第八十六ノ夢 辿り着いた未来と過去の行き先は
此処では久しぶりに見た管理者のーーいや、義兄の黒曜石の瞳に明石は見えないながらも狂喜的な笑みを浮かべた。憎悪、怒り、哀愁、そして嫉妬。明石を、今の明石を形作った最初の人であり感情。管理者は転がった本を明石の笑みには気づかないふりをして拾い上げる。ペラッとページを捲れば、今しがた人柱として死んだ最後の一人、和夜のことがページに刻まれていた。
「たった二人と云うのはある意味、正解であり不正解だと思いますが」
「でもたった二人の家族でしょう?義兄さん?アッハハ」
ケラケラ嗤う明石に管理者は走馬灯のように蘇った過去の記憶に吐き気を催した。そう、明石の言う通り、最初に奪ったのは管理者だ。明石から『嫉妬』という恋情を奪ったのだ。例えそれが故意でなかったとしても一度は受け入れるべきだった。血を疎ましく思い、存在を疎ましく思うよりも前に譲受された愛に報いるべきだった。要らないと駄々をこね、蔓延させた。それが最初の管理者の罪。明石は無邪気で無垢だった。だからこそ、愛の表し方が高貴な血筋が生む戦闘的なやり方しかなかった。明石の中にも血は流れていた。ただ、知らなかっただけで。
「ホント、あのあと、此処に来て管理者となった義兄さん見て笑っちゃったからねぇ!?」
「……好きでなった訳ではないっ!」
「アッハ、そうは言っても大勢を殺し合わせたのはキミでしょーが!」
座り込んだまま、明石が叫ぶ。確かに殺し合わせたのは神の指示とは言え管理者本人だった。だが、望んでやったわけでは決してなかった。それを管理者だけがわかっていた。明石はゆっくりと立ち上がり、管理者に近づく。フラフラと何処か千鳥足になった足元は和夜を失ったゆえの症状か。大昔の、摩訶不思議な病気はいまや彼女を蝕むことはない。なんとも皮肉だった。
「何年何百年、キミは奪ってきたの?みんなから、みんなからさ」
がらんどうの瞳が管理者を見上げる。管理者に反論する余地はない。いや、反論すら許されない。自分は、神様に加担したのだから。例えそれが無理矢理であったとしても多くのものを奪った『悪神』にしてみれば、管理者もまた悪であった。
「ボクらはただ感情の赴くままに幸せを享受したかっただけ。なのに、何百年も封印の末に人柱ぁ?アッハハ!そりゃあ『憤怒』が怒るわけだよねぇ?ボクはあの二人を詳しくは知らない。でも、神への怒りなら同調できる!証刻んで、見せしめのように釣り上げて、キミはなにがしたかったの!?」
明石が腕を大きく振り払い、叫ぶ。全部全部、お前のせいだ。明石がそう言っているように見え、管理者は思わず視線を逸らしてしまった。目を逸せば、それこそ事実となってしまうのに。抗えなかったのは、管理者が弱いからだった。
「私、は……」
「なに?ボクを殺しておいて、のうのうとカミサマのもとで生きて挙げ句にボクらを勝手に悪神扱いしてさぁ!」
事実、この世に悪神なんて存在しない。存在するのは神々がもっとも嫌悪した感情。神々は自分達が正義と信じて疑わない。故に生まれた『憤怒』さえも神々は嘲笑する。ただあったのは、無邪気な神々の暴論だった。それを悪神は気づいている。けれど、封印された彼らにはなにも出来ない。だからこそ、抗う。『怠惰』のように、『強欲』のように、『色欲』のように、『暴食』のように、『傲慢』のように、『憤怒』のように、『嫉妬』のように。全て、無に返されると知っても縋らずにはいられない。それは、管理者も同じだった。
全てが刻まれる本に触れる。彼は、管理者は明石となる前の彼女が封印されたあと、死ぬつもりだった。だが、それに神々が待ったをかけた。いや……正確には脅したのだ。『神のように貴重な身体を手中に収めたいが故に』。彼は、悪神となった義妹のように適性があった。神に手を差し伸べてもらえる、『憤怒』と同じでありながら真逆の人間だったのだ。ただ、神々が欲しがったのは、柔順なお人形。所詮、世界が信仰する神々はアダムが怒りを覚えるように、自らしか考えていなかった。神々は悪神として封印してきた彼らをいつの日か一網打尽にするつもりだった。それはただの神々の気まぐれのお遊び。彼は神々のお遊びで永遠に苦しむことになった。そうして彼を脅し、共犯と言う名のお人形にした。悪神・『嫉妬』として恋狂った明石への罪滅ぼしを担えというように。お前が間違ったと言うように。それを明石は知るよしもない。だが、彼女の心は何百年と奪われた感情によって、悪神という神々にとっての害悪として日の目を見る。
「あーあ、カミサマをぶっ殺さないと気がすまない」
明石の見えない瞳が仄かに光った気がした。管理者がハッと顔を上げれば、暗闇をたたえた明石の虚空が目の前にあった。神は、殺せない。誰もが分かっている、理解している常識。けれど、時に常識は非常識となる。だって望んでいたではないか。アダムも、管理者も、明石も、みんな。管理者が驚きに目を見開けば、明石がグイッと身を乗り出す。どうやら跳躍して管理者の懐に潜り込み、両頬を包んでいるようだ。もはや人の身ではない明石の手から温もりが伝わってきたことに、呑み込まれそうな暗闇に管理者は後方に一歩後退った。
「出来るはずない、でしょうが……」
「出来るよ」
はっ?
明石の言葉に管理者が首を傾げれば、彼女はにっこりと虚空の瞳を歪ませた。
「キミがいるんだもん」
嗚呼、場所と関係性が違えばどんなに情熱的で感動的な言葉となったか。明石の言葉の意味を管理者は一瞬にして理解した。いや、否応にも理解してしまった。だって、もとは二人は一つから。思わず身を引こうとする管理者を遮るように明石の手が彼の頬を強く包む。罪悪感に固執してしまった管理者の目はもう明石から逸らせない。グイッと明石が管理者の黒曜石の目を覗き込む。手にしていたはずの本が落ち、とあるページを開く。そのページは『悪神・嫉妬の半生』であり『証の蛇』が描かれたもの。とぐろを巻いた蛇が管理者を見上げている。横目に入った蛇の姿に管理者は首が締められているような圧迫感ーー息苦しさを感じた。
「神に遣わされ神に支配された哀れで愚かな管理者。ねぇ、利用しない手はないでしょ?」
息が詰まる、息ができているようで出来ていない。まるで過呼吸。神のような貴重な身体、それはすなわち悪神にも同じことが言えるのだ。だって、悪神だって神だから。
「ねぇ、義兄さん、一緒に、狂おう?」
かつて、神ではない人間の中には神に匹敵する身体を持つ者がいたと云う。その意味は、神の器。神に操られる人形、神の忠実なる下僕であり臣下。そう、傀儡。ゆえに神々から悪と見倣された明石達でさえ、管理者の体は格好の器だった。明石と管理者の目が合う、管理者の思考が混濁していく。身体中に毒が回ったかのように走る痺れが息苦しさを増長させる。明石が『嫉妬』としての能力を使い、管理者の体の主導権を奪おうとしているのだ。所詮、悪神は封印された死人。封印された器があれども、動く器がなければ意味がない。それに神に一矢報いるためには明石でも意味はない。神々の傀儡となってしまった管理者の体が必要だった。それは管理者もわかっていた。分かっていたから抵抗しなかった。だって、自分も同じだったから。嗚呼、けれどーー
「っ……」
息苦しさと痺れに耐えきれず管理者が膝を付けば、上から頭を抱きしめるように明石が覆いかぶさってくる。ドクドクとうるさい心臓は彼女と初めて出逢った時と同じ音色を奏でていた。
「そのようなことをしても……どうにもならない」
次第になくなっていく感覚に管理者は淡々と呟いた。抵抗することもなく。ただただ呟いた彼の言葉に明石は小さく微笑み、その頭を撫でた。そんなこと、わかっている。けれどそれでもボクらは求めずにはいられない。
「だから、抗うんだよ?管理者」
次の瞬間、管理者の意識はーー正確に言えば身体の自由は消え失せた。まるで正真正銘の操り人形になったかのように手足は管理者の操り糸から離れていく。意識があって意識がない摩訶不思議な感覚は、何百年も前、神々に「身体が欲しい」と言われ生き地獄を与えられた感覚と同じだった。そうして、管理者を抱きしめていたはずの明石は何処にもいなかった。あるのは、愛しい愛しかった存在という感情。管理者の表情を覆い隠していたヴェールが片手で乱暴に取り外される。もう、管理者が自分で自分を動かすことはない。だって、この体はもう明石のものだから。
「さあ、行こうよ義兄さん?」
黒曜石の瞳で、嘲笑ったのは、だぁれ?
投稿は不定期です(定期報告)
乗っ取り、というかこういうのは結構序盤から決まってました。明石ならやりかねんという感じしかなかったと言うか……うん!!




