第14話 さよなら
身体の自由が戻ると同時、視界がぐにゃりと歪んだ。
ローパーに付与された状態異常だ。
……身体の自由と一緒に、状態異常が戻ってきたのだ。
「がっ、ぐぅ……っ!」
早鐘のように打つ鼓動。ぐらぐらに揺れる視界。肌を刺すような痛み。このままでは死んでしまうんじゃないかってほどの苦しさに思わず苦鳴が漏れる。
身体の中で暴れまわる何かに突き動かされ、肉塊へと転じた元ローパーに向けて前脚を振るう。力任せの一撃によってローパーは一瞬で挽肉になったが、心はまったく満たされなかった。
それどころか、中途半端に刺激したせいで、欲望はさらに強くなってしまったようだった。
餓え。
あるいは渇き。
何かを支配し、自分のものにしたい。
取り返しがつかないほどにめちゃくちゃにしてしまいたい。
破滅願望にも似た本能に支配され、吸い寄せられるように天塚さんへと視線を向けた。
天塚さんもまたローパーの状態異常に苦しんでいるらしく、浅い呼吸をしながらがたがたと身を震わせていた。
ぐっしょりと身体を濡らす冷や汗は彼女の苦しみがどれほどキツいものかを物語っていた。
でも、僕の五感はその味を。そして匂いを記憶してしまっている。
馥郁たる香りに、僕の本能が揺さぶられる。
……何も命を奪う訳じゃない。
ただ、無垢な彼女の身体を貪り、僕のものである証を刻みつけるだけだ。
ローパーの状態異常のせいだから僕は悪くない。天塚さんだってきっとわかってくれる。
そもそも、あのままではローパーに蹂躙されていたであろう天塚さんの命を救ったのだ。死ぬことに比べれば、このくらい大したことじゃないだろう。
後遺症が残るわけでもなければ、顔や身体に傷が刻まれるわけでもない。むしろ彼女だって喜んで受け入れてくれる――それどころか、ハマって病みつきになる可能性だってある。
身勝手で都合のいい妄想ばかりがぶくぶくと膨らんでいく。
胸中で鎌首をもたげたドス黒い感情に、自然と涎が垂れた。
ぽたり、と地面に染みを作ったそれに気付いたのか、天塚さんが視線をあげた。
「ルゥくん……逃げ、て」
その言葉に、脚が止まった。
――僕は何を考えていたんだ。
状態異常に苦しんだ天塚さんは視線が定まっていない。そんな状態でなお、自分の命よりも僕の身を案じてくれているのだ。
それなのに、僕は。
全身に力を込めて歯を食いしばる。体を苛む痛みも、内臓を焦がすような欲求も、全てかみ砕くように力を込めると、天塚さんの服を牙に引っ掛け、放り投げるようにして背中に乗せた。
――助けるって誓っただろ。
――守るって誓っただろ。
――泣かせるな。傷つけるな。嫌な思いをさせるな。
自らを叱咤すると、思い切り鼻から息を吸い込んだ。
天塚さんの香り。
暴走した五感の痛み。
ローパーの体液や血肉の匂い。
それらに紛れてしまっているであろう、微かな痕跡を探る。
人、物、スキル。地上に繋がるものならば何でもいい。ただでさえ覚醒者の能力は強化されている。ましてや、僕の嗅覚はイヌ科のそれに準じる形なのだ。
見つけられるはずだ。
否、見つけて見せる。
ぐちゃぐちゃに混ざった匂いが脳に沁み込むほどに鼻腔の中に満ちる。
酷い吐き気と頭痛に襲われながらも、背中の温もりと香りだけを支えに何とか探り続ける。
……これ、か……?
痕跡というにはあまりにもか細く、地上に繋がるかも怪しい匂い。
腐臭だ。
もしかしたらシュタイン=デ・ルモントが実験に使った何かの匂いかもしれない。何かのきっかけでモンスター同士が争った結果なのかもしれない。
場合によっては、ゾンビみたいなタイプのモンスターそのものが発する匂いの可能性もある。
でも、可能性があるならそれに賭けるしかないのだ。
違ったらまた探す。
僕は絶対に諦めない。
それだけを決意して、疾風のように走り出した。
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――
僕が嗅ぎ付けたものは、果たして人間だった。
迷い込んだか、あるいは怪我をして動けなくなったのか。その人は袋小路の一角に、うずくまるように倒れてこと切れていた。
すでにそれなりの時間が経っているらしく、腐敗が進んだ死体は男女の区別すらできない状態だ。
壊れたカメラや折れた剣、そして中身のぶちまけられたバックパックは間違いなく地上の物だ。
――この匂いを辿れば戻れる。
「ルゥ、くん……」
背中の天塚さんが、しがみつくように僕の体毛を握りしめる。状態異常のせいか、高熱を出したような温度だった。
僕も僕で余裕はない。理性を焼くような獣欲に、今すぐにでも全てを放り出してしまいそうだった。僕が折れてしまえば、煮え立つような欲望は、背中で苦しみ、それでも僕を案じてくれる女の子に向かうことだろう。
そんなことは絶対に許容できない。
自らの前脚を思い切り噛む。牙が食い込み、熱にも似た鋭い痛みが走る。
少しだけ。
ほんの少しだけ冷静になれた気がする。
走る。
とにかく走る。
思考は要らない。
呼吸だって要らない。
大切なものを。
決して無くしたくないものを守るために、ただ走る。
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走るッ!
出会ったモンスターを攻撃する時間すら惜しい。
無視するか、モンスターを足場にするか、あるいは突き抜けて無理やり進む。
血にまみれて酷いことになるけれど、いつまで僕の欲望を抑えきれるか、僕自身ですら分からないのだ。
一秒だって惜しかった。
何度もモンスターと遭遇した。
何度も階層を超えた。
強化されているはずの僕の身体がぎしぎしと悲鳴を上げ、肺が破れそうなほどに痛んだ。
それでも走り続け――そうして、人の姿も見かけるほどの階層に戻ってきた。
とはいえ回復系のアイテムやスキルがあることを祈りながら天塚さんを誰かに任せるなんてギャンブルはできない。ダンジョンに併設されたJDA支部内には、回復系のスキルが使える覚醒者が常駐しているはずなのだ。
最短最速で駆け込んで、天塚さんを治療してもらう。
僕がモンスターとして認知されようが知ったことじゃない。
敵視されるようなら僕はすぐに立ち去っても良いし、最悪、攻撃されたってかまわない。
そう思ってダンジョンの出入り口へと疾走した。
「うわぁぁぁっ!? デカい狼!?」
「気を付けろっ! モンスターが出てきたのかっ!?」
「ダンジョンフラッドか!? クソっ、始末するぞ!」
「待てッ! 背中に人を乗せているぞ!?」
「どうなってるんだ!? JDA職員を呼んで来い!」
遭遇する覚醒者たちを無視して走り続け、ついに出入口にたどり着いた。たむろする覚醒者集団が武器を構えるが、頭上を飛び越えてさらに奥へと走る。
それと同時に、僕の体内にある魔素がついに限界を迎えた。だが、ここまで保ってくれたのだから十分だ。
・――個体名:大上刀夜の魔素が大幅に低下しています。
・――残存魔素の低下に伴い、ワースケベ形態が維持できなくなります。
・――省燃費形態へと移行します。
身体が縮み、背に乗せていた天塚さんの身体が宙に投げ出される。向かう先にあるのはコンクリート製の壁だ。
クソっ、このままじゃ天塚さんが怪我するッ!
仔犬ほどに縮んだ身体で、最後の力を振り絞って無理やり壁と天塚さんとの間に入り込んだ。
「っっっっっ!」
強烈な衝撃に全身を打ち据えられながらも、何とか天塚さんの直撃を防ぐ。代わりに僕は呼吸すらままならなくなり、ずるずると壁面をずり落ちた。
「きゃぁぁぁぁっ!?」
「なんだ!? 人と犬が……!?」
「あっ!? これ、聖奈じゃね!?」
「様子が変だぞ! 誰か【回復術師】呼んで来い!」
「俺は【ドルイド】だ、回復魔法を使える! 通してくれ!」
人が集まってくる。
JDAだけあって、職員を呼ぶまでもなく回復術を使える【ジョブ】に覚醒した人がいたらしい。
「何か状態異常も掛かってるな……判断できないから一番強力なのを使うぞ! 【範囲回復】! それから【範囲解呪】!」
緑色の暖かい光が降り注ぎ、それからすぐに青白い光に包まれる。範囲適用のスキルだったらしく、天塚さんだけでなく僕にまでスキルが効いた。
さっきまでの息苦しさが、嘘のように楽になる。安心したせいか、そのまま倒れ込みたい衝動に駆られるが必死に堪える。
さすがに全回復とまではいかないようで脇腹には鈍い痛みが残っているが、少なくとも状態異常の方は完全に治ったようだった。
穏やかな表情で気絶している天塚さんを見ても、めちゃくちゃにしたい衝動はどこにもない。
この分ならもう大丈夫だろう。天塚さんは意識がないけれど、人が多いから不埒なことをする輩も出ないだろうし、職員にも連絡が入っているだろうから、すぐにでも保護されるはずだ。
……守れて良かった。
ほっと息を吐く。
「る、ぅ……くん……」
何か夢でも見ているのだろうか。
小さく僕を呼ぶ彼女の目尻に、一筋の雫が見えた。
涙を拭ってあげたい、と思ったけれど、仔犬の姿ではそれすら満足には叶わない。
……これで最後だから。
心の中でそう宣言すると、つぅ、と流れる雫を舐め取った。
天塚さんの寝顔が微かに緩んだような気がした。
――さよなら。
心の中で別れを告げ、僕はJDAを後にした。
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