暗闇での目覚め②
さて、少し見つめ直しが脱線してしまったが、元に戻そう。
私が生まれたロバート公爵家の父と母の夫婦関係は、ひどく冷め切っていた。
両親とも仕事人間で、家をほとんど不在にしていた。
公爵領は王都の隣だ。王都には旅行客も大勢集まるが、王都にあるホテルなどの宿泊施設は高額なため、王都にタウンハウスを持ちにくい子爵や男爵の下位貴族向けや、平民向けの安価な宿泊施設、お土産産業に父は力を入れていた。
王都から公爵領まで馬車で20分、天候が悪くても30分あれば行けるので、公爵領の宿泊施設は人気があったのだ。
母は、治安を良くするためには領民全員に平等な教養が必要という考えの持ち主で、子供たち全員が教育を受けられる学校運営や、孤児院や治療院などの慈善事業に力を入れていた。
そんな父と母が、たまに家で顔を合わせるとケンカばかりで、幼い頃の私は泣きながら自室にこもっていた。だから、両親と会話らしい会話もなければ、食事をいっしょに食べることもないに等しかった。
私の誕生日でも帰ってこない両親に代わり、メアリーを筆頭に公爵家の使用人たちがお祝いしてくれた。この日だけは、私と使用人たちがいっしょに食卓を囲むのを執事のセバスチャンは見逃してくれた。
年に一回、楽しく話して笑いながら食べる食事は、最高に美味しく感じた。あの時の感動を、あの時の味を私は今でも思い出せる。
それでも、幼い頃の私は両親の愛情が欲しくて、どうやったら褒めてもらえるだろう、どうやったら笑ってくれるだろうと、真剣に悩んだ。
一度、お母様に侯爵夫人のお茶会に同じ年頃の子供がいるからと連れてってもらったことがあった。
その時、侯爵夫人の娘のキャスリン様が習いたてのお茶の飲み方を、拙いながらも綺麗に出来た時、侯爵夫人が「良く出来ましたね」と褒めて、キャスリン様の頭を撫でていた。
頭を撫でるという愛情表現を初めて知った時の衝撃は、まるで雷に打たれたようだった。
その光景を、うらやましく見ていたのを覚えている。
私も頭を撫でてもらいたくて、褒められる方法はないか余計に悩みに悩んで、たどり着いたのが7才になる年だ。
7才の年齢を迎える年、王国の王族貴族の子息子女は、コフィア王立学園に入学する決まりがある。
7才〜12才が初等部、13才〜15才が中等部、16才〜18才が高等部だ。
昔は高等部だけがあり、貴族は幼いころから各家庭で家庭教師を雇い教わっていたそうだが、そうすると公爵・侯爵・伯爵の高位貴族、子爵・男爵の下位貴族で教養の差が出過ぎた。教養にかけられるお金が、高位貴族より下位貴族は余裕がないからだ。
そのため、高位貴族による下位貴族・平民への差別が酷くなる一方で、上の者が下の者へ暴力・搾取など非道な行いが横行するようになり、ついには長年の不平不満が限界を超えてしまった下位貴族・平民が結託して暴動を起こした。
それを鎮静化するために、教養改革を行なったのが先々代の王リュバンである。学園機関が3年しかなかったところを低年齢化させ、皆に等しく教養の場を与えることを目的とした。もちろん、平民も学園に入学することは可能だが、学園費用はタダではないので、どうしても裕福な商人の子供くらいしか入学してこれないのが実情ではあるが。
それと同時にリュバン王が行ったのが、貴族の粛清である。横暴な貴族を次々と排除したのだ。民のため、国のために、なんの役にも立たず害でしかない貴族はいらない、と。
その際、リュバン王は天使の力を駆使したと伝えられている。
なので、今の時代にいる貴族は、一応は真っ当な貴族ということになる。
それで、私が学園に入学する7才になる年。
コフィア王国の第一王子リュドヴィック殿下が、私と同じ年齢のため、リュドヴィック殿下も学園に入学してくることを知っていた。
それをチャンスだと思い、お会いしたことはなかったが学園でリュドヴィック殿下と仲良くなり、婚約者に認められるために頑張ろうと決めた。
王族の婚約者となれば、「よくやったね」と、両親に褒めてもらえると思ったからだ。
それに、婚約者となれば王家とも今まで以上に懇意にできるため、公爵家のためにもなると思った。
家柄は公爵家なので問題ないはず。
あとは、教養と人間性の問題なので、そこは勉強を頑張ろうと思っていた。
安易な発想だったと思うが、まだ7才にも満たない私が精いっぱい考え抜いたものだ。
テストで満点とる、ダンスを華麗に踊る、刺繍を綺麗に仕上げる...。それだけでは足りないのだ。
絶対に、絶対に褒めてもらえるものを。
ただただ、両親に褒められたくて愛されたくて。
結局、両親に頭を撫でてもらうことは生涯なかったが、それは周りに誰もいない時にメアリーの役目となった。
そして、学園の初等部入学式の朝。