26.誘拐
寒い…
体も痛いし。
頭がぼーっとする。
クリスティーナは重い瞼を何とかこじ開けた。
窓のない簡素な部屋で、灯りが一つ点っているものの、光源は弱く、薄暗い。
どこ?
なんでこんな硬い床で寝てるんだっけ?
辛うじて赤いカーペットが敷いてあるが、ペラペラでラグリー公爵家にあるような物ではない。
クリスティーナは重たい体を起こした。
ここは少なくともラグリー公爵家の屋敷ではないわね。
いくらなんでも床に寝かせる訳ないし、こんな地下室みたいな部屋見たことない。
確か、領地の屋敷に向かってる途中で突然魔獣の群れに襲われたのよね。
お兄様と護衛が魔獣を倒していたけど、あまりに数が多くて。
それから、ジークハルト様が付けてくれていた影の…ジンが魔獣を次々倒してくれた。
そして、子どもの前に魔獣が迫っているのをジンが倒して…
後ろから何か薬を嗅がされた!
攫われたってこと!?
クリスティーナの目が一気に覚める。
一応、扉が開かないか試してみたが、当然だがカギが掛かっている。
魔法を発動しようとしても、全く魔力を感じない。
なんで!?
違和感を感じて足首を見ると、黒い幅広の輪っかが付けられていた。
これは多分魔力を奪う魔道具だ。
何とか外せないかと引っ張ってみるが、びくともしない。
何とかここを脱出しないと。
でも、魔法が使えないし、どうすれば…
ジークハルト様…
無意識にネックレスを握っていた。
大丈夫。
お兄様とジンがジークハルト様に私が攫われたって知らせてくれてる。
もし、私を攫ったのがマーマリード公爵とメジリアの者なら、ジークハルト様が証拠を掴む為にずっとマークしているはず。
ラグリー公爵領からメジリアまでは馬車で一週間はかかる。かと言って転移魔法は国を跨いではできない。そして国境には警備隊もいる。
窓もないし、どれくらいの時間が経っているのか分からないけど、さすがにあれから一週間経っているとは思えないから、きっとマーマリード公爵関連の建物に監禁されてると考えていいだろう。
なら、私はジークハルト様がここを突き止めるまでの時間を稼がないと。
ジークハルト様からプレゼントされたネックレスは取られてはいない。
でも、私が作った魔道具と同等の物だとすると、魔力がないと魔道具としての機能を果たさないかもしれない。
でも、どうか私を守って。
「おや、目覚めましたか」
突然鍵が開けられる音がして扉が開いた。
二十代前半と思われる燻んだ金髪の中肉中背の男が入ってきた。後ろには見覚えのある三十代の男。
二人とも一目で仕立てがいいと分かる服を着ている。
三十代の男はマーマリード公爵だ。どことなく国王陛下やジークハルトと面差しが似ている。
「こんな殺風景な場所でごめんね。君が逃げようとしなければ、もっと綺麗な部屋に移れるようにするからね」
二十代の男は機嫌良さそうに笑った。
この状況で笑うっていう神経が分からない。気持ち悪い。
「あなた誰ですか。どうしてこんなこと」
クリスティーナは少しでも距離を取ろうとジリジリと後ろに下がった。
部屋に入って来たのは二人だが、外にも人がいる気配がする。
この二人を何とかしても、部屋の外に何人もの仲間がいたのでは、逃げ切るのは難しそうだ。
「これは失礼しました。自己紹介がまだでしたね。メジリア王国の第三王子ニコラスです」
あまりにごく普通に自己紹介する男を凝視した。
メジリア王国の王子なの!?
確かに身につけているものは高級そうだけど、ジークハルト様のようなキラキラオーラはない。
金髪は色が少し燻んでいるし、灰色の瞳は一般的な色で、顔立ちは比較的整ってるって程度だ。
ゲームでは隣国の王子なんて出てこなかったと思うんだけど…他の攻略対象者は皆イケメンオーラがバシバシ出てる。
ということはモブ?王子なのにモブ?
いや、ゲームとはもうかけ離れてるんだから、それを考えても仕方ない。
それより、私はなんでここに連れて来られたのか。
「じゃあ、これで約束は果たしたってことで、あとは好きにして下さい。まだこっちは全く上手くいってないんですから、よろしくお願いしますよ」
マーマリード公爵は冷めた目でニコラスとクリスティーナを見ると部屋を出て行った。
え?こんな訳の分からない王子と二人にされるの?一緒に連れて行ってよ!
クリスティーナの内心の抗議も虚しくバタンとドアが閉められる。
「それじゃあ、邪魔者もいなくなったことだし、僕たちの交流を深めようか」
ニコラスはニコニコしながらクリスティーナに近づいて行った。
ニコラスが近づく分、クリスティーナは後ろに下がって行って、あっという間に壁際まで追い詰められた。
「なっなんでこんなこと」
ニコラスが間近まで迫って来て、クリスティーナの体は思わず知らず固くなる。
「なんでって、僕は婚約者がいる男に近づいてたらし込むヒロインより一途な悪役令嬢派なんだよね」
「!!」
ヒロイン!悪役令嬢!
ニコラスは転生者ってこと!?
「そう。僕は転生者。これだけゲームとストーリーが変わってるってことは君もそうなんでしょ?」
ニコラスは黙りこくっているクリスティーナを嬉しそうに見つめて、勝手に話を進めていく。
「クリスティーナはジークハルトから断罪されて国外追放されてメジリアにやって来るはずだった。それを僕が保護する予定だったのに、あの役立たずのヒロインがジークハルトを攻略できなかった。邪魔してたのはクリスティーナだよね?あの魅了の魔法を防ぐなんて、さすがだよ。おまけに解除方法まで見つけ出してるとはね。だからね、国外追放を待つのはやめたんだ。クリスティーナ、君を連れ去ることにしたんだ」
クリスティーナがもう逃げられないと思っているからか、上機嫌でペラペラ喋るニコラスの話を聞いて、どんどん気分が悪くなっていく。
ここはゲームの世界だったけど、みんな生きてるし、心だってある。思い通りに動かそうだなんて間違ってる。
それに、私の気持ちを無視し過ぎ!
私が一緒にいたいのは…
「わたくしはジークハルト様をお慕いしています。だから、あなたとは行きません。家に帰してください」
クリスティーナは顔を上げてきっぱりと言い切った。
「うん、そうだよね。そういう一途なクリスティーナは素敵だよ。でも、心変わりして断罪するような男より僕の方が君にふさわしい」
話が全く通じない!
「心変わりって、魅了の魔法のせいじゃないの。魅了がなければ、ジークハルト様はそんなことする方じゃないわ」
「それはどうか分からないよ。元々の筋書きはヒロインに籠絡されるんだから。ただ、あのポンコツヒロインじゃ難しいか。わざわざ魅了の魔法まで授けられたのにな。あいつも転生者だから、中身が本当ひどい。でも、本物のローラなら好きになるんじゃないか」
こいつ…
人が気にしてること、ニヤニヤしながら抉ってくる。
「たらればの話なんてしても仕方ないわ。少なくとも、私はあなたを好きになることはない」
バンっ!
ニコラスは苛立たしげにクリスティーナの顔の横の壁に手をついた。
ひぃっ
壁ドン!?
好きでもない男の壁ドンはときめきどころか恐怖でしかない。
「その生意気な口を閉じさせようか」
ニコラスがクリスティーナの顎を掴んで顔を近づけて来た。




