第四話:初陣!エネミー「中村エリカ(Lv.12)」との遭遇
クエストを達成した週末の月曜日。
俺は、生まれ変わった自分に、まだ少し慣れないでいた。新調したジャケットは肩が凝るし、ワックスで固めた髪はなんだか頭が重い。だが、通勤電車に映る自分の姿は、間違いなく以前よりマシになっていた。ステータス『容姿:G+』。その微かな成長が、俺の心に小さな勇気の灯をともしていた。
きっと、霧島さんも褒めてくれるに違いない。
そんな淡い期待を抱きながら、俺は仕事帰りに結婚相談所へと向かった。いわゆる、クエスト完了の報告だ。
「――なるほど。確かに、以前よりは格段に見違えました。第一関門はクリア、といったところでしょうか」
面談室で俺の姿を一瞥した霧島さんは、表情を変えずにそう評価した。彼女の評価基準では、まだ「合格」ではなく「クリア」らしい。厳しい。
だが、彼女はすぐにノートPCを開き、俺のプロフィール画面をディスプレイに映し出した。
「しかし樋口さん。あなたの『装備』は更新されましたが、肝心の『看板』がこれでは、客は寄り付きませんよ」
画面に大写しにされたのは、俺がアプリのノリで登録した、あのプロフィール写真だった。3年前に社員旅行で撮られた、少しピンボケした、背景に同僚のオッサンが写り込んでいる、あの忌まわしい写真だ。新しい髪型と服装の今の俺と比べると、その差は歴然。あまりのひどさに、自分でも目を覆いたくなる。
「ひどい…。これはひどいですね」
「でしょう? これでは、せっかく更新した『容姿』ステータスも、宝の持ち腐れです。勇者の見た目が良くても、ギルドに貼られた手配書が落書きレベルでは、誰も依頼してきません」
彼女は、俺に反論の余地を一切与えない。
「というわけで、次のクエストです」
霧島さんは、またもや完璧な手際の良さで、一枚のチラシを俺の前に差し出した。そこには『婚活写真専門スタジオ』と書かれている。
【NEW QUEST:英雄の肖像】
目的:プロフィール写真の更新
達成条件:指定されたスタジオにて、奇跡の一枚を撮影すること。
期限:今週中
報酬:『デジタル映え』ステータス経験値、及び『エンカウント率』の上昇
「あなたの『素』の魅力がどうこう、という段階はとっくに過ぎています。今は、プロの技術(魔法)で、あなたの魅力を120%までブーストさせるのです。予約は、取っておきました」
有無を言わさぬ、まさに魔王の采配。
俺は、もはや彼女の掌の上で転がされる一兵卒に過ぎなかった。
そして、数日後。
俺は、人生で初めて、写真スタジオという場所に立っていた。
白い壁に、巨大な照明器具(レフ板というらしい)、そして、黒いレンズでこちらを睨みつける、カメラという名のモンスター。
そこに、やけにテンションの高いカメラマンの男性が現れた。
「はい、どーもー!君の魅力を最大限に引き出す魔法使い、TAKUYAだよ!今日はよろしくねー!」
TAKUYAと名乗る魔法使いは、俺の顔を見るなり、うんうんと頷いた。
「なるほどねー、素材は悪くない。でも、硬い!表情がガッチガチ!そんなんじゃ、女の子に『この人と話してもつまんなさそう』って思われちゃうよ!」
彼は、俺の肩を掴んでグイッと角度を変えさせ、顎を少し引かせた。
「はい、じゃあ、まずは自然な笑顔からいってみよーか!はい、チーズ!」
自然な、笑顔……?
そんな高難易度のスキル、俺は覚えていない。俺は、必死に口角を上げようとするが、顔の筋肉は言うことを聞かず、ひくひくと引きつるだけだった。
【スキルチェック:自然な笑顔 → FAILED!】
「だーめだめだめ!それじゃ、ラスボスに睨まれた村人だよ!もっと、こう、爽やかに!日曜の朝みたいに!」
TAKUYAさんの無茶な指示が飛ぶ。
「はい、じゃあ次は、少し遠くを見つめて、自分の将来に思いを馳せてる感じで!」
「はい、今度は、カフェで偶然隣に座った可愛い女の子に、会釈するイメージで!」
俺は、彼の言う通りにポーズを取ろうとするが、体はロボットのようにギクシャクと動くだけだ。
【スキルチェック:ポージング → FAILED!】
撮影開始から30分。俺のMPは完全に尽きかけていた。TAKUYAさんの額にも、汗が滲んでいる。
「うーん、手強いな…。君、なんか、心の底から『楽しい!』って思えること、ないの?」
楽しいこと…?
俺は、思わず口を開いていた。
「……ゲーム、ですかね。特に、何十時間もかけて、やっと強敵のラスボスを倒した時とかは…」
その瞬間、TAKUYAさんの目が、カッと見開かれた。
「――それだ!!!!」
彼は、興奮した様子で俺に詰め寄った。
「今、思い出して!あの時の気持ち!100時間以上かけてレベル上げして、何度も全滅して、それでも諦めずに挑んで、ついにラスボスを倒した、あの瞬間を!あの、全身の細胞が歓喜に打ち震える、あの感じを!」
ラスボスを倒した、あの瞬間……。
俺の脳裏に、鮮明な記憶が蘇る。コントローラーを握りしめ、画面に表示された『YOU WIN』の文字。こみ上げてくる達成感と、全身を駆け巡る安堵感。自然と、俺の口元が緩み、目元が柔らかくなるのが分かった。
「そう、それ!その顔だよ!」
――カシャッ!!
TAKUYAさんの叫びと共に、部屋中に響き渡る、高らかなシャッター音。
それは、俺の人生を変えるかもしれない、一撃必殺の音がした。
こうして、俺は『奇跡の一枚』を手に入れた。
写真の中の俺は、自分でも見たことのない、穏やかで、自信に満ちた、優しい笑顔を浮かべていた。
【QUEST:英雄の肖像】 → CLEAR!
【ITEM】『奇跡のプロフィール写真』を手に入れた!
効果:お見合いの『エンカウント率』が30%アップする。
そして、週が明けた月曜日の昼休み。
新しいプロフィール写真が反映されたアプリを眺め、俺は一人悦に入っていた。すると、スマホがブルッと震え、一件の通知が表示された。霧島さんからだった。
『樋口様。プロフィール写真の更新、確認しました。素晴らしい仕上がりです。早速ですが、効果を試す時が来ました。最初の実戦訓練(お見合い)をセッティングさせていただきました』
実戦訓練! つまり、バトルだ。
俺はゴクリと唾を飲んだ。添付されていたファイルを開くと、今回の対戦相手のプロフィールが表示される。
【中村 エリカ / 29歳 / 職業:事務 / Lv.12(推定)】
プロフィール写真には、カフェのテラス席で、完璧な角度から撮影された『奇跡の一枚』が使われていた。今の俺なら分かる。これは、TAKUYAさんのような、凄腕の魔法使いの仕事だ。
趣味は『カフェ巡り、ヨガ、自分磨き』。自己PRには『キラキラした毎日を送りたいです☆』と書かれている。
レベル12。スライムしか倒せないレベル5の俺にとっては、かなりの格上だ。
だが、今の俺には新しい『装備』と、最強の『看板』がある。
俺は、湧き上がる高揚感を抑えきれなかった。
『やります!』
俺はそう返信し、週末の午後に、都内ホテルのラウンジという名の『バトルフィールド』へと向かったのだった。
約束の時間より10分早く着いた俺は、入り口近くの席に案内された。着慣れないジャケットの襟を正し、スマホの画面で髪型をチェックする。大丈夫、まだKENTOさんの魔法は解けていない。深呼吸を繰り返し、脳内で会話のシミュレーションを開始する。『初めまして、樋口です』『お休みの日は何を?』『素敵な趣味ですね』…。よし、完璧だ。
「あのー、樋口さん、ですか…?」
声がして顔を上げると、そこに一人の女性が立っていた。
俺は一瞬、言葉を失った。プロフィール写真の面影は、確かにある。だが、そこに写っていたはずの『奇跡』は、どこにも存在しなかった。
メイクは少し厚く、流行りの服は、彼女のスタイルの欠点をむしろ強調してしまっている。何より、写真にあったはずの、あの柔らかな透明感は皆無だった。
これが、現実か…。『写真』という名の魔法(スキル:加工)の効果は、凄まじいものがあるな。
俺は内心の動揺を押し殺し、練習したての『清潔感のある笑顔』で立ち上がった。
「はい、樋口です。初めまして、中村さん」
中村エリカと名乗った彼女は、俺の顔を値踏みするように一瞥すると、「どーも」とだけ言って、ドカッとソファに腰を下ろした。
――バトル、スタート。
俺たちが席に着き、ウェイターが水を運んでくる。俺が「何を飲まれますか?」とメニューを差し出そうとした、その瞬間だった。エリカは、カバンから小さなノートとペンを取り出し、いきなり『第一の攻撃』を仕掛けてきた。
「えーっと、樋口さん、38歳、ITエンジニア、年収500万、っと…。このご年収って、今後の昇給の見込みとかって、ある感じですか?」
面接だ。これは、お見合いという名の、圧迫面接だ。
俺は完全に虚を突かれ、しどろもどろに答えるしかなかった。「あ、えっと、会社の業績にもよりますが、まあ、少しは…」
「ふーん…。ご趣味が映画鑑賞とのことですが、シネコン派です?ミニシアター派です?あ、私はサブスクしか見ないんですけど」「将来、ご両親との同居の可能性は?長男ですもんね?」「貯金って、ぶっちゃけ、どれくらいされてます?」
矢継ぎ早に繰り出される質問の弾丸。それは、俺の『社会性』や『将来性』といったステータスを丸裸にする、恐るべき『尋問』スキルだった。俺が用意してきた当たり障りのない会話の呪文は、完全に封じられている。『ステータス異常:沈黙』。
俺が防戦一方でHPを削られていると、エリカはふとノートを閉じ、今度はスマホを取り出した。
「あ、そうだ!この前、港区のホテルでアフタヌーンティーしたんですけどぉ、マジやばかったんですよぉ!」
バトルは、唐突に『第二フェーズ』へと移行した。
彼女は、スマホの画面を俺に突きつけ、延々と自慢話という名の『範囲攻撃』を繰り出してきた。キラキラに加工されたケーキの写真、ブランドバッグと自分の顔を写した自撮り、顔をスタンプで隠した『友達』とのパーティー写真…。
俺は、相槌を打つだけの『NPC』と化していた。「へえ、すごいですね」「楽しそうですね」。MP(精神力)が、みるみるうちに枯渇していくのが分かった。
「……お待たせいたしました。コーヒーでございます」
ウェイターが、俺の注文したコーヒーを運んできてくれた。まさに、地獄に仏。俺は乾ききった喉を潤そうと、カップに手を伸ばした。
その時、エリカの鋭い声が飛んだ。
「あ、すみません!写真撮るんで、待ってもらっていいですか!?」
――これが、決定打だった。
俺が固まるのを尻目に、エリカはスマホを構え、コーヒーカップの『撮影会』を始めた。
カップを少し右にずらし、パシャリ。今度はシュガーポットを添えて、パシャリ。立ち上がって、真上からのアングルで、パシャ、パシャ、パシャリ。
ラウンジの他のお客さんたちが、怪訝な顔でこちらを見ている。羞恥心で、俺のHPゲージはゼロを振り切った。
これは、お見合いじゃない。デートですらない。
彼女にとって、この時間は、SNSに投稿するための『素材集め』でしかない。そして、俺は、その素材を際立たせるための、ただの『背景』なのだ。
【クリティカルヒット! あきら は 999 のダメージ!】
【あきら の せいしんりょく は ゼロ になった!】
その後、どうやって一時間を乗り切ったのか、よく覚えていない。
冷え切ったコーヒーを流し込み、心にもない社交辞令を交わし、俺たちはホテルのロビーで解散した。
「じゃ、また、連絡しまーす」と手を振るエリカの背中を見送り、俺は近くのトイレに駆け込み、洗面台に手をついた。
鏡に映ったのは、新しい髪型も、新しいジャケットも、全く似合っていない、疲れ果てて生気を失った、レベル5の中年男の姿だった。
帰りの電車の中、俺はぐったりと座席に沈み込んでいた。
脳裏に浮かぶのは、エリカの顔と、撮影されていたコーヒーカップ。
あれは、対話ではなかった。査定だ。まるで、俺という名の会社に、敵対的買収を仕掛けてきた株主との面談のようだった。
俺は、震える指でスマホを取り出し、結婚相談所のアプリを開いた。
中村エリカのプロフィール画面を表示させ、そして、迷うことなく、画面の下に表示された、大きな赤いボタンを押した。
【お断りしますか?】
【▶︎はい / いいえ】
俺が『はい』をタップすると、スマホの画面に『ご回答ありがとうございます』という無機質なメッセージが表示された。俺の頭の中では、クエストに失敗した時の、あの悲しい効果音が鳴り響いていた。
【QUEST:First Battle!】 → FAILED
初陣は、惨敗だった。
新しい装備を手に入れただけでは、この婚活というダンジョンは攻略できない。
俺は、その当たり前の、そしてあまりにも厳しい現実を、骨の髄まで思い知らされたのだった。