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第二話:衝撃のファーストコンタクト「あなたの戦闘力はたったの5です」


俺が押したガラス扉は、驚くほど静かに、滑らかに開いた。

カラン、とドアベルが鳴るような、そんな人懐っこい音はしない。ただ、外の喧騒を完全に遮断する分厚い扉の向こうには、静寂だけが広がっていた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


凛、とした声が俺の鼓膜を揺らす。

声のした方に視線を向けると、受付カウンターの内側から一人の女性が立ち上がり、優雅に一礼した。その瞬間、俺は自分が場違いなダンジョンに足を踏み入れてしまったことを悟った。


女性は、歳は俺よりいくつか下だろうか、寸分の狂いもなくまとめられたシニヨンヘアに、知的な印象を与えるシルバーフレームの眼鏡をかけていた。服装は、体にぴったりとフィットしたチャコールグレーのパンツスーツ。それはまるで、寸分の隙も無い、美しい『鎧』のようだった。

彼女から放たれるオーラは、これまで俺が出会ってきたどんな女性とも異質だった。それは『威圧感』という名の魔法だ。ルーキーの俺では抵抗レジストすることすらできず、俺はただ、入り口で立ち尽くす石像のように固まってしまった。


「……樋口彰様で、いらっしゃいますね?」

「あ、は、はい!そうです!」


慌てて返事をすると、声がみっともなく裏返った。恥ずかしさで顔に火が噴きそうだ。俺のHPゲージが、早くもじりじりと削られていくのが分かる。


彼女――霧島怜奈きりしま れなと名札にはあった――は、そんな俺の醜態にも表情一つ変えず、完璧な営業スマイルで「こちらへどうぞ」と、奥の個室へと俺を案内した。


通されたのは、防音仕様になっているであろう、こぢんまりとした面談室だった。柔らかな間接照明が、清潔な白い壁を照らしている。テーブルを挟んで向かい合わせに置かれたソファに促され、俺は恐る恐る腰を下ろした。革張りのソファは、俺の体重を深く、そして静かに受け止めた。


「改めまして、本日はようこそお越しくださいました。わたくし、カウンセラーの霧島と申します。樋口様の婚活を、全力でサポートさせていただきます」


霧島さんはそう言うと、テーブルの上にノートPCを置き、滑るような手つきで起動させた。その所作の一つ一つに無駄がなく、彼女がこの世界の熟練プレイヤーであることを物語っている。

序盤の会話は、驚くほど和やかだった。

仕事の内容、休日の過ごし方、好きな食べ物。彼女は巧みな相槌と質問で、俺の情報を次々と引き出していく。それはまるで、ゲーム開始時のキャラクターメイキングのようだ。俺は少しずつ緊張を解き、この人になら任せられるかもしれない、と淡い希望を抱き始めていた。


「ありがとうございます。樋口様のお人柄、少し理解できました。では次に、お相手に対するご希望をお聞かせいただけますか?」


来た。いよいよ本題だ。

俺は少しだけ身を乗り出し、自分の理想を語り始めた。

「そうですね…やっぱり、明るくて、よく笑う人がいいです。家庭的で、料理とか上手だと嬉しいですね。年齢は…できれば、年下の、20代から30代前半くらいの方が…」


そこまで口にした瞬間だった。

それまで完璧な笑顔を浮かべていた霧島さんの表情から、スッと光が消えた。穏やかだった彼女の目が、まるで獲物の弱点を分析アナライズする鷹のように、鋭く細められる。

室内の温度が、急速に下がっていくのを感じた。


カタカタカタッ、ターン!!


彼女の指が、それまでとは比べ物にならない速度と力強さでキーボードを叩き始めた。入力されているのは、俺のプロフィール、年収、そして今しがた口にした、甘っちょろい理想。俺の人生が、データという名の無機質な記号に変換され、彼女のPCの中で解析されていく。


やがて、タイピングの音が止まった。

霧島さんは、PCの画面から俺へと視線を戻す。その瞳にはもう、先程までの温かみは欠片も残っていなかった。それは、絶対零度の、冷徹な光だった。


「――樋口さん」

「……はい」

「大変申し上げにくいのですが、まず、現実からお伝えしなければなりません」


彼女は、静かに、しかし刃物のように鋭い声で、告げた。


「AIによるマッチングシミュレーション、及び過去の膨大な成婚データに基づき算出しました結果……。あなたの現在の婚活市場におけるレベルは、【5】です」


レベル、5……?

俺は、彼女の言葉の意味を瞬時に理解できなかった。


「レベル5。それは、RPGで言えば、ようやくチュートリアルを終え、最初の町の外に出たばかりの勇者のようなものです。武器は『ひのきのぼう』、防具は『ぬののふく』。覚えている魔法は、まだありません。そんな状態で倒せるモンスターは、せいぜいスライム程度でしょう」


スライム…。俺の脳内で、国民的RPGの、あの青くて丸い、最弱のモンスターがぷるぷると震えた。


「あなたの言う『20代から30代前半の、若くて可愛い女性』。彼女たちは、この婚活市場では、いわば人気の狩場に生息する、レベル20以上のモンスターです。今のあなたのレベルと装備で、いきなりそんな強敵に挑んでも、結果は見えています。一撃でHPをゼロにされ、教会送りにされるのがオチです」


霧島さんの言葉は、一言一句が『正論』という名の属性攻撃だった。俺の『自信』という名の貧弱な防具は、いとも簡単に貫通され、HPがごっそりと削られていく。


「そもそも、そのお召し物で戦場に赴くおつもりですか?」

「え…?」

「昨日ユニクロで買われたことは否定しません。清潔感は最低限のラインです。ですが、それは『戦闘服』ではありません。ただの『村人の服』です。その1000円カットされた髪型、学生時代から更新されていないであろうそのファッションセンス。それら全てが、あなたの『容姿』ステータスを著しく下げています」


「趣味がゲームというのも、結構です。ですが、それを女性に魅力的に語る『コミュ力』はお持ちで? SEというお仕事も、安定はしていますが、年収500万という『社会性』ステータスは、38歳という年齢を考慮すると、決してアドバンテージにはなりません」


彼女の言葉が、俺の脳内で具体的なパラメータとなって再構築されていく。

目の前に、俺自身の『ステータス画面』が、ありありと映し出された。


【樋口 彰】

LEVEL: 5

HP: 22/100 (精神的に瀕死)

MP: 11/100 (自信、ほぼ枯渇)


【STATUS】

容姿: G

知識: F

マナー: F

コミュ力: F+

社会性: E


【EQUIPMENT】

武器: 付け焼き刃の知識

頭: 寝癖のついた髪

体: ヨレたシャツ / 昨日買ったジャケット

腕: 安物の腕時計

足: 履き潰したスニーカー


【TITLE】

冴えない中年 / 経験の浅い勇者


これが、俺……。これが、38年間生きてきた、俺の『現実』。

あまりの残酷なデータに、俺は言葉を失った。視界がぐにゃりと歪み、意識が遠のきそうだ。


ステータス異常:『混乱』『スタン』


俺がショックで完全に沈黙する中、霧島さんは静かに、しかし決定的な一言を放った。


「――これが、あなたの現在地です。樋口さん」


彼女の声は、どこまでも冷徹で、そしてどこまでも正しかった。

レベル38どころか、レベル5の勇者。

戦闘力、たったの5。

俺の婚活という名の冒険は、そのあまりにも絶望的なステータス表示と共に、静かに幕を開けたのだった。


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