第七十八ノ夢 崩れかけた未来へと
痛い。その言葉かつ恐怖とも言うべきものに和夜の思考は暗闇より呼び覚まされる。腹に刺さった痛みと体を覆う暖かい感触の温度差にヒヤリと背筋が凍った。
「嗚呼、無理だったかぁ」
何処か残念そうなアダムの声に和夜は苛立たしげに瞼を開けた。開けた先にいたのは今にも泣き出してしまいそうなほどに涙を溜めた明石だった。明石は和夜が目を開けたことに安堵し、パァと笑みを浮かべた。
「和夜!良かった……ボクから和夜の死まで奪わないでよね……」
「……よくわからんが、悪い」
「謝んないでよー!」
良かったー!と明石が腕の中でぐったりと横たわる和夜を抱き締める。茉昼と似ていて違う温もりに和夜はホッと胸を撫で下ろし、抱きついてきた彼女を安心させるように背中を擦った。明石の肩越しにアダムとラスを確認すれば、不意打ちはしない主義なのか様子を伺っている。そこだけは感謝とでも言っておこうか。和夜は腹の痛みに「うっ」と顔をしかめた。そうだ、俺はアダムにガラスの破片で腹を……痛む腹に視線を向けると紅い血を反射させたガラスの破片が深々と和夜の腹に突き刺さっていた。抜いたら出血多量は免れないだろう。だが、抜かなければこの殺し合いを生き残れない。
「和夜、無理しないで」
和夜の耳元で明石が囁き、後ろの壁に彼を寄りかからせる。どうやらいつの間にか後退していたらしい。破片が突き刺さった腹を庇いながら明石は和夜を寄りかからせ、扇を手に立ち上がる。憎しみをまとったオーラが二人を貫けば、アダムは笑う。
「僕達に独りで立ち向かう気?勇敢だね?そう思わない?ラス」
「はい、そうですね。とても、愚かです」
アダムの言葉にラスがナイフを指先でなぞりながら言う。確かに多勢に無勢だ。しかし今のアダムは素手であることを考えれば、明石にも勝機はある。両手に咲いた扇を手中で回転させながら明石は「どうかな?」と挑戦的に笑う。『嫉妬』から和夜を奪おうとした。それすなわち全てに対するアダムへの嫉妬という妬み。それすらも全部、アダムが与えていいものじゃない!和夜は明石の大きくも小さな背中を見て小さく微笑んだ。生きていたくないと思ってしまった。嗚呼、けれどその最後が明石ならどんなにいいか。歪んだ思想に和夜はすでに気づいていた。だからこそ手放さなかった。似た者同士だから。でも。和夜は片手で押さえた腹に目をやる。血は出ているが無理をしなければ行けると思う。嗚呼、だから、一人にしないで。そう言うように明石の背に手を伸ばす。しかし、今の明石には和夜の心情は分からなかった。ただ、怒りで埋め尽くされていた。
明石はアダムとラスに向かって床を蹴った。両手の扇を空中で投げ飛ばせば、ラスがアダムの前に飛び出し、ナイフで扇を叩き落とす。その間に明石はもう一度床を強く蹴り上げ大きく跳躍し、右手に扇を出現させる。気配でアダムが片手で糸を利用して新たななにかを製作しようとしていることに気づく。ラスが上段から落ちる明石を警戒しているため容易には落下できないが、明石はニヤリと口角をあげ片手を背後に隠す。そうして手首を捻り、扇を出現させると体を捻りながら空中より扇を再び投げる。それによってラスの体はアダムより前に飛び出し、頭上ががら空きとなる。シメタ。明石は空中に足場があるとでもいうように蹴り、一気に急降下。扇をアダムの脳天目掛けて振り下ろす。がそれよりも先にアダムは何故かラスが持っていたはずのナイフで明石の上段からの強烈な一撃を防ぐ。と明石の背後でラスが動く。首筋を狙ったラスの鋭い一撃ーー腕を振り切った一撃が明石を襲う。それに寸でのところで気付き、明石はアダムに弾かれながら空中で体を捻る。ラスの攻撃をかわし、アダムの脇に着地。アダムがナイフを振り、ラスが片方の硬い腕を振り抜く。かわすのは無理だ。早々に諦め明石は両手の扇で二人の攻撃を防ぐ方針へと変更する。ガッ、と一気に両腕に来た痺れに明石の顔が歪む。腕が衝撃で痺れる。嗚呼、でも、耐えられないほどじゃない。
「いつまで持つでしょうね『嫉妬』」
「挑発の、つもり?!」
無感情なまでに紅い瞳が明石を貫く。ラスは噛みつかんばかりの明石の言葉にフッと笑い、固い人形の腕をずらした。そのせいで明石の重心はバランスを崩し、アダムのナイフのに力が寄りかかってしまう。アダムが寄りかかってきた明石に勢いよくナイフを振り上げ、扇を手中から弾く。弾かれた衝撃とナイフの起動が明石の目元を切り裂き、包帯を剥がそうと襲い来る。が辛うじて体を捻ったお陰で包帯を、目元を奪われずにすんだ。しかし、
「さあ、挑発だと思いますか?」
ラスが素早い動きで明石の懐に潜り込み、腹を殴った。弾かれた直後だった明石は受け身も防御も取れずにもう片方の扇も手放してしまう。落ちた扇を足に引っ掻け、弾こうとするもその前にまるで首に手を添えられているような、ダンスをするために腰に手を置かれているような優美であり恐怖の感覚が明石を襲った。一本の糸が絡み合う非常に不愉快な感覚が明石を取り囲む。それはアダムの手から放たれた繭、糸だった。自分を操り人形にでも変えるつもりか。悪態をついた明石をアダムはクスリと嘲笑い、片手を振る。指揮者のように。そうすれば、明石の腹を殴ったラスが明石の背後に回り込もうとする。明石は咄嗟にラスの脇を滑るように通りすぎるが、クイッと首を絞められた苦しみに体が仰け反った。
「(これって!?)」
嗚呼、和夜と同じように捕らえるつもりか。ギリッと歯軋りした明石をアダムが嘲笑い、糸が舞う指先を動かした。アダムとラスとの攻防を痛みのなか見ていた和夜は絶望にも似た感情を抱いていた。自分と同じやり方で明石を捕らえようとしている。そうして、叩き落とすつもりだ。明石が和夜を庇ったように、怒りと妬みで突っ込んで行ったように。アダムの狙いはまさにそれだった。そのことに和夜はようやっと気づいた。
「めいせっ……っつぅ」
叫ぼうとすれば腹に刺さったガラスの破片が痛みを主張してき、大きな声を発することが出来ない。痛みに悶えながら腹に刺さったガラスの破片を和夜は掴む。この破片のせいで明石を失うくらいなら、出血死の方がまだマシだ!グッと破片を握る手に力をいれるが、手に広がる痛みと体中の痛みで思うように力が入らない。嗚呼、もどかしい。ダンッと壁を殴れば、今まさに明石の首に自分も囚われた糸が二重にも三重にも巻き付くところだった。同じように奪われる。そう感じてしまったのは、目の前で茉昼を化け物に食い殺される光景を見たせいか。目の前が真っ白に染まって、脳裏に嫌な未来が浮かび上がる。嗚呼、それはまるで奪われることを予知しているようで。腹の痛みを抱えながら和夜はゆっくりとした足取りで立ち上がる。体中の血液が沸騰しているようで、なんだか違って。嗚呼、でも。明石の首に後ろからアダムが手を伸ばすのが見えた途端、和夜は腰から刀を抜刀していた。ソレは俺のだ、手を出すなんて許さない。和夜の心中を覆ったのは明石と同じ歪んだ感情。現実を直視したくないがゆえに抗おうとする『嫉妬』だった。伸ばされた明石の手を和夜は無我夢中で奪うように取った。明石の後ろでアダムが和夜の豹変に大きく目を見開き、ラスは怒りと妬みを称えたせいで無表情になってしまった和夜に恐怖を感じアダムに手を伸ばしていた。和夜が明石を掻き抱くように自分の胸元へ引き込み、ついでとばかりに刀を振り切り明石を捕らえる糸を掻き切れば同じようにアダムを引っ張りラスが自身の背後に主を隠す。
「……嗚呼、今ですか」
「ゲホッ……和夜?」
ニヤァと愉快そうに笑ったラス。明石はなにが起きたのか一瞬分かっていないようだったが、和夜に抱き締められるように庇われていることと、和夜から漂う同じ悪神・『嫉妬』の匂いに心奪われ、歓喜した。体いっぱいに空気を吸い込んで自分を見上げる明石に和夜はホッと胸を撫で下ろす。その首に手跡がついているのを見なければ。途端、和夜を襲ったのは耐え難い嫉妬で、嗚呼、それがなにに対してなのか自分は知っている。
「アッハハ!今だよラス!ほら見なよ。悪神が自我を持ち具現化、執着するのも珍しいのに碧藤はその上を行った!」
愉快げに笑うアダムの視線の先、そこにいたのは圧倒的な殺気に満ちたオーラを発する和夜。そのオーラは二つ頭の蛇のようにアダムとラスに牙を剥いている。和夜の異変に明石は驚きながらも何処か歓喜の笑みを浮かべていた。和夜はきっと怒るだろう。嗚呼、けれどボクは嬉しいんだよ?『色欲』のようにその意味が手に取るように分かるもの!!
和夜を覆うそれはきっともう奪われたくないという一心のもので。自分でも分かっていた。嗚呼、だから執着する。茉昼の幸福論のように、生きていたいだけだと叫ぶ。例え、誰かを殺めたとしても。
アダムは嬉しそうに両腕を広げ、立ち上がった和夜と明石に笑いかける。
「ようこそ碧藤。ちゃんと『嫉妬』と『憤怒』として殺し合い出来るね?」
アダムの言っていることが分からなかった。けれど、これだけは分かった。まだ死ねない。矛盾した生死を和夜はもう一度、手にした。
遅くなってしまいました!申し訳ない……
少しリアルが忙しく、来週お休みさせていただきます……皆様、体調管理しっかりとぉ……




