29.事件後
目を覚ますと、見覚えのない豪華な天蓋と自分の部屋より幾分広く立派な細工が施された調度品が目に入った。
カーテンの隙間から柔らかな日が差し込んできている。
ここは…
見回すと、椅子に座ったまま眠っているクリスティーナの専属侍女のマリーが目に入った。
マリーがここにいるっていうことは、助かったってことよね?
ゆっくりと起き上がって、枕元に置いてあった水差しからグラスに水を注いで、渇き切った喉を先ずは潤した。
そして、ぐっすり眠るマリーを起こさないように、そっと床に足を下ろし窓辺へと向かった。
カーテンをほんの少し開けて外を見ると、眼下には見たことのある立派な庭園が広がっていた。
やっぱり王宮だわ。
あれは夢じゃないのよね?
「お嬢様?」
クリスティーナがぼんやりと窓の外を見ていると、気配を感じたのか、マリーが目を覚ました。
「よかった。目が覚めたんですね」
まだ目の下に隈の残っているマリーは目に涙が浮かんでいる。クリスティーナはマリーにぎゅっと抱きついた。
「ごめんね。心配かけて」
「本当ですよ。何日寝てるんですか」
マリーが鼻をぐすぐすさせながら、クリスティーナを抱き締め返した。
「えっと、何日寝てたの?」
「助け出されてから、今日で四日目です」
「四日…そんなに経ってるの。ところで、ここは王宮よね?」
「そうです。ジークハルト殿下がお嬢様が目覚めた時、見知った者がいた方がいいだろうって仰ってくださって、私が公爵家より王宮に参りました」
「そうなの。ありがとう」
確かに目が覚めた時にマリーがいてくれたから、ほっとした。
気遣ってくれたジークハルト様に感謝だわ。
「お嬢様がご無事で本当によかったです。皆さん心配していらっしゃいます。お嬢様が目を覚まされたってお知らせして来ますね」
マリーはいつもと変わりないクリスティーナの様子にほっとして、部屋を出て行った。
置いてあったショールを羽織って、カーテンを開けて部屋に差し込む朝日に目を細めた。
四日も寝ていたせいか、体力が落ちているようで、立っているのは辛いので、ソファに腰を下ろした。
あの後、どうなったんだろう。
お兄様は大丈夫だったかしら。魔獣はほぼ制圧していたとは思うけど、あの魔獣がどこから来たのか分からないし。
あの転生者らしきメジリアの王子がなんだったのかも気になる。
ニコラスの所業を思い出して気分が悪くなってしまったが、ジークハルト自ら助けに来てくれたことを思い出して、胸がほんのり暖かくなった。
ジークハルト様、怪我なんてしてないわよね。マリーを呼び寄せてくれてるくらいだし。
しばらく色々と考え事をしていると、バタバタと走ってくる足音がして、バンっと勢いよくドアが開かれた。
「ティーナ!」
大きな音にびっくりして立ち上がったクリスティーナは入ってきた人物によって、ぎゅうぎゅうと抱き締められた。
くっ苦しい!
「お父様!離して!苦しい!」
抱きついてきている腕をバンバン叩いた。
「ごめんよ」
しゅんとして眉尻を下げて謝る父親に腕を摩りながら、胡乱げな目を向ける。
デジャヴだわ。
この人は私がクリスティーナとして、目覚めた時もこんなだった。
すっごく心配していたんだろう。クリスティーナはいっぱい愛されていたのね。
悄然とした様子にふふっと笑みが溢れた。
「お父様、ごめんなさい。心配かけて」
今度はクリスティーナから抱きつくと、ラグリー公爵はそっと頭を撫でた。
「ティーナが無事でよかった」
「お兄様は大丈夫でしたか」
クリスティーナは気になっていたあの後のことを尋ねた。
「あぁ、大丈夫だ。あの子は優秀だからね。魔獣は全て倒して、発生源の魔法陣も破壊した」
ラグリー公爵は何かを思い出しふっと笑った。
「レイモンドもティーナのことをすごく心配してた。自分も助けに行くって言うのを王家の影にお姫様は王子様が助けに行くから、自領のことをまずは片付けるように言われたらしいよ」
「ジンがそんなことを」
必要がなければ姿を現すことも話すこともないような王家の影のジンがお兄様にそんなことを言うなんて意外だ。
「あの影はジンっていうのか。魔獣が現れた村は人的被害は幸いなことになかったけど、かなり荒らされたからね。魔法陣のこともあって、後始末が残っていたのもあるし、いくら優秀でもレイモンドはまだ学生だから、万が一のことを考えて連れて行きたくなかったんだろう」
「そうですね。それでお兄様に何かあったら、私が困ります。止めてくれてよかったです」
クリスティーナは王太子のジークハルト様はもっとダメなんじゃないかとちょっと思いつつも、無事であったことにほっと安堵の息を吐いた。
マリーが野菜を柔らかく煮込んだ胃に優しいスープを運んで来たのを機にラグリー公爵は後ろ髪を引かれながら、仕事へと戻っていった。
スープを食べ終わった後、王宮の医師の診察があり、打身が少し残っているものの、その内に消えるし後は体力を戻していけば問題ないと太鼓判を押された。
マリーは身体を清めてさっぱりしたいと言うクリスティーナの湯浴みを手伝いながら、クリスティーナのこの数日で痩せてしまった身体を痛ましそうに見つめて涙ぐんだ。
「大丈夫よ。きっとすぐに元に戻るわ」
クリスティーナは簡易な部屋着を身につけながら、明るく微笑んだ。
その後、体力のまだ戻り切らないクリスティーナは寝たり起きたりを繰り返しながら、一日を過ごした。
夕方になって、漸くジークハルトがクリスティーナの元を訪れて来た。
「やっと来てくれたんですね」
ちょっと拗ねたように言うクリスティーナをジークハルトがそっと抱き締めた。
「よかった」
ジークハルトは真っ赤になって固まっているクリスティーナの肩に暫く顔を埋めていた。
マリーが静かにお茶の用意をすると、下がっていった。
「あの、なんで隣に座るんですか」
いつになく、くっついて座るジークハルトに顔の熱の引かないクリスティーナは戸惑っていた。
「クリスティーナがここにいるって感じていたいから」
クリスティーナの手を握って困ったような顔をしているジークハルトの目の下にはくっきりと隈が浮かんでいた。
心配をかけて、助けに来てくれたのに、まだお礼も言えてなかったことに思い至った。
「心配かけてごめんなさい。それから助けに来てくれてありがとうございます」
「うん。でも謝る必要はないよ。俺がもっと早くに手を打つべきだった。辛い思いをさせてごめん」
「ジークハルト様が謝る必要もないです。ジークハルト様が助けに来てくれて、私はとても嬉しかったです。それに悪いのはマーマリード公爵とメジリアの王子ですよね」
「そうだな」
ジークハルトは思ったよりも元気そうなクリスティーナにほっとしたように笑った。




