転生先がオーヴァゼア?ここで暮らしていけるのか?
メロゴールド編です。
1章 始まり
この物語の始まりがどこにあったかと問われればそれはどこでもなく、とりわけ当事者が決めたくて決められるようなことではないことだけがはっきりしている。世の中のすべてにおいて当事者は事に当たりながらも決定権、即ち事象表層への介入権を持たないのは定説であり多くの専門家がその可能性を認めているわけだが、とどのつまり俺は何を決定する余地もなく己の自意識の連続が不意に途切れてしまったことを、ああ、こんなものかなどとぼんやり実感していた。
こう長々と説明し無為無駄な時間を使ってしまったのには理由がある。肉体を縛る時空間との接続を失った俺の精神は不可逆であるべき時の流れからはじき出されてしまったのだからその時間をだらだらとすごす事くらい許されても良いだろう。憧れの高校生活が始まり、勉強にはついていけるかな、部活はどうしようか、かわいい同級生なんかいたりして、新しい出会いへの期待と不安……この世におぎゃあと生を受けてから常に付きまとっていたこれからの事を考える必要もなければ、そもそもこれからというものが無いのだから仕方が無い。考えるだけ無駄かもしれないなどネガティブなことは考えないようにしている。
平たく言おう。ある日突然俺は死んだのだ。
2章 憂鬱と退屈
まずは自己紹介をしておこう。俺の名前は虚無。苗字は不要だろう。この名前は無論戸籍に記された本名ではないが、幼き頃の舌足らずな妹がこう呼ぶのを聞いた友人が面白がって見事あだ名として定着してしまったものだ。それはこの春やっとの思いで合格した第一志望先で夢見た花の高校生活でも続き、結果俺のあだ名は入学早々虚無で決まったにせよ、初日としては順調な滑り出しといって良いだろう。前の席にいた北中から来た子が可愛かったのもポイントが高い。
クラス内の環境も良好そうで、とりわけ目に見えて分かるようなヤンキー諸君や思春期真っ盛りの過剰な自意識から繰り出される恥ずかしい自己紹介(例えば人間に興味が無いなどのウケ狙いだ)も無く、その時点でこのクラスははずれではない事が証明され俺はほっと胸をなでおろした。クラス替えなるイベントが後に控えているにせよ当面はこの固定された40名程度の人数と生活時間の大半を共有することになるのだから、そのあたりの引きの良さは高校生活に対するモチベーション、とりわけ朝の長く険しい上り坂を必死になって登校することの成功率に直結するわけで、悪くないほうが良いに決まっているからである。
同じ学校で仲も良かったヤツと同じクラスだったので、帰りは当然そいつと帰った。まずは情報共有、この高校の楽な部活、可愛い一年女子の名前、その他色々と話をしながらそいつと別れ、さて明日からの学校生活はどうしたものか、とりあえず文芸部なんて楽そうな部活に入って怠惰な青春を心置きなく堪能するか、そんな事をうすぼんやりと考えていたのが悪かった。
目の前をバーッと通ったトラックが視界に入り込んだと脳が認識したのと、脳が視覚、聴覚、痛覚、その他諸々の感覚を放棄したのは寸分の狂いも無く同時であったと思う。全身に衝撃が走り、経験した事のない速度で目に映る光景が変化し、本来存在しないはずの青空の影が脳裏に焼きつき、俺の死人もとい視認した最後の景色になった。
そして不幸にも俺は死に、その短い生涯を終えて今この永遠とも言えるべき死後の時間を過ごしている……のだが、一つだけ解せない事があった。目の前に何か見たことの無い奇妙なおっさんが鎮座しているのだ。漫画は読んでも小説は読まない性質で、この手の現象、つまりは友人の言うところの異世界転生を司る神とやらに相当するものなのだろうか、などと時間を有効に活用していたところである。その目は確かにコチラを見ており、むしろ先ほどから一挙手一投足の全てを品定めするような目つきで睨め回されているため、居心地は非常に悪かった。おまけに一切の無言であるから余計に性質が悪い。
「あの……」
「はいはい、神様ですよ」
一度死んだのだ。これ以上事態が悪化する事もあるまいと意を決して話しかけてみると、想定を超えて悪ふざけのような返答があった。にこりとも笑わず、無表情である。
「ええと。ここは? 俺は死んだと思ったんですけど」
「そうじゃな。死んだ。お前さんは死んだんじゃが…一言で説明するとしよう」
「一言で?」
「やり直し!!」
「やり直し?」
再び意識が暗転した。神と言うだけあって理不尽度はまさに神クラスであり、対応も神対応ときた。一体俺が何をしたというのか。説明を要求する。責任者はどこか。
3章 学校を出よう!
再び目が覚めたのは知らない天井どころか見たことも無いような色をした空と、感じた事もないような不安、それから砂の匂いだった。砂に匂いがあるのかと尋ねられれば学術的な返答は出来かねるが、しかし西部劇のど真ん中に放り投げられたような錯覚の原因の一つはまさに乾いた風が運んでくる砂の、あるいは砂埃が鼻腔をくすぐるむず痒さであったし、俺を半径何キロかにわたって包囲する見渡す限りの砂漠でもあった。空の明かりは太陽ではない。紫色にうごめく空は点が抜けたような快晴だったが、その光源が核融合による日光だと思えなかったのは、この環境がどこまでも異質だったことによる、おれ自身の精神的なところに起因する。
あるいは別の原因かもしれない。先ほど対面したはずの自称神が本物の神であったと仮定した際、次に起こりうるべき事象は例の友人に曰く『異世界転生』であり、それはほぼ間違いなく達成された。現におれは見知らぬ大地に一人放り出されているし、自意識の連続性も保たれている。死の以前の記憶があり、それでいて死を経験した地の病院にいないのだから、これは疑うべくも無い。神のやり直しという無責任極まりない放言にも合致する。
次に起こるのは何か。例の友人に曰くそれは『チート』……ゲームにおける『ずる』を意味するそれは、異世界転生者には馴染みのもので、かつていた世界では平凡だった存在が異世界転生なる一種のイニシエーションを経験する事で到達するある種の悟りのようなものらしい。多くの場合は神がくれたりする。確かめるには『チート』を意識して使ってみるのが手っ取り早いのだが、いかんせん精神構造は健全な高校一年生の男子であるため、お試しプレイの方法が分からなかった。何かきっかけでもあるとよいのだが。通りがかりの悪党に襲われる謎の美少女が目の前に現れるといったような。
「きゃああーーーッ!!」
「ヒャハハ、待て待てェ! 逃げようったってそうはいかねェぞぉ!」
「や、やめてください! 誰か、誰か助けてーーッ!」
ナイスタイミングと言えば女性の被害者感情を考えていないと糾弾され連日報道される未来は火を見るよりも明らかだ。とはいえ、おれの能力が何なのか、そもそも能力とやらを与えられたのかどうかを確認する絶好の機会である事に変わりはない。ここはぐっとこらえ、大人の対応で介入してみよう。一度死んだ身なのだ。何が起こっても受け入れられる。多分。
「待て待て。大の大人が寄ってたかってか弱き婦女子を追い回すなんて破廉恥な真似、たとえ合意の上であっても白昼堂々やるのは流石にどうかと思うぞ。合意じゃなければ更に問題だ」
「なんだテメェ?」
潔く前言を撤回する。一度死んだ身であっても、目に見えて体格差のある屈強な荒くれに凄まれれば話は違ってくる。これは本能的恐怖、つまり人間が種としての生存や種の保存の危機を感じた際に生じるデオキシリボ核酸初ニューロン経由の電子信号であっておれ個人がどうやってもどうしようもないものだ……いや、そうでもない。凄んでくる荒くれはよく見たらそんなに強そうな筋肉の付き方でもなければ、銃火器の類も携帯しておらず、そもそも婦女子を追い掛け回すような精神性の持ち主が練度の高い戦闘術など持っているわけがない。ここは強気だ。
「通りすがりの正義の味方だよ。ほら、悪者はとっとと逃げ散れ。蜘蛛の子みたいに散れ」
「あァ? 馬鹿にしやがってぇ……痛い目見ねェとわかんねェみてぇだなァ!!」
「うるさいな。言葉に小文字が多すぎるんだよ」
「ほざきやがれェ!!」
怒りに任せて振り下ろされた拳を受け止める。脳に浮かんだ展開の通り、荒くれの拳は予想よりも重かったがおれの力のほうが上だった。拳を掴んで腕ごとひねり、体勢を崩したところで前蹴りを叩き込む。腹部にめり込んだ爪先から体重が消えたのと、荒くれの体が物凄いスピードで後方に吹き飛んでいったのは同時だった。イメージ通りの動きが出来た結果、イメージ通りの結果が出来た。
「あなたは……?」
「虚無です。ええと、通りすがりの」
「ふふっ、面白い方ですね。お礼にお食事でもどうですか?」
なんだこれは。そりゃ確かにおれも一介の健全男子であり、こういった美女の悲鳴に颯爽と現れピンチを救ってお礼でも展開を夢想したことは一度や二度ではなく、それは義務教育の持つ時間的拘束の弊害であると思うわけだが、ここまで思い通りに事が運んでしまうとは思ってもみなかった。いや嘘である。思ったことはあったし、今もちょっと思っていた。
「では、私の行きつけがありますのでそちらへ」
ここまでのやりとりで一つの予想が成り立った。それを証明すべく、どちらかと言えば否定したい気持ちも半分くらいはあったのかもしれないが、おれは彼女に問いかける。一つのことを思い描きながら。
「待ってください。あなたのお名前は?」
「あら、ごめんなさい。私の名前がまだでしたね。ヨルクラです。ヨルクラ・リョウコ」
夜倉涼子は俺のクラスにいた美少女の名前であり、その名前をふと思い浮かべていた(目の前の美女の長い髪が夜倉のものに似ていたのだ)ところで、ああ、もしかしたらこの人の名前はそんな名前ではなかろうか、などと夢想していた。それが現実のものとなったわけである。
はっきりしてしまった。
このおれ、異世界転生者の虚無に与えられた『チート』は……世界を思い通りに変換する、現実改変能力だ。
4章 エンドレス・エンド
現実改変能力というのは、平たく言えば世界そのものと対等を通り過ぎて超越し、世界の上位存在となってしまう一種の病のようなものである。それ自体は存在が確認されていた──理論上は。セント・モラール・エンジンの存在、オーヴァゼアを襲った『イヴェント』、その他この地に蔓延る不可解が肯定される。
異能、魔法、技術、加護、拳法、その他。本質はどれも現実改変能力に触れている。だが、触れる程度だ。世界の根幹に触れ、表層を少々弄くる程度の改変能力は多々あれど、世界そのものを任意に変換するような代物は確認されなかった。学者は理論的にこう分析した──前提を覆すようなルールはゲームに持ち込まれるべきではない。
真の現実改変能力。文学性を無視し、文脈を踏み越え、千切った紙を貼り付ける、禁断の冒涜行為。もしあるとすれば、それは──
「待て! これ以上近づくな!!」
スミの張り上げた声に制止され、トマソンは足を止めた。現代思想出版社前、カフェテリア。ターゲットはそこにいた。
「見ろ! あれを……ハリカリを!!」
キャットウォークで小賢しくも逃げおおせようとしたハリカリを捉えるべく、超越秘宝管理局のエージェントとして追跡を続けていたトマソンが見たものは、ハリカリのところに居た龍のスミが必死の形相で本来ならば敵であるはずの自分めがけて忠告を叫ぶ姿だった。何故そんなことをと訝ったが、答えはすぐに分かった。
「というわけだ。ほら見ろ、肉ってのはこうするとすぐに焼けるんだよ」
「なるほどなぁ。考えた事もなかった。両面焼きにすると確かに理論上は効率が倍化する。これは村を焼く時もひっくり返せばもっと楽になるかもしれないな」
「村なんて焼くのか? いい趣味とは言えないな」
「ああ、まあ趣味じゃないよ。仕事仕事」
ユッカ・ハリカリは、人間嫌いで社会嫌いの、引きこもりの異界観測学者で、稀代の天才で、そして魔術師だ。その禁忌指定魔術師ハリカリが、年端もいかぬ一介の子供の意見に熱心に耳を傾け、うなづき、まるで薫陶を受けるかのような態度で接しており、あまつさえ自分では思いもよらなかったとばかりに全く理解できない技術伝承を喜んですらいる。
異常……何もかもが、普通ではない。
「あのハリカリが、だ。悪夢だよ……思いもしなかった。こんな事が……起こりうるのか?」
「いやいや、どうなってるんだ、こりゃァ? おかしいだろ。何だこの光景。はめようとしてんのか?」
スミの指すラインの奥に踏み込まなかったのが功を奏した。恐らく、この先に進めばトマソンも似たような醜態を晒すことになっていただろう。超越秘宝探査端末は異常値を示しておらず、ウィノナの声も無い。少なくとも魔術的には正常な空間というわけだ。それにあのハリカリが魔術師相手に黙って篭絡されるとも思えなかった。となれば、この異常は魔力以外によるものか。端末の探知出来ないエネルギーがあるとも考えにくい。
「一体……何が起こってやがるんだ?」
トマソンに出来たのは、そんな紋切り型なリアクションを取る事だけだった。
エンドレス・エンド
信じていたものを失う感覚というのがあるならば、それは喪失感ではない。怒り、失望、どれにも当てはまらない感覚。シオーヌ・エリューが陥った感覚は、きっと虚無という言葉が最も適している。
法の守り神である法神デグラストロギギウスは『イベント』の際にその法力を発揮し、結果として原住民たる人間を果ての無い混迷から救った。シオーヌの人生の転換期であり、彼女はそれから法神デグラストロギギウスの熱心な信徒となり、オーヴァゼアポリスデパートメントでも出世街道を歩み続けてきた。法神デグラストロギギウスはバランスを司るバランサーだ。正義と悪のバランス、生と死のバランス、暴力と無力のバランス。オーヴァゼアを存続させるため、ありとあらゆる力学に介入する。
「大体、そういうのじゃないだろ、世界って。一人が勝手にバランスとっていいわけじゃない」
「はあ。そりゃまあ……そうなんですが」
現代思想出版社前、カフェテリア。法神デグラストロギギウスは今、シオーヌの目の前で正座し、虚無と名乗る一人の矮小にして愚昧なる一般人に説教されていた。
エンドレス・エンド
現代思想出版社前、カフェテリア。
同時多発的に存在するオーヴァゼアにあって、事象重複が起こることは珍しくは無いのだが。
著しい知性の低下。現実改変能力者、虚無が引き起こした文学的特異点。
そこではイセエビが、安倍心臓が、ドナルド・トランプ・ジュニアジュニアが、星間連合事務局長が、稲城市青少年育成会会長が、アンチマテリアル一族の長アンチ・マテリアル・ワールドが、世界アスロン世界チャンプが、勇者エドゾーが。
ハリカリにせよ、法神にせよ。オーヴァゼアに名だたる存在が、みな一様に一介の男子に言いくるめられ、説教され、無益な話を泣きながら聞かせられていた。それを誰かが目撃し、文脈を確定させていた。
虚無が自我を改変させ続けるように、村上ハルヒもまた、己の願望をコントロールしきれなくなっている。他人どころか己の自意識すら改変してしまう強力な現実改変能力による、事象の特異点。
セント・モラール・エンジンの姿だけが、そこにはなかった。
15498章 エンドレス・エンド
「物語は、終わらなければならない」
全物語の全存在が、虚無へ攻撃を仕掛ける。
オーヴァゼアという世界そのものが世界と対等に立ってしまった存在を無に帰そうとする。
それは一種の自浄作用だった。
「永遠に終わらない物語なんてない。それは永遠を冒涜してしまうから」
存在する物語として、村上ハルヒも刃を振るう。が、刃は通らない。ピリオドソードが通じない。
「ピリオドソード。物語の破壊、未来の断裁、可能性の切除、それに開放と赦しを足してもいいわ。どんな文学的記述表現を用いろうと、私のやって来たことは変わらない。その罪も」
「もちろん、超作家にとってそんな罪悪感は一時の気の迷いよ。精神病の一種なのよ。物語上でキャラクターを殺してしまうことは、法では決して裁かれない」
「だけど虚無。法的解釈と悔いは違う。この刃を最後にもう一度だけ振るわせてもらうわよ。虚無」
作家が創造者であるならば虚無は無限の改変者であり編集者だ。
編集者は文学を奪いとり、地の文を改変し、己の存在を確立し続ける。
「私が滅べばあんたも消える。虚無、あんたは私の暴走した欲望だった。認められない結末を前に、書き進める責任を果たさなかった、超作家村上ハルヒの、コントロールを離れた我欲の擬人化」
「来ないと”””死刑”””だから」
最終章 村上ハルヒの消失