第八十一ノ夢 絶望が支配した未来へと
まるで人形のようなアダム、人間のようなラス。中身は違えど、そこにいるのはまさしく悪神・『憤怒』であって。虚ろな瞳を和夜と明石に向けてアダムはゆっくりとまるでラスのようにこうべを垂れたかと思いきや、一気に駆け出した。こちらを油断させる作戦だったのかそれとも単純にアダムの中に入ったラスがアダムに対して頭を垂れただけなのか。分かるはずもない。そんな彼のにいるのは明石だ。明石も分かっていると言わんばかりに二扇を両手に大きく飛び出す。アダムの相手は明石、和夜の相手はラス。腹の痛みを気にしながら、和夜は明石が跳躍した余波を利用して、空中を滑るように疾走する。ナイフを口元に当てて、微笑んでいたラスは刀身をクルリと回し、大きく片手を振り上げた。途端、勢いよく和夜に向けてナイフを投げた。疾走する和夜は体を傾け、ナイフをかわすがそのナイフの柄には透明な糸が未だに繋がれていた。つまり、ラスが足首をクイッと引けば和夜の背後へと消えたはずのナイフがラスの指示を受けて、来た道を戻り和夜の左胸を狙う。和夜は後方から勢いよく接近するナイフを手刀で横目で叩き落とし、透明な糸を心許ないが刀で切り落とした。カァンと甲高い音がしてナイフが床に転げ落ちるが、ラスがこれで終わるとは到底思えなかった。だから和夜はその場で半回転し、接近してくるであろうラスに備える。すると、耳元で風を切る音が響いた。そうして刀を振り回せば、甲高い音が和夜の脇で響いた。上半身のみを振り返った厳しい態勢のなか、ラスが和夜の背後に回り込み、叩き落としたナイフと別のナイフが握られている。刀身に触れる柔らかい感触があり、得ない硬さを伴っていて、嗚呼、これも繭で作ったのかと理解する。ふと、和夜が足元のナイフを一瞥すると、そこにナイフはなかった。どうやら別の物と思った物はラスが素早く回収し、手中に収めたようだ。そう考える態勢の悪い和夜にラスがグイッと近づくと、片手を彼の腰に回す。咄嗟に回された手に和夜が驚くと、ラスはそれを予期でもしていたかのように彼に身を寄せ、足を刈った。スカートが大きく弧を描き、ふんわりと膨らんでいく。足を刈られた和夜だったがラスが腰に手を回しているせいで倒れ込むことは許されず、ラスの方へ振り返ってしまう。そのため無謀だとわかっていながら和夜は勢いよく刀をラスに振った。案の定、腕の痺れと共に刀が目の前でナイフに防がれてしまう。
「そんな簡単に終わるなんて嫌でしょ?それに」
ーーまだ君は理解してないでしょう?
なにを、なんて、和夜にはわかっていて……分かっていない。
ラスの能面のような表情が和夜に近づく。それと同時に腹に響くガラスの破片にラスが指先を這わせる。まるでなぞるようにガラスの破片を愛撫するラスに和夜の背筋に悪寒が走った。明石の包帯で応急処置をしているとはいえ、抜かれてしまえば大量出血は免れない。青褪めたのは血が失われているからだけではないだろう。スッと和夜はラスから身を引こうとするが、彼女はそれを許さず、さらに彼の方へと身を寄せてくる。このままではまずい。
「くっそっ」
バッと和夜は膝を上へ振り上げ膝蹴りをラスに食らわせつつ、ナイフを弾く。ラスは後方に飛び退き、一回転。刀を振り切る和夜にナイフを縦に構えて防ぎ、一撃を受け流す。ビィン……と鈍い音を立てるナイスに和夜は再度刀を振り回し、ナイスを力の限り弾きにかかる。刀身に刻まれた二つ頭の蛇も和夜の考えに同意してくれたらしく、ほのかに藤の香りを纏いながらラスに襲いかかる。彼女の首元を狙った三つの攻撃にラスはしょうがないと言わんばかりに後退すると繭のような優しさを持った不思議なナイスを手首を捻らせて弄ぶと、スカートのゴミを払った。そこにゴミなんてないのに。あるとすれば、ラスの指先に僅かに付着した紅い線。白い草原をキャンパスに引かれた一本の線はまさしく和夜の腹から漏れた血だった。咄嗟に和夜はキツく縛られた腹を見下ろす。先程から感覚が麻痺してきているらしく、包帯で固定されていたはずのガラスの破片は少しだけーーほんの少しだけ奥にのめり込んでいるように見えた。つまり、先程の接近で捩じ込められたのだろう、痛みがないことに和夜は一人苦笑した。もうそこまで自分は化け物になっている。嗚呼、なら。チラリと明石とアダムを一瞥すると、明石がアダムの後頭部に回し蹴りを炸裂させているところだった。意志のない瞳を宿す人形のようなアダムが腕で明石の蹴りを防ぎながら後方によろめいている。明石の蹴りが強烈だったのか、袖は微かに破け裂傷が此処からでも確認出来た。今のアダムは、人形だ。だからこそ、いつまでも戦っていられる。人形師の魂を入れ替えたラスが倒れない限り。するとその時、明石が和夜の視線に気づいたらしく閉じた目をそのままにこちらを一瞥した。それだけで和夜は、大きくラスに向かって跳躍することが出来た。
「はは、そうやってくるならちゃんと相手しなくちゃね?」
ケラケラと自分達側が優勢だと信じて疑わないその傲慢なまでな態度に明石だったら腹を立てて怒るところだろうか。嗚呼、それでも。和夜は大きくラスの前に飛び出すと上段から刀を振り下ろす。振り下ろす直前、刀身に刻まれた二つ頭の蛇に思念を送り、ラスに見えないように刀身より弾き出す。そうすれば、ラスは刀身から『嫉妬』を示す蛇が飛び出たことに気づかずに和夜のみを凝視する。紅い一線が刻まれたスカートを靡かせながらラスはナイフの刀身を優しく手のひらで支えると頭上からの攻撃を防いだ。がキンッと甲高い音と共にラスの手のひらに窪みのような凹みが出来上がる。その窪みに押し込むように和夜は刀を押し込んでいくとラスはナイフを持っていない片腕を振り、和夜を撤退させる。普通の人間とは違う強靭な肌であるラスの腕に振り払われたらひとたまりもない。和夜は着地しすぐに態勢を立て直すとラスの後方に回り込みつつ刀身に指先を這わせた。まるでガラスの破片を愛撫していたラスのように。琥珀と称された蜂蜜色の瞳が一瞬零れ落ちるのではないかと思ってしまうほどにとろけて、ラスはギョッと目を見開いた。和夜がそれほどまでに甘えたような、気心を許す表情をするのは明石だけだ。それを全て知っているラスは目を見開いたのだ。だが今明石はアダムと対決しており、ラスの手首から伸びるーー足首とはまた違う透明な糸には操り人形が倒れた感覚はない。なら、一体?
「なぁアダム、いや、この場合はラスか。俺達のことを全て知っているって言ったよな。でも……それって本当か?」
ラスの背後に回り込む和夜にラスは眉をひそめる。なにを言っているのだ、調べたのだから当たり前だろうに。内心、彼を嘲笑したラスだったが、和夜が指先でなぞる刀身に違和感を覚えた。そう、二つ頭の蛇の存在は何処へ行った?もはや悪神・『嫉妬』と和夜は契約以上を超えた関係にある。それこそアダムとラスのように、彼ら以上の関係は二人とは違う。主従関係と、共依存。よってラスはーーアダムは読み違えた、一瞬だけ。二人に繋がれた共依存という鎖を、違えてしまった。シュッと音を立ててラスの死角から二つ頭の蛇が彼女の首に今度こそ巻き付いた。
「っく、あ」
空気が遮断される、圧迫感。嗚呼、それを俺達は貴様に味わされたんだ!
シュルリとラスの首に巻き付く蛇に和夜の表情が歪んでいく。だが、油断してはいけない。だって、今のラスはラスだ。体力がつきることも痛みに泣き叫ぶこともない。しかし、和夜の目の前でラスは彼が望んでいた苦痛の表情を見せていた。望んでいた?一瞬でもアダムのように、かつて殺し合いをし死んでいった者達のような思考に和夜は戸惑い、刀を持つ手が震えた。生きたいから、死にたくないから殺し合いに挑んで、双子の妹をもう一度手に掛けるくらい、こんなにもこんなにも虚しく悲しいのに。自分は、望んでいた?
「ふふ、ねぇ碧藤。それが僕達だよ」
二つ頭の蛇に首を絞められているはずのラスがニタリと笑い、そうして気づいた時には和夜の目の前にいた。ハッと和夜は我に返り、後方に身を引いてももう遅かった。身体中の痛みがラスに身を委ねろと言うように和夜の身体中を動かさない。ラスは和夜の頬に指先を這わせて笑う。人形となったアダムと戦う明石がラスの所業に嫉妬の色を浮かべる。
「今、君は僕に嫉妬したんだ。僕が憤怒するのと同じように、僕が君達の間を取り持つことを妬んだ……人間ってそういうものなんだよ碧藤。それを抑え込む神々はなんて欲深いんだろうね!そう思わない!?」
「っ、知るかっ!」
ラスの手を払い除け、和夜は後方に跳躍する。がラスは踊るように彼を執拗に追いかけ、ナイフを振り回す。シュッと空を切ったナイフが三度和夜を襲い、頬に一線刻まれる。トンッと踵になにか当たる感覚がして和夜は堪らず顔を曇らせた。ラスとの戦闘でいつの間にか、壁際に追い詰められていたようだ。背中に当たる冷たい感触に和夜は刀を握るがその手に力が籠もらない。何故?そんなの分かりきっている。二つ頭の蛇がラスの首ではなく、和夜のーー自分の首を締めるように蠢いているのがその証拠だろう。腹の痛みが増す。嗚呼、和夜は思ってしまった。気づいてしまった。アダムに、ラスに言われて気づいてしまった。いつも考えていたことなのに、もうわからないのは、嗚呼!この馬鹿げた戦いのせいだ!ハッと鼻で笑い、刀を持つ手の力を緩めた和夜にラスはニタリと笑い、スッと身を寄せた。すると彼女の手首から繭の糸が漂い、和夜に向かって触手を伸ばした。何処か気持ち悪く、何処か美しい動きに和夜は我に返ると刀を振るう。しかし、糸は刀身の渾身の攻撃をすり抜け、刀身に纏わり付く。もはや何が起きても驚かない。和夜がハッともう一度鼻で笑えば、ラスもにっこりと笑った。和夜の笑みが見慣れた敗北を認めた者の笑みであったから。よく知ったその笑みをラスは待っていた。再び和夜の懐に潜り込み、刀身を傷つくことのない滑らかな指先で撫で、妖艶に微笑む。体はラスのせいでアダムを想起させる笑みが彼女の顔を生き生きとさせる。ラスは人形なのに可笑しな話だ。糸を絡ませた刀をラスが自らの方へ引けば刀は和夜を伴って彼女へ身を寄せる。寄せた拍子に和夜が刀を振り切る。敢えてラスの方へ引かせ、近づいた瞬間に刃物を振るったのだが、ラスは人形だ。首元に当たった切っ先から微かな振動が和夜に伝わるのみで。悔しげに唇を噛む和夜にラスは下から殴るように顔を近づけると耳に口を寄せた。
「それが、本当の君だよ」
その言葉の意味を和夜はきっと知っていた。近づかれた際にさらに深く刺されたガラスの破片。それと同時にラスは最期まで侮っていた。和夜の瞳ではなく、明石の閉じられた瞳が蕩けたのに気づかない。勝てると、勝利したと傲慢にも思い込み、怠惰にも思考を止め、強欲にも渇望し、色欲にも愛し、暴食にも食らった。それこそ彼が殺したかつての契約者達のように!
「……それはどうかな」
ニヤァと和夜が痛みに支配されながら口角を上げた。次の瞬間、ラスが考える間もなく彼女の体のある一点を鋭い痛みが襲った。まるで抉るように、砕くように強く強く刻みつける痛み。それはまさに自分達が与えてきた敗北の傷とよく似ていた。ラスが痛みの正体を探るべく胸元を見れば、左胸から黒い物が突き出ていた。それは今回の殺し合いにおいて何度も見てきた扇の切っ先。和夜の笑みの理由に気づき、ラスは血のような瞳をグニャリと歪ませれば、和夜も蜂蜜色の、琥珀のような瞳を蕩けさせる。殺伐とした雰囲気がなければ二人は見つめ合う恋人同士に見えただろう。だが、そんな未来絶対にあり得ない。後方から強く押され、ラスの体が和夜に寄りかかるように迫る。痛みなどない体を、首を後方に回しながらラスは和夜の腹に刺さるガラスの破片を握る。
「(まさ、か……!)」
腹から伝わる激痛に和夜は思わず、刀を手放してしまう。そうすれば、ラスは嗤うのだ。ケタケタと、それこそ人形のように。全て、アダムの想定通りと云うように!
「驚いたなぁ、まさか君かぁ」
嗚呼、でも、
「もう遅いよねぇ『嫉妬』!」
ケラリと笑いながらラスは明石に見えるようにして、和夜の腹に刺さったガラスの破片を抜き放った。全身に駆け巡る痺れに和夜の脳が支配された途端、明石が声にならない悲鳴をあげ勢いよく扇をラスの左胸が貫通し、ヒビを入れるほど力強く差し込んだ。勢い余ってラスの体が和夜に抱きつくように寄りかかり、明石が引き剥がそうとラスの肩を掴む。瞳からローズ色の魂が消えるその瞬間、ラスはアダムとして、悪神・『憤怒』として呟いた。
「僕達に勝ったなんて思わないで?これは、道連れだよ」
嗚呼、これは呪いだ。神々が怒らせた『憤怒』の呪いなんだ。
あああ!書き溜めがぁあ……
はい、掛けって話です。次回も一応来週です
さあどうなる?!




