第八十九ノ夢 それこそ、彼が望んだ先は
もはや逃げ場もなければ動くことさえ出来ない明石が全身を駆け巡る痛みに声にならない悲鳴を上げる。高く高く木霊する悲鳴を神々の一人は恍惚とした表情で聞き入り、また一人は子守唄にするつもりなのかコクリコクリと船を漕いでいる。狂っている。いや、元々ここには狂っている奴しかいないのかもしれない。そんなことをふと、痛みの中、管理者は考えてしまう。
「封印した者と封印された者、どちらが上か、お人形さんでも分かるだろ?」
管理者の腕を掴んだ一人が彼の前に身を乗り出して笑う。上下逆さまになって覗き込む姿は何処までも無邪気な幼子に見える。嗚呼、なんという。管理者は否応にも理解した。つまり、神々の力が強すぎたのだ。だからこそ、あんな神聖とも言えない儀式で『憤怒』のような人物が出てきたにも関わらず、殺せなかったのだ。手が届かなかったのだ。悪神は一度であれ神に殺意を抱くだろう、明石のように。けれども決して届くことはない。何故なら、神様だから。全知全能なのだから。だからこそ、自らを正義と名乗り異端を封じ、滅し殺し、嘲笑う。この世界は全て、神の手中にあるのだから。この世界のものは全て、神の玩具に過ぎない。
「お前にはまた教え込まないとな?何度でも何度でも」
無邪気なまでの笑みに管理者の顔が、身体が固まる。幾度も与えられ、聞き入れてもらえず、自らが悪だと、間違いだと理解させるまで行われた折檻。いや、あれは殺人だ、暴力だ。なにが正義だ、クソ食らえ!そう言えればどんなに良かっただろう。しかし、管理者の感情はもう幾度も絶望に塗り替えられていた。それこそ、反論の声を上げることさえ忘れやめてしまうほどに。幾度も与えられた絶望は簡単には希望になり得ない。と、その時、明石の悲鳴が甲高い声に変わる。絶望という深い思考の生みから管理者は顔を上げる。封印を施されているのか、彼女の体には何重にも黄金色の禍々しい縄が食い込み、骨が軋むことなど知ったことかと体を締め上げていく。そのせいで折れていた手足は九十度以上折れ曲がり、関節が外れているものもある。折れた手足は丁寧に丁寧に折り畳まれ、出血している腹にはさらに扇が食い込み、腹の中にその大部分が隠れている。扇は持ち主である明石の痛みなど関係ないというように臓器を切り裂き抉り、刻み込んでいく。
「あ゛……ああああっ!?」
「敵うわけないのに、哀れな娘。嗚呼、可哀想可哀想」
「どの、くちがっ……!」
痛みにのたうち回りながら明石が噛みつく。それさえも神々にとってはただの暇つぶし。扇に刻まれた二つ頭の蛇が明石を守るように一瞬大きくその身をくねらせるが、神々にとっては痛くも痒くもない。明石を捕える縄がさらに食い込み、悲鳴が上がれば神々は愉しそうに嘲笑する。異様だ、歪だ。声を上げたくてもあげられない管理者の目に明石が笑うのが映った。意欲も、希望もなにもかも失われていない見えない黄金の瞳が神々を睨みつける。
「……わら、ってるのも、今のうち……ボクが、ボクたち『嫉妬』が世界を壊すっ!全部、ぜんぶ……壊してやるからなっ!」
二つ頭の蛇が明石の意志に呼応するように甲高い音を発する。絶対に赦しはしない、絶対に壊してやる。お前たちが悪神から奪ったように。絶対に諦めない。それこそが人間たる所以、悪神である所以。神に届かぬ手を一心不乱に伸ばす、神にとってはただの遊戯なのに。
明石のその慟哭に神々は一層大きく笑い声を上げる。なにが可笑しい、そう問いかけることさえ不敬。アハハ、ウフフ、クククッ、七人七色とでも言えばいいのか、多種多様の笑い声には先程と同じように侮蔑と憐れみが宿っていた。神に逆らう哀れな悪神と、それを封印してあげるなんとも慈悲深い神々。いつまでもいつまでも笑い続けながら封印を明石に施していく。笑っているなら、そのまま笑い死んでしまえばいい、封印の手を止めてしまえばいい。そんなことをぼんやりと明石は願ってみるが、到底叶うはずもない。自分に向けて手を伸ばし神に掴まれた管理者の気配を見る。管理者の、愛した義兄の表情がどんなものだなんて知ったことか。明石は身体中を支配する痛みにニヤリと笑みを浮かべる。今は、この痛みさえ心地良い。カミサマを殺せなかったのは残念だが、まだ時間はあるでしょう?
だって、神様は、『神は命ではなく世界を作っている』んだから。
「……彷徨え、義兄さん」
ポツリと、呟いたのを最期に明石の身体は動かなくなった。正確に言えば、封印の器である守り刀ーー藤の咲き誇る守り刀へと姿を変えたのだ。彼女の在りし姿へ、管理者がよく見ていたーー見ていた美しき悪神へ。
「あ〜あ、終わっちゃったねぇ」
目の前で何百年前のときのように封印された明石をなにも出来ずに呆然と見ていた管理者は、心底滑稽だと言わんばかりの神の声色に意識を浮上させた。伸ばした手はもはや掴まれてもいないし、身体に痛みはない。ただ間抜けにも座り込んでいるだけ。なのに、出来ないと決めつけて、管理者はなにも動かなかった。
「……わた、しは……また、また……!」
勝手に諦めて、勝手に思い込んだ。明石は正当な仇討ちを望み、そのために抗ったのに。管理者は、自分は、神様に敵わないと心の何処かで楽観視して落胆して勝手に絶望して、勝手に追い込んだ。嗚呼、これでは管理者と変わらない。
「またって言ってるけどさ?悪いのはぜーんぶ、君じゃんねぇ?」
まるで管理者の心を読んだかのように神の一人が嗤う。呆然と座り込み、もはや諦めた管理者を神々が取り囲む。一人の手には守り刀が握られており、握り締める手は穢らわしいと言うように手を離したくてうずうずしていた。
「哀れな憐れな神々の人間さん。全ては、貴方のせいなんだよ」
神の一人がまるで壊れ物を扱うように、愛しいと言うように管理者の頬を包む。その手からはぬくもりなどない、あるのは彼を見下す感情。神様はなんと優しい慈悲深いのだろうという、自己中心的な心酔。そして管理者の魂を握っていると云う、脅迫。
「君がなにもせずに流されたからこうなった」
「貴方が勝手に諦めてやめたからこうなった」
「誰の忠告も聞き入れず、勝手に進んだからこうなった」
ぐるぐる、ぐるぐると管理者を覆う絶滅は、いつしか見た感情によく似ていた。いや、ずっと見てきたものだった。神々が忌み嫌い、自分達以外のまさしく悪だと宣う感情だった。管理者の心中を抉るように、塩を優しく塗り込むように、神々は続ける。包まれた頬にはいつの間にか黒いヒビが刻まれ始めていて、それを見てさらに神々は愉しげに微笑む。
「全て、全ては私達から生まれ、そうして貴方が育んだ」
不安定で絶望しかない日常から逃げることを放棄し、にも関わらずありもしない未来を自分勝手の渇望し、相容れない愛情と憎しみを哀愁として与え、己の罪悪を喰らい正義だと叫び、自分のせいではなく他人のせいであり自らは悪くないと否定し、全てに怒りを覚え、全てを持ったーーいや、全て失おうとも自らの感情を求め幸せを求めて抗う者達を妬み蔑んだ。それが正しき行いだと、弱き者を救うと、純粋な気持ちだと、気持ちを自制し押さえ付け大丈夫だと、謙虚に謙虚にと対等だと、慈悲深いことだと、ずっとずっと我慢することだと、全てが正しいと思いこんでいた。それが正しいと、だが、実際はどうだ?嗚呼、神々の言う通りじゃないか。
管理者の体から力が抜ける。もう、どうでも良い。そう考えてしまえば、明石に怒られるだろうか。もはや、諦めを覚えてしまった管理者にとってはーー何度も繰り返した絶望はただただ心地よいものでしかなかった。嗚呼、それこそが全てだと管理者はきっと永遠に気づかない。
すると、一人の神が管理者の胸元に注視した。罪悪感と明石が乗っ取っていた際に神々に歯向かった影響で多少乱れた胸元を神が指させば、他の神々がケラケラとこれは傑作だと言わんばかりに笑う。
「ふふ、だからあなたはお人形さんなのよ。『憂鬱』さん?」
絶望を称えた、真っ暗な闇のごとく濁った管理者の瞳が自らの胸元に向けられる。管理者が大きく目を見開いたその先、両胸を覆うようにして七つの証が刻まれていた。仄かに暖かく、そして身を焦がすような感情に芯の先まで冷え切り力が抜けていた管理者の体に力が籠もる。
「これ、は……まさか」
「そうだよ大正解!お人形は、悪神に進化しました〜!パチパチ!」
「『憂鬱』とでも言うのでしょうかね」
楽しげに笑う神々に管理者は、目を疑った。やはり、いや、どこかでわかりきっていたことではないか。こいつらは、神ではないと。
「じゃっ、また殺し合いをさせて悪を滅しよう」
「だな。こうもまた悪神が、出てくるんだから」
「『憂鬱』は、その名の通りに、憂鬱の中を永遠にさ迷いなさい」
そこにいるのは神には程遠い、そう、正真正銘の悪神。此処に、真の正義なんてありはしない。あるのは、純粋な悪神様だけだ。管理者は自らを巡る、沸騰するように怒り狂う血液を押さえつけながら、永遠に晴れない気持ちを感じていた。
不定期投稿です。
神様の解釈は人それぞれ、作品それぞれだと思います。うちの作品にも色んな神様がいます…が、その中でもこの神々は純粋に善悪わかってないし自分達が一番絶対に正しいと「思い込んでいる」タイプの神々。間違いですよって言っても「間違ってるのそっちでしょ?我神ぞ??」みたいなタイプだと思ってます。神様ぁ〜




