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第九話:変わらないもの、変わったもの


同窓会という名の回復イベント(ヒーリング)から数日。俺は、再び東京という名の、高難易度ダンジョンへと戻っていた。

だが、俺の心は、以前とは比べ物にならないほど、穏やかで、そして満たされていた。それはもちろん、藤宮栞という、最高の回復薬エリクサーのおかげだ。

俺のスマホの連絡先リストには、今、一つの新しい名前が登録されている。『藤宮 栞』。それは、ただの連絡先ではなかった。過去と現在を繋ぎ、そして未来への可能性を秘めた、特別なセーブポイントの座標データだった。


彼女は、今週いっぱい、仕事の研修で東京に滞在しているはずだ。

会いたい。もう一度、会って話したい。

だが、どうやって誘えばいい? 婚活パーティーで習得したスキルは、旧友相手には不向きだ。かといって、昔のように、ただの「同級生」として接するには、俺の心は彼女の存在を意識しすぎていた。

俺が、トーク画面を開いては閉じ、を繰り返していた、その時だった。


ピコン、と軽やかな通知音が鳴った。

画面に表示されたのは、まさにその彼女からのメッセージだった。


『研修で東京に来たよ。慣れない場所で少し疲れちゃった。もし今夜、時間が少しでもあったら、お茶でもどうかな?』


そのメッセージを読んだ瞬間、俺の心臓が、トクン、と大きく跳ねた。

それは、霧島さんからクエストを言い渡される時の、あの緊張感とは全く違う。中村エリカのような強敵とエンカウントした時の、あの絶望感とも違う。

ただ、純粋で、温かい喜びが、俺の全身を駆け巡った。


俺は、焦る気持ちを抑えながら、慎重に、しかし素早く返信を打ち込んだ。

『もちろん!仕事、今終わったところだから、どこへでも!』

すぐに、彼女から笑顔の絵文字と、東京駅近くのカフェのURLが送られてきた。


約束の場所は、高層ビルが立ち並ぶオフィス街の喧騒から、まるで切り取られたかのように静かな、地下にある喫茶店だった。

年季の入った木の扉を開けると、カランコロン、と心地よいベルの音が鳴る。店内には、焙煎されたコーヒーの香ばしい香りと、穏やかなジャズの音色が満ちていた。そこは、婚活という名の戦場とは無縁の、時間がゆっくりと流れる『安全地帯セーフゾーン』のようだった。


店の奥のテーブル席で、彼女はすでに文庫本を読みながら、俺を待っていた。

「ごめん、待った?」

「ううん、私も今来たとこ」

彼女は、本に栞を挟むと、顔を上げて、あの優しい笑顔を俺に向けた。

俺は、彼女の向かいの席に腰を下ろした。テーブルの上には、小さな角砂糖と、ミルクの入ったピッチャーが、行儀よく並んでいる。


最初は、少しだけ、ぎこちない空気が流れた。

同窓会の夜。あの特別な雰囲気の中で話したのと、こうして都会の真ん中で、二人きりで向き合うのとでは、勝手が違う。

だが、運ばれてきたコーヒーの湯気が、俺たちの間の見えない壁を、そっと溶かしていくようだった。


「研修、大変なの?」

俺がそう切り出すと、栞は「そうなの」と少し困ったように笑った。

「新しいシステムの使い方とか、覚えることが多くて…。周りは若い子ばっかりだし、私、ついていくので必死だよ」


その言葉に、俺はなぜか、ホッとした。

完璧に見えた彼女も、俺と同じように、日々、新しいことと戦っているのだ。

俺は、第六話で習得したスキルを、ここで自然に発動させていた。


「へえ、新しいシステム。大変だよね」【バックトラッキング】

「そうなの。マニュアルが分厚くて、読むだけで眠くなっちゃう」

「わかるなあ。僕の仕事も、仕様書とか読むの、結構骨が折れるから」【共感】


俺は、自分の仕事について、少しだけ話した。

以前の俺なら、「SEなんて言っても、女性には理解されないだろう」と、卑屈になって口ごもっていたはずだ。

だが、レベルアップした俺は違った。

「システムを作るっていうのは、パズルを組み立てるのに似てるんだ。どうすればユーザーが使いやすいか、どうすればバグが起きないか、ロジックを一つ一つ積み上げていく。地味だけど、全部が噛み合って、正常に動き出した時は、最高の気分なんだよ」


俺がそう話すと、栞は、目をキラキラさせながら、俺の話に耳を傾けていた。

「すごいね…。私、彰君がそんなに楽しそうに仕事の話をするの、初めて聞いたかも」

そして、彼女はクスッと笑って続けた。

「高校生の時より、なんだか、自信に満ちてる感じがする。今の彰君、すごく素敵だよ」


――素敵。

その言葉は、どんな相槌よりも、どんな褒め言葉よりも、深く、俺の心に突き刺さった。

俺は、照れ臭さをごまかすように、コーヒーを一口飲んだ。


勢いに乗った俺は、自分の「レベル上げ」の冒険についても、包み隠さず話してしまった。

レベル5と診断されたこと。ユニクロを卒業したこと。写真スタジオで、カメラマンに無理難題を言われたこと。そして、中村エリカ戦での、壮絶なまでの惨敗…。

俺は、自虐的なジョークを交えながら、これまでの戦いを語った。


栞は、時折笑いながらも、最後まで真剣に、俺の話を聞いてくれた。

そして、俺が全てを話し終えると、彼女は、慈愛に満ちた、聖母のような表情で、こう言ったのだ。


「――そっか。すごく、頑張ってるんだね。でもね、私は、昔の彰君も、今の彰君も、どっちも素敵だと思うよ」


【クリティカルヒーリング! あきら の HPとMPが全回復した!】

【全てのデバフ効果が解除された!】


その言葉は、最強の回復魔法だった。

霧島さんは、俺を『変えよう』とする。

お見合いで出会う女性たちは、俺を『評価』する。

だが、栞は、変わろうと努力している今の俺も、不器用で何もできなかった昔の俺も、その全てを、丸ごと「素敵だ」と、肯定してくれたのだ。


婚活市場におけるステータスなど、彼女の前では何の意味も持たない。

本当の繋がりとは、相手のパラメータを評価することじゃない。相手の存在そのものを、過去も現在も、全て受け入れることなのかもしれない。

俺は、生まれて初めて、そのことに気づかされた気がした。


「…ありがとう」

俺は、それしか言えなかった。だが、その一言には、俺の全ての感謝の気持ちが込められていた。


楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。

カフェを出て、夜のオフィス街を二人で並んで歩く。冷たい風が、火照った俺の頬に心地よかった。

「研修、あと数日あるんだ」と栞が言った。

「そっか…」

もう会えない。そう思うと、胸が、きゅっと締め付けられた。


だが、俺はもう、昔の俺じゃない。

ここで『ぼうぎょ』のコマンドを選ぶような、臆病な勇者ではない。

「もし、よかったら…研修が終わる前に、もう一度くらい、会えないかな。今度は、俺が、美味しいご飯、ご馳走するよ」


俺の言葉に、栞は一瞬、驚いたように目を見開いた。

そして、すぐに、花が咲くように、ふわりと微笑んだ。

「うん。嬉しい。楽しみにしてるね」


【NEW QUEST:栞との再会(2)を受注しました!】


俺たちは、駅の改札で別れた。

人混みの中に消えていく彼女の背中を、俺はいつまでも見送っていた。

一人になった帰り道。俺は、ビルのショーウィンドウに映った自分の姿を、まじまじと見つめた。

そこにいたのは、相変わらず『容姿:G+』の、冴えない中年男だ。


だが、彼のHPとMPゲージは、上限を振り切るかのように、キラキラと輝いていた。

心の中に、温かくて、力強いエネルギーが満ち溢れている。


これが、本当の『レベルアップ』なのかもしれない。

俺は、栞との再会を胸に、確かな足取りで、家路についた。


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