※メアリー目線(侍女)2⃣
私はマーヤさんの案内で、天使殿へ向かっています。
王都の広いメイン通りは貴族御用達のお店が建ち並んでおり、メイン通りから派生するように横道が連なり、そちらの横道が一般の民たちが多く往来するお店となっています。
横道と言っても細い道ではなく、メイン通りほどの広さはないにしても、馬車も余裕に通れる広さです。
私も何度か使用人仲間と王都に来たことはありますが、お嬢様が王太子妃教育などで多忙になってからは、私も来る機会がありませんでした。私には、高級なドレスも宝石も必要ありませんから、生活に必要なものは公爵領で揃ってしまいます。公爵領も立派な街ですからね。
ですから、王都にも天使殿があることに驚いてしまいました。全く知りませんでしたし、以前来た時にも気づきませんでした。アンヘル出身の私としたことが、なんという不覚でしょう...。
それでも、王都の街並みを眺めていると、この国が天使様に守護され豊かな国なのだと感じます。
ただ、以前来た時よりも、街の活気が少しないようにも感じますが・・・。
ちょうど、メイン通りの中間くらいにある横道を曲がると、すぐ右手に王都警備隊屯所の建物がありました。
「ここが天使殿だよ」
マーヤさんの言葉通り、警備隊屯所の隣には大天使殿よりも小さい天使殿がありました。周りには、お花屋さんや雑貨屋さんなどのお店が立ち並んでいますが、ここの前だけは閑散としていて寂しい雰囲気が漂っています。
マーヤさんが鍵を開けてくれて、天使殿の中へと入ります。
「失礼いたします」
そして天使殿の中へ入ると、それほど広くない室内のため、すぐに奥にある大きな天使像が目に入りました。天井には小さな天使様たちの絵が描かれており、オレンジ色や緑色など様々な色を彩るステンドグラスの窓からは陽の光が差し込んで柔らかい空気感です。
3人掛けの長椅子が左右に3つずつあります。
天井や窓の造りは、とても大天使殿と似ています。大天使殿のミニチュア版と言ったところでしょうか。
「それじゃあ、この鍵を預けるからね。あの奥にある扉の向こうに2階に上がる階段があるし、掃除道具とかも置いてあるから好きに使っておくれ。
あっ、そうそう。ここの鍵は警備隊も持ってるからね。ここは一応、王宮の持ち物だし、アタシも毎日は来れなかったから、万が一の時のために警備隊が鍵を持ってるんだよ。ここの警備隊は真面目で頼りになる奴が多いから大丈夫さ。
じゃあ、困ったこととか分からないことがあったら、遠慮なく聞きに来ておくれよ!アタシも時間があいたら見に来るからさ!」
バシンッ!と私の背中を叩きながら言ったマーヤさんは、店番があるからと帰られて行きました。
ここへ来る道中も、気さくに会話もしてくれて、そんなマーヤさんを見ていると、幼い頃に両親を亡くした私は、きっと母親がいたらこんな感じなのだろうなと思い描きました。マーヤさんの背が見えなくなるまで見送り、一人になった私は再び天使殿へ入り、天使像の前に跪きました。
胸の前で手を組み合わせ祈りを捧げます。
「この国を守護し、天界を統べる天使様。本日より、こちらにお世話になるメアリーと申します。よろしくお願いいたします。
どうか、クリスティナお嬢様が心穏やかに過ごせますよう、お護りください。そして、私とご縁があった方々に、ご加護をお与えください」
そして、ゆっくりと目をあけて顔を上げ、改めて目の前の天使像を眺めます。
先程は入口の扉から見ただけでしたので気づきませんでしたが、こちらの天使像は男性のようです。大天使殿にあるアーリエル様の像は女性です。アーリエル様の像よりも大きい感じもしますが、アーリエル様と同じく両手を胸に当てています。こちらの男性の天使様のことを、今度アンヘルに帰省することがあれば、大天使殿の方にお聞きしたいと思います。
次の日、天使殿の掃除を開始しました。
時々、マーヤさんが掃除をしてくれていたおかげか、床や長椅子はそれほど汚れていません。2階の居住スペースも綺麗に整理整頓されていましたので、すぐに眠りにつくことが出来ました。ただ、天使像はあまり拭いていなかったようで、色が黒ずんでおりました。公爵家直伝の掃除スキルを舐めてもらっては困ります。私は、一心不乱に天使像を布で磨きました。
すると、どうでしょう。
黒ずんでいた色は銀色に輝いております。
銀色なところもアーリエル様と同じです。
天使像を造られた方は、同じ方なのでしょうか。しみじみと考えておりましたら、コツンっと靴の音がしました。顔を入口のほうへ向けると、王都警備隊の制服を着た男性がお二人、こちらへと近づいてきました。
「あぁ!あなたが新しい管理人の人ですね?」
人好きのする男性が声を掛けて来られました。
「あっ、はい。昨日より、こちらに参りましたメアリーと申します。王都警備隊の方々ですよね?ご挨拶に伺わず申し訳ありません」
本当は今朝、お隣の警備隊の屯所へご挨拶に伺ったのですが、時間が早過ぎたせいか受付に誰もいなかったため、お昼にまた伺おうと思い、昨日のうちに伺えば良かったと反省していたところでした。
「それは構いません。先程、ちょうど紹介所のマーヤに会って、あなたのことを聞きましたので、こちらに寄ってみたのです。私は、王都警備隊ヒュース・コスキネンです。何かありましたら、いつでも声を掛けてください」
「僕は、バギーって言います!よろしくね!」
マーヤさんが言っていた"真面目で頼りになる"感じで礼儀正しいヒュース様、人好きのする感じがバギー様。お二人は20代前半くらいでしょうか。
お二人とお話をしてみると、ヒュース様はコスキネン伯爵の三男で、ご自分は爵位を継げないため騎士を志したそうです。しかし、第一騎士団に所属できたものの上官の方と合わず、警備隊へ異動となったそうです。
「ヒュースはもっと愛想良くすればイィんだよ。剣の腕はピカイチなのに勿体無い!」
バギー様に、そう言われておりました。
バギー様は平民出身なのだそうです。身分に関係なく、実力が認められれば騎士でも文官でも可能なのが、このコフィア王国です。それもこれも、先々代リュバン王の政策のおかげです。バギー様は軽い口調ですが、警備隊に入るためには相当な努力をされたのでしょう。第三騎士団が王都警備隊を担っており、民からは"警備隊"の名前のほうで親しまれています。騎士の中でも、近衛騎士団や第一騎士団が花形ではありますが、平民から警備隊に入れるだけでも平民としては大変名誉なことなのです。
「私たちは、たまに祈りを捧げに来ていたのですが、今後もこちらに来てもよろしいですか?」
「まぁ!そうだったのですね。もちろん、いらしてください!」
てっきり、誰も天使殿へ来ないものだと思っていたため、ヒュース様から尋ねられて喜んでお返事しました。
「ありがとうございます。それでは、困ったことなどありましたら、いつでも言ってくださいね」
ヒュース様はそう言うと一つ頷いてから踵を返し、バギー様は私に手をヒラヒラと振ってヒュース様を追いかけていきました。
そして、朝夕は天使様へ祈りを捧げ、物置にプランターが置いてあったため、閑散としていた天使殿前にお花屋さんでお花を買って飾ったり、天使像を磨きあげて過ごしておりました。
ステンドグラスの窓も掃除したいのですが、窓は高い場所にあり梯子を探しましたが見当たりません。こんなことをお願いしてもいいものかと迷いましたが、警備隊の屯所にあればお借りできないか伺いに行きました。
ちょうどヒュース様に対応していただけて事情を説明すると「女性を高い場所に登らせるわけには行きません」と、窓拭きを手伝おうとするではありませんか。
「警備隊の方に、さらには貴族の方に、そのようなことはさせられません!」
「王都で困っている民がいれば、それを助けるのが王都警備隊の職務です」
職務だと言われてしまいますと、それ以上の言葉は言えなくなってしまいます。窓拭きも職務のうちに入るのかは疑問ですが...。
結局、高い場所の窓はヒュース様に手伝っていただき、窓拭きが全て終わると天使殿の長椅子に一人分の空間を空けて二人で休憩していました。
「ここは落ち着くんです...」
ポツリと、ヒュース様が呟きました。
ヒュース様とバギー様は、最初にお会いした日の言葉通り、よく祈りを捧げに来てくださります。
「わかります。ここは、とても優しく澄み切った空間で、心が穏やかになりますよね」
私は、そう返しながら天使像を見つめました。
「きっと、あなたが来てくれたからです。天使像が、あれほど綺麗な銀色だとは思っていませんでした。入口前にも花を飾るだけで明るくなりましたし、人が立ち止まって天使殿を見るようになりました。窓を拭いたからか、今まで以上に陽射しを感じます。寂しい雰囲気だったのが、とても光を纏ったようになりました」
そう言ったヒュース様は、窓から降り注ぐ優しい木漏れ日に包まれていました。
「そう言っていただけて光栄です。ありがとうございます。私は、アンヘル出身なので、大天使殿が身近にありました。天使殿には思い入れが強いのだと思います。こちらの天使殿には人が来ないとマーヤさんから伺っておりましたので、ヒュース様やバギー様が祈りを捧げに来てくださるのが本当に嬉しいです」
「いえ、私も警備隊に配属されるまでは知らなかったのです。王都で生まれ育ったのに、です。学園や第一騎士団にいた時も知ることはありませんでした。さすがに大天使殿の存在は知っていますが、この国は天使に守護されていると伝えられているのに、不思議で仕方ありません。
この天使殿に入ったきっかけも、マーヤから鍵も預かっていたし、誰もいない建物に変な輩が住みついていないか見回りするためにバギーと入っただけなんです。でも、中に入った瞬間、他と空気が全く違いました。空気が澄んでいて、頭が研ぎ澄まされる感覚になりました。気づけば、バギーと二人、示し合わせたわけでもないのに、月明かりに照らされた天使像に祈りを捧げてました。
それからです、ここへ祈る目的で来るようになったのは。ここ最近、この国...いや、特に王都は不可解なことが起こっているように感じるので、ここへ来て頭が研ぎ澄まされてモヤが晴れる感じは、助かっているんです」
「不可解なこと、ですか?」
すると、ヒュース様は私に顔を向けて、ジっと私の目を真剣に見てきました。
「あなたは、ふとした時に、とても憂いた表情をします。何か心配ごとがあるのではないですか?」
私はその言葉を聞いて目を見開き、私もヒュース様の目を見つめました。
あぁ...この方は、ただ無口で、ただ表情の変化が乏しく誤解されやすいだけで、とても人の機微に聡く、よく人をご覧になってるのですね。それは、愛情深い人でなければ出来ません。
私は、よく知る敬愛している方とヒュース様を重ねてしまいました。
私は、もう一度天使像に目を移し苦笑します。
「ヒュース様には、分かられてしまうのですね。...私には、とても大切な方がいらっしゃいます。ですが、私はお側にはいられないため、その方が全てを一人で背負おうとなさらないか、心配でなりません。彼女が...その方が、生きやすい世の中になることを切に祈ることしか、私には出来ないのです...」
ヒュース様は黙ったまま聞いてくださいました。
すると、ヒュース様は徐に私に前に跪き、そして「失礼」と小声で言うと、私の膝の上に置いてある両手をヒュース様の両手で包み込んでくれたのです。
その手は、とても温かくて優しい大きな手でした。
それから数日後。
夕方となり、開けっぱなしにしていた入口の扉を閉めようと扉に近づくと、外からヒュース様とバギー様の声が聞こえてきました。巡回から戻られてきたのでしょうか。
「どうなってんの⁉︎今度は、ザイとダイもだよ⁉︎二人もだよ⁉︎」
姿は見えませんが、この声はバギーさん。なんだか、穏やかな声ではありません。
「あぁ。怖いくらいに心酔しているな。あの二人も、あっち側に呼ばれたみたいだ。地下牢がどうとか言っていた」
ヒュース様の声も、いつもより重く感じます。
「なんなの!?ベイカー男爵令嬢って!?そんなにすごいわけ!?」
「シッ!あまり大きな声で言うな。誰かに聞かれたら大変だぞ」
まさか私が聞いていますとも言えず、その場から動けませんでした。
「けどさ、騙された民を助けているのがベイカー男爵令嬢とか信じられないんだけど。なんか、おかしくない!?そんな力ある!?」
そう言いながら、お二人は警備隊屯所へ入って行きました。
ベイカー男爵令嬢...
王太子殿下の寵愛を一身に受けていると言われる方。そして、クリスティナお嬢様に虐げられていると言われる方。そのことを知らない王都の民はおりません。王都を歩いていると、必ず誰かは噂しております。
私は嫌な予感がして、あまり眠れない夜を過ごしました。