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第三話:最初のクエスト:ユニクロを卒業せよ!


ステータス異常:『混乱』と『スタン』。

俺の脳内は、霧島怜奈という名の最強の黒魔道士が放った、無慈悲な魔法によって完全に機能停止していた。レベル5。容姿G。戦闘力はスライム程度。俺の38年間の人生は、わずか数分で無価値なデータへと変換され、叩きつけられたのだ。もうダメだ、心が折れた。冒険の書を閉じて、家に帰ってふて寝したい……。


俺が完全に魂の抜け殻と化していると、霧島さんはスッと表情を緩め、まるで慈悲深い女神のような(ただし瞳の奥は笑っていない)微笑みを浮かべた。


「――ですが、見方を変えれば、樋口さんには『伸びしろ』しか無い、とも言えます」


その言葉は、HP1の瀕死状態で投げられた『ホイミ(回復魔法)』のように、俺の心にかすかな光を灯した。伸びしろ……。確かに、Gランクより下はないのだから、ここからは上がるしかない。


「そこで、あなたに最初の『クエスト』を差し上げます」


霧島さんはそう言うと、一枚のメモ用紙にサラサラと何かを書きつけ、俺の前にスッと差し出した。そこには、美しい文字でこう記されていた。


【NEW QUEST:勇者への第一歩】

目的:ステータス『容姿』のレベルアップ

達成条件:

1.指定された美容室にて、髪型を更新アップデートすること。

2.指定されたセレクトショップにて、戦闘服(ジャケット及びパンツ)一式を調達すること。

期限:今週末まで

報酬:『容姿』ステータス経験値、及び『自信』パラメータ微増


「まずは、その1000円カットと、学生時代から制服のように着続けているそのチェックシャツをどうにかします。見た目は、婚活という戦場における最も基本的な『装備』です。ひのきのぼうと布の服で、ドラゴンに挑む愚か者はいませんよね?」


彼女は有無を言わせぬ口調で、スマホの画面を見せてきた。「美容室は、もう樋口様のお名前で予約しておきましたので」。鬼だ。この人、鬼神のごとき手際の良さだ。俺に『いいえ』という選択肢は存在しなかった。


そして、週末。

俺は、人生で初めて、足を踏み入れた。

ファッションと流行の最前線、ダンジョン『表参道』に。


駅の改札を出た瞬間から、俺は圧倒されていた。すれ違う人々は、誰もが雑誌から抜け出してきたような、レベルの高いプレイヤーばかりだ。男も女も、キラキラしたオーラを放っている。それに比べて俺は、いつものヨレたシャツに、色褪せたジーンズ。場違い感でHPがゴリゴリと削られていく。完全に『エンカウント』する敵を間違えた低レベル勇者の気分だ。


霧島さんに指定された美容室は、大通りから一本入った、ガラス張りの建物だった。恐る恐る自動ドアをくぐると、そこは俺の知っている「床屋」とは全く違う、白を基調とした神殿のような空間だった。アシスタントと思しき若い男女が、完璧な笑顔で俺を出迎える。彼らの髪型や服装の洗練されっぷりに、俺はすでに『魅了』のステータス異常にかかりそうだ。


「お待ちしておりました、樋口様」


奥から現れたのは、俳優のように整った顔立ちの男性美容師だった。彼の名は『KENTO』。予約票にそう書いてあった。彼は俺の髪を優しく触りながら、まるで古代遺跡を鑑定する考古学者みたいに、ふむ、と頷いた。


「なるほど…。かなり、切り込み甲斐のある素材ですね。お任せください。あなたの秘めたるポテンシャル、俺が最大限に引き出してみせますよ」


その言葉と共に、俺の最初の試練は始まった。

シャンプー台はフルフラットで、まるで宇宙船のコックピットのようだ。心地よいマッサージに意識を失いかけていると、今度は聞いたこともない『トリートメント』や『ヘッドスパ』といった追加オプション(課金要素)を勧められる。KENTOさんの巧みな話術(スキル:提案)の前では、俺の貧弱な防御力(意志の弱さ)など無意味だった。


カットが始まると、KENTOさんは魔法の詠唱のように専門用語を繰り出した。「トップにレイヤーを入れて動きを出し」「サイドはツーブロックでシャープな印象に」。俺には呪文にしか聞こえなかったが、ただ頷くことしかできない。

数十分後。全ての工程が終わり、目を開けると、鏡の中には見知らぬ男が座っていた。


いや、俺だ。俺なのだが、いつも見ている俺じゃない。

野暮ったかった髪は、清潔感のある、爽やかな大人の髪型へと変貌を遂げていた。ワックスで整えられた毛先は、まるで意思を持っているかのように軽やかに動いている。

「どうです? これが、本当のあなたですよ」

KENTOさんは、悪戯っぽく笑った。すごい。これが、レベルの高い魔法使いの『変身トランスフォーム』の魔法か……。


会計で提示された金額は、俺の1000円カット15回分に相当した。俺のゴールド(所持金)は大きなダメージを受けたが、それと引き換えに、確かな『経験値』を得た気がした。


【QUEST:勇者への第一歩】

・目的1:髪型を更新アップデートすること → CLEAR!


小さな達成感を胸に、俺は次の目的地、セレクトショップへと向かった。

そこは、美容室以上の魔境だった。

美術館のように、まばらに陳列された服。その一枚一枚に、俺の月の食費に匹敵するような値札が付けられている。店員さんは、皆モデルのようにスタイルが良く、俺のような侵入者を値踏みするように見ている(気がする)。


逃げ出したい。ユニクロに駆け込みたい。

俺が店の入り口で逡巡していると、天使のような笑顔の女性店員が話しかけてきた。

「何かお探しですか?」

「あ、いや、えっと…ジャケットとかを…」

「かしこまりました!お客様の雰囲気にぴったりの、最高の『一着』、ご提案させていただきますね!」


彼女は、こちらの拒否権を完全に無視する、強力なスキル『天衣無縫の接客術』の使い手だった。俺はなされるがままに、試着室という名の小さな祭壇へと連行された。


彼女が持ってくる服は、どれも俺が今まで着たことのない、細身でシュッとしたデザインばかりだった。

「こちらのジャケット、シルエットがとても綺麗なんですよ」

「このパンツ、ストレッチが効いてて履き心地も抜群です」

「インナーには、こういうシンプルなカットソーを合わせると、大人っぽくまとまります」


俺は、言われるがままにそれらを身につけた。ジャケットは肩が少し窮屈で、パンツは足のラインがくっきりと出て、なんだか落ち着かない。

だが、試着室の大きな鏡に映った自分の姿を見て、俺は再び言葉を失った。


そこにいたのは、小太り気味で、冴えない、いつもの俺ではなかった。

新しい髪型と、体にフィットした服装。それだけで、人間はここまで変わるものなのか。腹の出っ張りも、心なしか目立たない。猫背気味だった背筋も、自然と伸びている気がする。

これは、『樋口 彰 Ver.1.1』。マイナーアップデートだが、確実に何かが違う。


「……すごく、お似合いです」


女性店員が、うっとりとした表情で言った。その言葉は、俺の『MP(自信)』をわずかに回復させた。

俺は、震える手で値札を確認し、心の中で悲鳴を上げた。合計金額は、俺のボーナスの手取り額の約三分の一。


だが、俺はもう後戻りできない。

「……こ、これを、ください」

俺は、震える声でそう告げた。


店を出て、表参道の雑踏を歩く。

両手には、人生で一番高価な服が入った、お洒落な紙袋。ガラス張りのショーウィンドウに、新しい自分の姿が映る。

悪くない。いや、かなり、いいんじゃないか?


その瞬間、俺の頭の中で、ゲームでレベルアップした時のような、ファンファーレが鳴り響いた。


ピロリン!


目の前に、半透明のステータス画面がポップアップする。


【STATUS UPDATE】

『容姿』ランクが G → G+ にアップしました!

『称号:ユニクロの卒業生』を獲得しました!

『所持金』が 大幅に減少しました!


【QUEST:勇者への第一歩】

・目的2:戦闘服(ジャケット及びパンツ)一式を調達すること → CLEAR!

・全ての目的を達成しました。QUEST COMPLETE!


Gから、G+へ。

それは、ほんのわずかな、小さな一歩だ。全体から見れば、まだまだ最底辺のランクであることに変わりはない。

だが、俺にとっては、それは絶望の暗闇に差し込んだ、一筋の光だった。

俺は、変われる。

レベル5の、冴えない勇者は、確かに今、成長への第一歩を、踏み出したのだ。

俺は、少しだけ軽くなった足取りで、夕暮れの街を歩き始めた。



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