第七十ノ夢 壊れた未来へと
書斎に絶叫が響く。悲しみと絶望を滲ませたある人へ向けた最期の贈り物。和夜の手のひらで彼の涙をその身に受け止める藤鼠色の房飾りはまるで彼の心情を示すように濡れ、涙を流しているかのようだった。房飾りを胸に抱き締める和夜を明石が後ろから肩を抱く。優しく背中を擦れば、嗚咽を吐き出す和夜の背中から微少な震えが伝わってくる。それを明石も知っていた。彼の記憶から、思い出から教えられた唯一無二の妹。死んだはずの妹。明石の目の前で、化け物に喰われた茉昼を殺したのだ和夜が。その時はそれが救いと明石も信じて疑わなかった。それは今でもそうだ。悪神に全て奪われたと思い込み、憎み殺そうとした。和夜に明石が手を差し伸べたように、『傲慢』も彼女に手を差し伸べた。まるで因果の如く、運命の如く。悪神・『傲慢』がなにを思って彼女についたのかはわからない。ただ、同じだと感じたのはきっと明石と同じだ。だから、手を差し伸べた。こうなると何処かで理解していながら、理解していないふりをして。
「あ゛……嗚呼……ごめんな、茉昼」
「……和夜」
「わかってる」
もはやいない茉昼へ懺悔するように言葉を連ねる和夜に明石が声をかける。肩に置かれた明石の手を、和夜の片手が掴む。明石の言いたいことはわかっていた。咎めていることもいないことも。でも、謝りたかった。いなくなってしまって初めて二回も妹を、血の繋がった妹をこの手に理由はどうあれ掛けたのだと実感してしまう。ずっと一緒にいることを誓い合って一緒に家を守ろうと願っていた。未来にいることを疑わなかった。それが唐突に奪われる未来なんて、知らなかった。怠惰にも来ないと 自惚れて、強欲にも手に入ると信じて、色欲にも共にいると実感して、暴食にも全て知っている気になって……全部、傲慢な思い込みだとようやっと理解して、この様だ。この双子は傲慢だった、嫉妬だった。そうして、復讐という思い違いの怒りをぶちまけた。茉昼はその術を知らなかった。『傲慢』が全て肯定して傍観していたから。けれど、それが悪神なりの見守り方だと気づいたのはいつだっただろうか?そう、殺し合いを強要された時にはもうーー
「わかってる……でも、俺はあの時未熟で、誰も救えなかった」
「和夜のせいじゃないでしょ?」
「嗚呼。それに茉昼が裏門を閉め忘れたせいでもない……誰も悪くないんだ、あの日のことは。それでもそれを背負って生きていくことに絶望していた俺は、きっと……茉昼に、家族に許されたかったんだ……」
ただ一人生き残り、殺し合いという馬鹿げた儀式に身を投げる結果になってしまってごめんなさい、と。あの時、風邪を引いていなければこうはならなかった?全ては後の祭り、分かるはずもない。分かるのは今後の未来のみ。ギュッと力が入れられた和夜の指先が明石の手を包む。安心させてくれる温もりが失われた未来を取り戻せと、来るはずだった未来に嫉妬と迫る。その感情は和夜の心の底に残った悪意と言う名の絶望か、それとも悪神としての明石の本能か、二人には到底分かるはずもなかった。だってそれはとうの昔に終わりを告げたものだったから。
「大丈夫だよ和夜」
「……嗚呼」
だからもう泣かないで。そう言うように明石が握る和夜の手に力を込める。もう、悲しい昔話は終わりにして未来へと進みましょう?愛しい誰かさんのために。和夜はようやっと整理のついた胸の内にホッと一息つくと、胸元に握りしめていた房飾りに目を落とす。明石の力を借りて立ち上がりながら二人でその房飾りを眺める。
「また形見だね」
「ハハッ。そうだな」
赤く腫れた目元を歪ませて笑う和夜に明石もホッと胸を撫で下ろす。和夜は一瞬迷ったように視線を彷徨わせ、房飾りを懐にしまった。片耳に着けようかとも思った。けれどこれは茉昼は着けてこそで意味があるものだと思うから。だから、着物のように、守り刀のようにその身に宿す形見としましょう。思い出を忘れないように。明石から刀を受け取り、和夜は鞘にゆっくりと刀身を納める。その時だった。ゾクリと背中を刺すような、首筋に刃を当てられたような表現し難い恐怖と悪寒、殺気が二人を優しく包み込んだのは。咄嗟に周囲を警戒するが、周囲は本棚の瓦礫で出来たサークルのみで、異様な気配を放った人物の姿さえ見えやしない。……いや、誰も最初からそこにいるとは思っていない。破壊された本棚はサークルのように二人を囲みつつも、道しるべのように一本の道を作っていた。その先は彼らが入ってきた扉。二人がまさかと警戒を扉に向ける。もはや此処には『嫉妬』と『憤怒』しかいない。彼が兄妹殺しが終わったあと、もう一人を殺しに来たって可笑しくはない。それに、アダムには聞きたいことが山ほどある。ちょうど良い。
「明石」
「うん」
肩を並べ、警戒と緊張感に包まれる二人を嘲笑うように観音開きの扉が真っ白な人物ーーラスによって開かれる。そうしてラスが招き入れたのは案の定、アダムだった。
「やっぱり、勝ったのは君だったね」
「……は?」
まるで煽っているような、分かりきっていたとでも言うような……茉昼が殺されることを予めわかっていたいたような口調に我知らず、和夜の口から怒りが漏れる。そんな彼にアダムは弁解することもなく、ラスを傍らに引き連れてこちらに歩いてくる。瓦礫で形作られた道が王のお通りだとでも云うようにアダムとラスを強調する。彼が強者であることに変わりはない。だが、それだけではないような気がした。
「あの子は憎しみを抱いていた。悪神に、運命に、自分に、そして世界に。思い違いな怒りをね。それはある意味『傲慢』に相応しくて相応しくない」
「だから、暗示を掛けたとでも?」
和夜とアダムの視線が静かに交差する。警戒と仄かな怒り、冷静沈着な二対の目が相手をなぶる。アダムは管理者からの情報を元に考えると人外だ。そしてそれは彼の傍らに侍るラスでさえ同じ事。
アダムは和夜の問いに答えることなく、和夜と明石の少し手前ーーちょうど本棚の瓦礫が途切れた辺りで立ち止まるとにっこりと微笑んだ。その笑みは決して親しみを籠めたものではない。蔑み、軽蔑を籠めた可愛らしいものだった。
「結局、僕達だけになってしまったね。僕と共犯していれば少しは変わっただろうに」
「変わったって、なにがさ?」
「分からないのならば、それまでです」
明石の問いにアダムが答えることはないとでも云うようにラスが云う。少しだけ明石を馬鹿にするように無感情な瞳が輝きを放った気がした。明石はラスの馬鹿にした態度にピキッと青筋を立てたが此処で挑発に乗ってしまえば、相手の思う壺だと思い、懸命に怒りを堪える。
別に、アダムと共犯となったからと言ってなにが変わるわけでもないだろう。明石がロイを殺し、茉昼がラディアを殺し、リーラの自害を見届け。他になにが変わると云うのか?玲緒も他殺だろう。アダムと組んでも茉昼と組んでも対して変わらない。だって、どちらかが死んでどちらかが生きる未来しかないんだから。
「この場では殺し合いこそが正義でそれ以外は全て悪。『暴食』の持論のように、ね。だからこそ、簡単に死ぬような暗示にかかって誰が悲しむのか分からないくせに突っ走るのは愚か者の所業。そう思わない?だから、簡単に死ぬ」
「っ!お前っ!」
茉昼を暗に侮辱する言葉の羅列に和夜が思わず噛みつけば、アダムはおかしなこと言った?と言わんばかりに首を傾げる。
「本当のことでしょ?」
簡単に信じて、簡単に思い込んで、簡単に死んでしまうようなやつになにを云えば良いの?
クスクスと、クスクスと笑うアダムとラスに思わず和夜が飛びかかろうとすれば、そんな彼の腕を明石が抱きつくようにして掴み止める。そんなことしたって相手の思う壺。わかってる、わかっているけれど、
「お前に、茉昼のなにが分かるんだよ……っ!」
怒らずに、叫ばずにはいられない。なにも知らないお前が語るな。
和夜の怒りの興奮の様にアダムはクスリと片方の口角を上げて笑った。それこそ嘲笑うように。
「だって、分かるもの。君達のこと全部」
新しい章……最後の決戦(という名の殺し合い)です……!
次回も来週!他に言うことないのかウチ!




