやけた。
――あ、死ぬ。
直感的にそう悟った。
走馬灯というのだろうが、今までのくそみたいな生活を思い起こして。
こんな奴に殺されるのかと、自分の存在意義が、ゴミ以下なものに思えた。
次いで、殺されるぐらいならと、理性が壊れた。
そこからはただ我武者羅に暴れた。
殺されるぐらいなら、俺も殺してやると、本気の殺意を込めて拳をふるった。
結果として、男は怯えた表情を浮かべて逃げていった。
もう既に、俺は自分を守れるだけの力があった。
ただ、すぐに頭が冷える。
自暴自棄になったから取った行動だが、今自分は生きてて、男も同様だ。
復讐に来るんじゃないだろうか。
母と分かれるならもっと強い相手が来るんじゃないか。
などと不安が溢れた。
(結局杞憂に終わったけどな・・・・・・)
母は外で過ごす事が多くなった。
ただ、それでも中学卒業までの同じ家で過ごしていた間は怯えて過ごしたのを覚えている。
足蹴くジムに通い続け、少しでも自分を強くした。
晴れない恐怖の中、俺は『楽園』と出会うことになる。
「これ、どうかな?」
「なんだこれ?」
ひょんなことから出来た中学の友人。
彼は以前に俺が助けたお礼にと、謎の機械を渡してきた。
「ゲーム機器。親戚のおじさんに貰ったんだけど、僕は既に持ってるから」
「いやこんな高価なもん――」
「お願い! 絶対気にいってくれると思うんだ!」
友人の押しに負け、ついつい受け取ってしまった。
既に一つゲームがインストールされているらしく、それで遊んで欲しいと言う。
家に帰り、取り敢えず一度遊んで感想だけ伝えようと起動した。
年齢確認の画面で少し顔が引きつったが、取り敢えずゲーム内に入る。
結論を言えば、俺はそのゲームに魅了された。
どの部分をと言われると難しいが、一言で言えば、ゲーム内の生物が『生き生きと生を謳歌している点』だろうか。
彼らが安らかに眠っていれば、自然と心が軽くなった。
楽しそうに平原を走っていれば、何故か気分が高揚した。
俺は自分が思っているよりも、共感性が高かったのかもしれない。
憂鬱な現実ですり減る心の重荷が、幾分か降りた気分になった。
電気代を掛けないよう、一日三十分。
時間が増えたのは、中学を卒業して家を出てから。
バイトを掛け持ちして食つなぐ日々で、時間を見つけて没頭した。
「おめえ、少し顔色が良くなったな」
ジムのおっさんには、目が生き返ったと言われた。
家からは出たが、お金を払えるようになって、少しでも恩を返せるようにジムは通い続けた。
「憧れを見つけたからですかね」
「おっ? なんだ、俺のことか?」
「うーん、オーナーは憧れの半分ですよ」
「全部じゃねえのかよ~ もう半分はなんだ?」
一拍を置いて、俺は答える。
「龍です」
ゲーム内の生物。
並び立つ者がいないというように、威風堂々とした様のその空想生物に、俺は憧憬を抱いた。
◇
「・・・・・・懐かしいな」
朝、目を覚まして体を起こす。
夢にしては珍しく鮮明に覚えている。
今は会えないが、大人になっても付き合いのあった友人とおっちゃんの顔がまた見れて良かった。
彼らは今頃なにをしているだろうか。
そんなことを考えながら、部屋の扉を開き、外の空気を取り入れる。
もしも俺の存在が片隅にあるのだとすれば、心配する必要はないと伝えたい。
「いつか、龍を見に行きます」
あの日、『そりゃかなわん!』と盛大に笑ったおっちゃんへ。
心配の必要はありません。
なにせ、憧れだった世界に来ることができたのだから。
今回は閑話なので、正午あたりにもう一話投稿します(*'▽')




