チャコール・グレイは強くなりたい
――はじめは、ただ、その横に、隣に並びたいだけだった。
紺碧の夜空に月が白く輝いている。
小さな木の小屋の外、チャコールは干していた洗濯物を取り込む。ついでに、庭に生えている雑草を一握り摘みとって、家に入る。
摘んできた山吹タンポポと、家にあった干し赤カブのすまし汁。保存していた乾燥豆を湯で戻したもの。これも保存していたお手製乾パン。それと先日近所の人からいただいた鶏肉で作っておいた鶏ジャーキー。
それらをものの五分でほおばると、チャコールは玄関近くに立てかけてある大剣を持ち、外に出た。
涼しい風が吹いている。
チャコールは、先ほどセルリアンに作ってもらったばかりの革製の鞘から、大剣を抜き、
「――えいっ」
月明かりの下、掛け声とともに振り下ろした。
チャコールは、両親の顔を覚えていない。
父親はおらず、母親はこの島で一人でチャコールを産んだと聞いている。その母親も、チャコールが四歳の時に病に倒れ、帰らぬ人となった。
おぼろげな記憶はある。頭を撫でてくれた優しい手。子守唄を歌ってくれた優しい声。
写真もある。赤子のチャコールを抱いて微笑む、若い女性。
聞いた話だと、この写真を撮ったのは、この島の島主である、カーマインの父親だったらしい。
「これはあなたが持っておくべき物だと思うから」
そう言って、チャコールが九歳の誕生日にこれをチャコールにくれたのは、カーマインの母親だった。
チャコールの、灰色がかった癖っ毛は、母親ゆずりのようだった。
肌が日焼けしやすいのは、顔も知らない父親ゆずりだろうか。女性で、しかも普段大したものを食べていない割に、筋肉がつきやすく、力が強いのも。
母みたいに色白で目が大きな美人になりたかったという気持ちも、少しはある。
が、やっぱり、探検して自分の身を立てて、魔物から身を守るには、まず第一に、体力と筋肉が必要だ。
たいして頭も良くはなく、詠唱や魔法陣を覚えられる気もしない。もともと魔力も少ない体質だ。
今ある自分の身体で、やれることをやるしかない。
剣を振る。重く、二の腕が、背筋がきしむ。
月明かりを受けて、その剣身が白く光る。
チャコールは十歳の誕生日までは、島の教会に接する孤児院寮、「こどもの寮」で過ごしていた。五歳からは同じ敷地内の幼学校に通っていた。
孤児院といっても、親のない子どもはチャコール一人。他には、山向こうから来た寮生活の子どもが三、四人いたのと、時々親の出張や、親が洞窟探索などで長い間家をあけるなどで短期的に泊まる子が、時々いるくらいだった。
寮母さんや神父さんのほかに、島の人がかわるがわる様子を見に来て、差し入れをくれたり、掃除をしてくれたりした。誰でも出入り自由な雰囲気の、暖かい場所だった。
その中に彼――カーマイン・レッドもいた。正確には彼は、寮生ではなかった。ただ両親が島主として多忙であり、またしばしば洞窟の監視と探索に行っていたため、夜遅くまで幼学校に残っていたり、「こどもの寮」に泊まったりすることがあったのだ。
カーマインの父親も母親も、よく寮に顔を出し、差し入れをくれたり、夕食を振舞ってくれたりすることもあった。クリスマスや、チャコールの誕生日には、プレゼントもくれた。「こどもの寮」への援助資金の半分は、カーマインの家――この島の島主でもあるレッド家が個人的に出している、と聞いたこともある。
近所の人たちもよく孤児院寮に差し入れをくれた。また、近所の人に教わりながら、子どもたちで畑を作ったりもした。初めて濃紫イモを収穫した時のカーマインのはじけるような笑顔を覚えている。赤く燃えるような髪、日に焼けた肌、大きな真紅の瞳。
十歳になった冬に幼学校を卒業し、「こどもの寮」を出て一人暮らしを始めてからも、カーマインはたびたびチャコールを探検に誘いに来た。
「洞窟探検行こうぜ!」
あれは十二歳の夏。カーマインに誘われて、チャコールは初めて青脈洞に足を踏み入れた。
カーマインはどんどん進んで行き、チャコールはなんとか置いていかれないよう、ついていくのに必死だった。
ふと気づくと、一層のずいぶん深くまで来ていた。
「カーマイン、ここから、どうやって帰るの?」
チャコールが聞くと、夢中で石や草を集めていたカーマインはきょとんとしてから、キョロキョロとあたりを見回し、
「……わかんねえ。あれ、ここどこだろ?」
と言った。チャコールは愕然としたものだ。
今は慣れてしまったが。
それでもなぜか自信ありげに、カーマインは「ま、大丈夫だって!」とチャコールの手を引き、うろうろと一層をさまよった。
結局特に大丈夫ではなく、探しに来たカーマインの父のおかげで二人はなんとか帰ることができた。カーマインは父にコツンと頭を拳でこづかれ、
「迷うならせめてまわりを巻き込むな」
とだけ言われ、珍しくちょっとしゅんとしていたように見えた。カーマインの父はそれ以上は何も言わずに、大きな手でチャコールの頭をなでた。
けれど、翌日にはすっかり忘れたかのように、カーマインはチャコールの家に、冒険の誘いに来たものだった。
チャコールは、あの日々を忘れない。
初めて二人で見つけた鉱石の輝きを忘れない。
初めて二人でミニスライムを倒した時のことを忘れない。
彼の、あの日握った手のあたたかさを忘れない。
カーマインは変わってない。今もあの笑顔を向けてくれる。探検に誘いに来てくれる。
変わったのは――その隣にいつも、金色の髪の少女がいるようになったことだ。
チャコールは思う。
今はもう、ああして二人で迷うことはないのだろう。
レモン・イエローはしっかりしているし、帰還魔法も使えるのだから。
自分を助けてくれる手も、レモンの魔法の方が多くなった。
そして――
その彼女にも、カーマインは笑顔を向ける。
チャコールの胸がチクリと痛む。
その痛みを振り払うように、もう一度、濃くなった闇に向かって、チャコールは白く大きい剣を振り下ろした。
強くならなきゃいけない。
あたしは、もっと、強くならなくちゃいけない。
探検に誘ってもらえるように。置いていかれないように。
二人の――せめてカーマインの隣に、これからもずっと、並んでいられるように。




