第18話 恐慌
翌日、僕はダンジョンに赴いた。
結局【ワースケベ】に関しては分からないことだらけだったので、実地で確かめてみることにしたのだ。
天塚さんと潜っていたダンジョンとは別のところなので遭遇する心配もないだろうし、そもそも出現モンスターが渋い――要するに素材の買取金額が低いこともあってあまり人気もない。
閑散とした場所なので色々試してみるには丁度良いと思ったのだ。
ネックになる配信も貸与品じゃなくて自前のを用意して、バッテリーを引っこ抜くことで誤魔化すことにした。
犯罪に巻き込まれたときは僕が圧倒的に不利になるけれど、そもそも悪いことをする気もなければ、誰かと関わるつもりもないので問題はない。
……はずだったんだけれど。
「聖奈のトコのわんこ」
僕はさっそく窮地に陥っていた。
モンスターを蹴散らしつつ獣から人獣へと変身できないか色々試していたところで、ばったり瑠璃華さんと出くわしてしまったのだ。
身に纏っているのはフリルとリボンがたっぷりとあしらわれたゴスロリ系のワンピースドレスで、ところどころに入ったボルドーレッドの差し色になっていた。
瑠璃華さん自身が白い肌に金髪なこともあって、まるでビスクドールのようだった。
「……迷子? それとも、逃げてきたのかしら」
モンスターの匂いで接近に気づけなかった僕は、逃げる暇もなく瑠璃華さんに抱き上げられてしまった。
憂いを帯びた表情に、驚くほど長い睫毛。
化粧品っぽい匂いはまったくしないので、おそらく素だ。
聖凛学院で出会ったときは強気な感じの子だと思っていたので、あまりにも雰囲気が違いすぎて面食らってしまう。
「ふぅん、本当に逃げないのね……ふわふわで、あったかい」
むぎゅっ。
華奢だと思っていた瑠璃華さんだけれども、着やせするタイプなのか結構なものが押し当てられる。天塚さんの二の舞になる前に逃げなければ、と理性が叫ぶけれど、天塚さんとは違う、しかし甘やかな香りに鼻腔をくすぐられて動けなくなってしまう。
「あなたもひとりぼっちなのね」
金木犀のような、濃密で強い甘みのある匂いに思考を塗り潰されまいと必死に抗う。
そんな僕を知ってか知らずか、瑠璃華さんは腰のベルトポーチをまさぐり、小さな木片を取り出した。
糸だか布だかがぐるぐると巻かれたそれは十字架のようなシルエットだけれど、頭の部分だけが丸くなっていて人形のようにも見える。
「――〈隠遁結界〉」
ぱき、と人形の頭部をへし折ると同時、周囲を包み込むようなスキルが発動された。
結界だろうか。隠遁と言っていたので、バリアとしてだけではなく、認識阻害効果もあるはずだ。
人形を投げ捨てた瑠璃華さんが、壁を背もたれにしながら座り込む。
瑠璃華さんは静かに僕を撫で始めた。
《《ぐず》》、と鼻をすする音がする。
視線をあげると、瑠璃華さんは泣いていた。
目の前で女の子が泣いている。どうしていいか分からずおろおろしてしまう。
僕の動揺が伝わったのか、瑠璃華さんは涙を流しながら笑った。
「……ごめんね、びっくりしたよね……すぐ泣き止むから」
何があったのか。
どうして泣いているのか。
気にはなるけれど今は喋れない。瑠璃華さんもまさか犬が喋れるなんて思っていないのだろう、独り言みたいな雰囲気で呟いた。
「ありがと。キミ、ふわふわで気持ちいいね。それに良い匂いがする……落ち着くなぁ」
「わふっ!?」
「……何よ。もしかして嗅がれたくの?」
「くぅん」
「ふふっ……言葉が通じてるみたい」
頬に涙の痕を残したまま笑う瑠璃華さんは、はっとするくらい綺麗だった。
「こんなとこにいるってことは……キミもひとりぼっちなのね」
「わう?」
僕の鳴き声を相槌と受け取った――かどうかは定かではないけれど、瑠璃華さんはぽつぽつと話し始めた。といっても瑠璃華さんは僕が理解しているとは思っていないので、かなり断片的で感情的な言葉の羅列だ。
「……なんで私は聖奈に敵わないんだろう」
聖凛学院で会ったとき、瑠璃華さんは天塚さんを敵視するというか、ライバル視するというか、とにかく負けず嫌いな雰囲気だった。
「……私が聖奈に勝てれば、またママと一緒に暮らせるのに」
天塚さんに勝つと、お母さんと暮らせる……?
家庭環境がずいぶんと複雑らしい。
事情を飲み込めるはずもなく、瑠璃華さんを見つめてしまう。もう少し話してくれないか、と念じたけれど、瑠璃華さんは困ったような笑みを浮かべて僕を撫でた。
「ごめんね、変なこと言って」
「わう」
「私もわんこだったら良かったのにな。そしたら……ああ、でも雑種って言われるだけか」
自嘲混じりの笑み。自らの言った言葉に傷ついているかのようだった。
詳しい事情は分からない。ただ、瑠璃華さんにも何か抱えているものがあることだけははっきりと感じられた。
「キミ、聖奈のとこから逃げてきたんだったら、うちの子にならない?」
「わうっ!?」
「お家も……あー、まぁ庭は大きいし、ご飯だって美味しいの用意するよ……キミくらい、私を選んでくれても――」
縋るような言葉はしかし、最後まで紡がれることはなかった。
びしり、
瑠璃華さんの結界にひびが入ったのだ。
魔力が破片となり、崩れながら空気に溶け消えていく。代わりにできた隙間から覗いたのは、真っ赤に光る眼球だった。
モンスターだ。
「~~~ッ!?」
瑠璃華さんが声にならない悲鳴を上げる。
ぎゅっと潰されるほどの勢いで抱きしめられるけれど、静かにぬいぐるみをやっている場合ではないのでじたばたして抜け出す。
「わぅんっ!」
気合の咆哮に合わせ、僕の中の魔力が渦巻く。
・――個体名:大上刀夜がワースケベ形態へと移行します。
メキメキと異音が鳴り、僕の身体が大きくなっていく。
ガラスが砕けるような音とともに結界が崩壊。僕の真正面に巨大なモンスターが現れた。
体長は二メートル超過。
人型のシルエットをしているが、頭部は黒山羊で額には六芒星のマーク。背中にも黒い翼が生えている。
体毛で隠された股間からは、てらてらした鱗の蛇――比喩ではなく、本物の蛇が生えていた。
バフォメットと呼ばれるモンスターだ。
「ヴォォォォォッ!」
僕が動く前に、バフォメットが吼えた。
同時にバフォメットの目が強烈な光を放つ。
・――個体名:大上刀夜に状態異常:〈恐慌〉が付与されました。
・――〈恐慌〉を抵抗しました。
恐慌……抵抗できたらしく、僕は何も感じなかったが、背後から悲鳴があがった。
慌てて視線を向けると、瑠璃華さんがうずくまりながら震えていた。
「ごめんなさい痛いことしないでごめんなさいごめんなさい許してくださいごめんなさい」
「わんっ!?」
「ぶたないで怒鳴らないでごめんさいいい子にしますごめんなさい生まれてきてごめんなさい」
完全に正気を失った瑠璃華さんは、目の端からぼろぼろと涙を零しながら、何かに向かって必死に謝罪をしていた。
どうすれば良いかは分からないけれど、戦えないことだけは明らかだ。
……つまり僕がやるしかないってことだ。
「ヴァァァッ!」
再びバフォメットが吼えるが、天の声が状態異常をレジストしてくれたことを教えてくれた。
慌てながらも雄たけびを繰り返すが、そのたびに天の声がレジストを告げる。
状態異常を重ねるのに必死ということは、バフォメット自体には大した戦闘能力がないことの裏返しだ。
背後にいる瑠璃華さんをこれ以上悪化させないためにも、さっさと倒してしまおう。
正面から突撃する。
狙うのは首。多くの生物にとって弱点となる部位だ。
「ぐるぁぁぁぁっ!」
「ヴォッ!?」
僕の振るった爪を避けるべく、バフォメットが慌てて身を引く。が、蛇には蛇の意志があるのか、無理やり身体を伸ばして僕に噛みつこうとしてきた。
毒を持っていてもおかしくないし、無毒だったとしても生えている位置的に汚そうなので噛まれたくない。
本当は触るのも嫌だったが、空振りしそうな爪の軌道を変えて、無理やり蛇を引き裂いた。
てらてらと光る鱗では僕の爪を防ぐことなどできるはずもなく、《《なます》》に斬られた蛇がぼとぼとと地面に落ちた。
「ヴァァァァッ!?!?!?」
蛇を斬り落とされたバフォメットが絶叫する。股間をおさえてのたうち回る姿は、金的を喰らった直後のような動きである。もしかして、痛覚はバフォメットと蛇で共通なんだろうか。
……だとしたら酷いマヌケである。
予想外のリアクションに困惑してしまうし、男としては同情する。だが、だからと言ってモンスターを見逃すはずもなく、再び爪を振るう。
魔力を纏った僕の爪は然したる抵抗もなく、バフォメットの頭を斬り潰した。
バフォメットの身体から力が抜け、くたりと崩れたのを確認してから瑠璃華さんへと向き直る。元凶を倒したから回復してないだろうか、と期待したのだが、
「……泣いで、ごべんだざい……!」
彼女は未だに恐慌に囚われたままだった。
瑠璃華さんが何を恐れているのかは分からないが、このままでは安全なところに避難させることすら難しい。
何とか落ち着かせないと……落ち着く……?
そういえば、さっき僕を抱っこした瑠璃華さんが落ち着くって言ってたな。
このままでは埒が明かないので、ダメ元で瑠璃華さんに近づいていく。
「こ、来ないで……いやっ、何にもしない! もう口ごたえもしません! 絶対逆らいません!」
壁を背にした瑠璃華さんが絶望的な表情を浮かべるが、別に僕は何もしようとはしてない。
もふっとした首から肩の辺りを瑠璃華さんに押し当て、頬を撫でるように動かしていく。
「あっ……え……わんこ……?」
果たして、効果は絶大だった。
暴れようとしていた瑠璃華さんは見る間に落ち着いていき、すぐに僕に気づくことができたのだ。緊張が抜けたのか、ずるずると腰を落とし、ペタンと座り込んでしまう。
僕は瑠璃華さんに毛を引っ張られ、縋りつかれてしまった。座り込んだままの瑠璃華さんに合わせるのに、前脚を折るような形になるが、仕方ない。
よほど怖かったのだろう、瑠璃華さんは震えながら静かに泣いていた。
どのくらい経ったのだろうか。
血の匂いに紛れて気づかなかったけれど、結構なピンチが訪れていた。
……いや、あの……その、ですね……怖かったんだなぁ……というか、その、はい。
恐怖からか、それとも安心した気の緩みからか。
瑠璃華さんは粗相をしてしまっていたのだ。
瑠璃華さんのスカートからゆっくりと染み出した液体が、じんわりと地面を湿らせながら広がっていた。僕の前脚はまだ濡れていないものの、かなりギリギリのラインである。
は、早く立ち直って……!
泣いている女の子を無下にすることもできず、僕は静かに祈るしかなかった。




