65 琥珀色
まったくっ……臭いがとれないじゃないか……
と馬車の中でブツブツ言っているエリオット。
袖を鼻に近づけ、もしかして獣……
「だから嗅ぐな、ハルの匂いじゃない」
香水の臭いだ……と。
「ハル、茶会で辛い思いはしなかったか?」
エイダンが心配してくれる。
「うん、メイドさんとお友達になれたし楽しかったよ」
そういうとエイダンが少し驚いたような顔をしてエリオットが吹き出す。
「ハルッ……茶会に行ってメイドと友達になったのか?」
よかったな、と笑うエリオット。
うん…………なぜ笑う……
「貴族の参加する茶会なら、皆自分よりも家格の上の人と繋がろうとするからね、でもハルには関係がないみたいだ」
そう言って嬉しそうに笑うエイダン。
そういうチャンスの場でもあるのか……
確かに私には関係ないかな。
「ハル、遅くなったけれど、ドレス姿も素敵だよ」
とサラッと褒めてくれるエイダン。
「あ、ありがとう。素敵なドレスを頂いたけれどしばらくは貴族のお茶会は遠慮したいかな」
と笑う私にそうだろうな、とエリオットも笑う。
王妃様が、今回選んだドレスは差し上げるからそのまま帰っても構わないと言ってくれた。
皆さん大喜びだったけれど……私は……
だって森に住んでいるんだよ? タンスの肥やしかなぁ、勿体ないけれど……
そんなことを考えていると
「帰ったらそのまま少し付き合ってくれないかな」
とエイダンが……なんだろう?
「陛下から美味しい酒を頂いたから一緒に飲もう」
お酒……お酒かぁ……外では飲まないようルウに言われているしなぁ。
でも王様がくれたお酒……飲んでみたい気もする。
「もしかして酒は飲めない?」
と申し訳なさそうに聞いてくるエイダンに
「あ、お酒は好きだよ」
思わずそう答えてしまった。
「それなら食事の前に少しだけ」
ね? と言われ思わず頷いてしまう。
本当に少しだけなら大丈夫だよね。
エイダンの家に着くとエリオットが御者にそのまま侯爵家へ戻るように言っていた。
今夜はエイダンの家に泊まらせてくれると言われているけれどルウ達にそのことを伝えられていないから、ベッドに入る前にルウにもらった魔道具で一度家に帰ろうと思う。
黙って外泊したらみんなが心配する…………
してくれると思う……たぶん。
家に入るとさっそくエイダンがグラスを三人分用意する。
「二人ともお酒は好きなの?」
あぁ、と二人とも頷き
「あまり家で飲むことはないけれどね。ハルも酒が飲めるのなら家で楽しむのもいいかもしれないな」
そう話しながらグラスにお酒を注ぐエイダン。
うん、ちゃんと少しだけにしてくれた。
色はウィスキーっぽくて大人のお酒っていう感じ。
まぁ、お酒は大人のものなのだけれど……
それぞれグラスに口をつける。
それから………………
-- エイダン --
まさかハルが…………
こんなに酒に弱いとは……
頬を染めてフニャリと笑いながらエリオットの頭を撫でている。
最初は抵抗していたエリオットだったが……
「エリオットはお兄さん思いのいいコだね、私には少しキツいこともあるけれどお兄さんを心配してるからだってわかってからは可愛くて仕方がないよ。弟だねぇ、可愛い弟だねぇ」
と、おそらく思っていることを口にしてしまっているのか……
「僕はハルの弟じゃない」
と半ば諦めながらときどき抵抗するエリオットだが、そうだねぇ、と言いながら撫で続けるハル。
「兄上……どうにかしてください」
とうとうエリオットからそう言われてしまった。
「ハル」
そう声をかけるとクルリと振り返り私の元へくるハル。
城で貰ったドレスは胸元が大きく開いたもので肌が薄く染まっている……
思わず手が伸びそうに……
「エイダン」
ハルに顔を覗きこまれ慌てて視線を移す。
「エイダンはさ、いいお兄さんだよね。いい人だし。ただねぇ……もう少し自分を大切にしてほしいかなぁ」
と今度は私の頭を撫で始める。
「ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、エリオットみたいにやりたいことをやって、エリオットみたいにわがままを言ってみたりエリオットみたいに」
おいっ、とエリオットが立ち上がる
「お前は何も知らないくせにっ」
振り返るハルの肩にエリオットが手を伸ばす。
止めようと立ち上がり私も手を伸ばすとハルが私達の手を握る。
「うん、ごめんね。ただ……二人には幸せになって欲しぃ…………」
カクンと身体の力が抜けたハルを支え抱き上げる。
眠ってしまったようだ。
「兄上……」
エリオットが心配そうに戸惑っている。
「大丈夫だよ、寝ているだけだ」
なんなんだよっ、とソファーに戻るエリオットにハルをベッドに寝かせてくる、と言い二階のハルの部屋へ向かう。
ベッドに寝かせ頬に触れると
「ハァ……フフフ……」
私の手が冷たくて気持ちいいのかスリスリと柔らかい頬を寄せてくる。
やりたいことをやって……わがままを言って……
そんなことを言われたことがなかった……
頭を撫でられたことだって……
やりたいことをやってもいいのだろうか……
わがままを言っても……
頬に触れた指で唇に触れる……柔らかい……
指を滑らせ喉を通りドレスから肌が出ている胸元に手を当てる。
火照った肌が私の手に吸い付くようで心地いい。
「ハル……」
フフフッと眠ったまま笑うハル。
首元を緩め、ハルの隣に横になりもう一度耳元でハルの名前を囁き耳たぶを食む。
「フフッ……ンッ……」
首元に顔を埋めると火照った肌と甘い香りにクラクラする。
首に唇を這わせるとくすぐったいのかクスクスと笑う。
「アッ……ン……ンッ……」
ときどき甘く可愛い声を出すハルに……これ以上は……
酔っているハルにこれ以上は駄目だ……
頭ではわかっているのに離れがたい……
離れがたいがっ……どうにか……ハルから離れる……
「理性は……保てたようだな」
いつの間にか男が部屋に……金……いや、琥珀色の目……
また魔族……
「危うく殺すところだったよ……」
ベッドに近づきハルの頭を撫で一人言のように呟く男……
ハルの周りの空気がフワリと動き……何だ……?
「キレイにしただけだよ。僕のハルにベタベタと触られたからね」
ハルの名前を言った……しかも自分のだと……
この魔族の男はハルを……?
ハルは知っているのか?
「一体……何なのだ。以前ハルを連れ帰った魔族の女性といい貴方といい……ハルは知っているのか?」
愛おしそうにハルを見つめる視線をゆっくりと私に移すその目は……冷たく何も読み取れない。
「貴方には関係ない」
またか……
以前来た魔族の女性も知る必要はない、と
「貴方も魔族ならばわかるだろう? ハルは、僕のものだ」
私に魔族の血が入っていることを知っている……
いや、ハルから聞いたのか……?
「ハルは何も言っていないよ。僕にはただ……わかるのだよ」
私の表情を見てそう答える。
魔力がわずかにあることに気付いたのか……どうして……いや、それよりも……
「貴方は私を魔族だと認めるのだな」
馬鹿にした様子もなく私を魔族だと言ったことに少し驚いて思わずそう言ってしまった。
「魔力があるのだから魔族だろう」
当然のことのように言う。
これだけ魔力の差がある魔族に知られたら馬鹿にされるだろうと思っていたのだが……
「ハルに好意を持つのは勝手だが、僕のものだ」
ハルの身体がフワリと浮く。
「僕はハルを閉じ込めるようなことはしたくはないし、自由に楽しく過ごして欲しい」
そう言って横抱きにしたハルの額に口付けをする男を見ると……胸の奥にザワリと嫌な感触が広がる……
「瞳の色が変わったな」
男の言葉にハッとする。
「ハルの信じているものは信じてあげたいし、大切にしている友人は大切にしてあげたいと思っている」
だから、とこちらを見る目はゾクリとするほど冷たい。
「ハルがガッカリするようなことはして欲しくはないかな」
と、今度は優しく微笑むけれど……その笑顔に優しさは一欠片も含まれていないことはわかる。
「頼むから、誠実に向き合ってね」
言葉は柔らかいがその奥には……できないならば殺す、という言葉が隠れているようだ。
「今夜は連れて帰るよ、ハルが安心して眠れる場所にね」
そう言って男は壁に向かい手を当てこちらを見て
「おやすみ、エイダン」
そう言うと壁の中へ消えていった……
あの男……どこかで…………?
それよりもなぜ……夜にハルの気配がなくなるのか……なぜこの部屋に入れないのかわかった……
あれほどの事ができる魔族が短期間に三人も現れた……
ハルのために……
彼らは今までどこにいたのだろう……
そういえば……ハルは……この森に住む前はどこに住んでいたのだろう……生まれは……?
ハルのことを何も知らない……
……また会えるだろうか……彼はハルを閉じ込めるようなことはしないと言っていたが鵜呑みにはできない。
ハルの休日である明日、明後日は様子を見ておこう。
その後、もし私の家に来なければ……探しに行こう。
いろいろなことを考えては打ち消しながら階段を下りていくと
「兄上……? 大丈夫ですか?」
とエリオットに心配をかけてしまった。
「あぁ……、大丈夫だよ。すまないが私も今日はこのまま休むよ」
そう伝え自室に戻りハルの部屋へ続くドアを開ける。
やはりハルがいないときは簡単に開くのだな……
ハルに拒絶されているわけではなかった……
ハルが拒絶しているわけでもなかった……
ハルに私を受け入れて貰えるよう努力をしよう。