第六十九ノ夢 それが私達の幸せだった
「ーー私を、殺して、兄さん」
全てを、終わらせて。
大粒の涙を溢しながら茉昼が言葉を紡ぐ。なんで、もう一度、貴女を殺さなければならない?暗示を解き、黄泉の国から会いに来た彼女をもう一度?なんで?茉昼の言葉に和夜はまるでシャットアウトされたように思考が停止してしまった。絶望してしまった。茉昼を再びこの手で?無理だ。俺には……動揺し、絶望する和夜の瞳が希望と絶望をごちゃ混ぜにして揺れ動く。それに茉昼は和夜の首に片腕を回しながら自らの左胸に埋まった刀の柄を掴むと勢いよく抜き放とうとする。「んぐっ」と呻き声と共に茉昼の体に凄まじい痛みが駆け巡る。心臓に一突きされた時点で死んでもおかしくはない。なのにまだ命を紡いでいる。その理由を茉昼は知っている。これは神様からの慈悲なんていう甘い言葉じゃない。悪神からのたった一つの願い事。生きること以外を望んで、思い込んで傷つけた謝罪の言葉と後悔の表れを示せということで。嗚呼、だから私は、この手でもう一度、終わらせて欲しいの。
刀を抜こうとする茉昼に和夜は「やめろ」と彼女の手を掴んで止めさせるが、茉昼の行動の意味に気づいた明石が背後から和夜を止めた。
「待って和夜。多分、茉昼は刀抜いても死なないよ」
「はっ?」
「『憤怒』の暗示は心臓の一撃で解けたでしょ?茉昼と『傲慢』の契約と器は肉体。彼らの契約を受け持った仮とも言える器は、もう一振りの守り刀だった……此処まで言えば、わかる……っ?」
和夜の辛い思いを想像してしまったのか、明石の語尾が震えていた。包帯が目元を覆っていなければ、瞳から一筋の涙が零れ落ちていたであろう悲しみに包まれた声色は和夜の心に真実を突き刺すように、それでいて寄り添うように告げてくる。和夜はゆっくりと明石が持つもう一振りの守り刀ーー脇差を見る。黒い鞘に咲いた大輪の藤の花。碧藤を示すもう一つの花。和夜が持つ刀と対をなすように隠された守り刀。その守り刀が、茉昼の命を奪う凶器でこの世との繋がり?嗚呼、なんとも皮肉なものだ。碧藤家の者を守るはずのものが命を奪うことになるなんて。いや、ある意味それさえも守りなのだろうか。
「明石、の、言う通り……私は、私で、決着をつけなくちゃ、いけないの……でも、私は死んでる……それを、象徴して、私の器の、一つが、脇差」
「でも、俺はっ」
枯れたと思った涙が蜂蜜色から落ちる。それは美しくも愛らしい色。茉昼は和夜の首に回した片腕に力を込め、内緒話をするように和夜の耳に口を寄せる。だが、もはや出血と心臓への一撃、そうしてあり得ない連続に茉昼の肉体は限界を迎えていたため力が入っておらず、和夜を引き寄せることさえ出来なかった。和夜はそんな茉昼のために自ら彼女の方へ身を寄せ、耳を茉昼の口元に寄せる。お揃いの房飾りが大きく揺れる。誕生日に共に着けるはずだった房飾り。和夜がねだったお揃いのもの。それが目に入れば、茉昼は小さく微笑む。
「ごめん、ね……兄さんに、こんなこと、頼んで……私には、兄さんを、幸せにするのは、無理だった……汚れた、私には。だから……全てを、終わらせて」
それで、と茉昼は脇差を示す。和夜は蜂蜜色の瞳を歪めながら明石の持つ脇差をもう一度見る。憎らしく一瞬見えたのは、茉昼の言っていたような悪神だったのか、それとも運命だったのか。茉昼は和夜から身を離し、もう一度、今度は両手で刀の柄を掴むと体中に残った力を振り絞り、刀を引き抜いた。「あ゛っ、い」と呻き声が小さく茉昼の口から漏れると共に左胸から血が飛沫をあげ紅い華を咲かせる。抜いた衝撃で死んでもおかしくはないのに、茉昼はカランッと刀を横に放ると青白い顔で和夜を見上げた。朦朧とした虚ろな瞳が和夜だけを映し出す。それがなんとも痛々しくて、和夜は思わず顔を背けそうになる。彼女はもう、普通の人間ではないのだ。悪神・『怠惰』を使役するはめになったロイのように化け物なのだ。死が間際に迫った哀れな蘇った妹。死こそが救いだった。
「……全て、あの日……から……終わ、らせ」
「もう良い、もう良いから喋るな」
息も絶え絶えになりながら茉昼が言おうとするのを和夜は左胸に手を当てて止める。茉昼は息をするのも喋るのももう苦痛で、生きていることさえ苦痛なのだ。嗚呼、これが俺達双子の運命ならば、俺は。
和夜はギュッと目を瞑る。痛々しい表情が和夜の脳裏に焼き付いて、彼の心を揺さぶる。だが、大丈夫だというように明石が背を摩ってくれる。それだけで少しだけ安心できた。
「……明石」
「うん」
力強い、なにかを決意した和夜の声に明石は迷うことなく、持っていた脇差を差し出された和夜の手に置いた。和夜は座り込んだ自分の膝の上に茉昼を優しく寝かせると受け取った脇差を震える手で握る。切っ先が震える。当たり前だ。妹を、二度殺すのだから。それでも、茉昼の表情は安らかで。
双子の運命は、あの日、悪夢の日から始まった。そして悪夢を持って終わりを告げる。愛し憎み合う悪神の意思と慈悲によって。さあ、もう一度、あの時のように終止符を。明石が宿るモノを握り、化け物を斬った時のように。全てに終止符を、眠りを。出会えない、一緒にいられないのならば、未来にもういないのならば……死んでしまったのならば、そこにいないのならば。全て全て終わらせて安らかに眠りにつきましょう。和夜と茉昼が母親の子守唄で夢の中へと飛び立った時のように、安らかに祈りを捧げるように。嗚呼、でも、心は決まっていても全てが思い通りに行くはずもなくて。和夜の手中で震える脇差。切っ先が痙攣しているように小刻みに震える。その手をそっと明石が「大丈夫、そばにいるよ」ともう一度優しく握ってくれれば、和夜の手の震えは僅かだが緩和されて。二人の間にある確かな絆、茉昼が間接的ではあるが断ち切りそうして繋ぎ合わせた新たな関係に茉昼は眩しそうに愛おしそうに目を細める。もう視界が出血多量で歪んでいる。いや、これは涙のせい?それも分からない。茉昼は最期というように和夜に手を伸ばし、頬に触れる。紅く染まった指先が所有印を刻むように頬をなぞっていく。その手を和夜はもう握らない。覚悟は決まったから。和夜は両手で脇差の柄を握り、紅く染まった茉昼の心臓に切っ先を合わせる。もはや抉れ、死んでいるのが確定されているのに、死んでいるのはきっと彼女の肉体だけで。成仏を願う魂は縛り付けられたようにそこにいるだけ。執念だけで。だからこそ、「終わらせて」と願う。
「兄、さ……」
「なに?」
茉昼の指先が和夜の頬を撫でる。そうして、彼女は蜂蜜色の瞳いっぱいに涙を浮かべて微笑んだ。
「あ……り、がと……愛してた……また、ね……和夜……」
お揃いの房飾りが揺れる。蜂蜜色の瞳が交差する。二人の視線がようやっと交わったから。だから、和夜も覚悟を揺るがせないことが出来る。嬉しそうに微笑む茉昼に和夜も笑い返し、
「俺もだよ、茉昼」
抉れ、丸く円の空いた左胸へと脇差を突き刺した。グジュッと嫌な音と共に茉昼の体が刺された反動で揺れ、痙攣が彼女を襲う。茉昼が苦しそうだとしても和夜はその姿から目を逸らさずに受け止め、目に焼き付けるように受け止め、脇差をさらに深く突き刺す。グッ、と脇差の切っ先がなにかに触れた途端、茉昼の瞳から光が失われ、痙攣が止まり、血が息をするのをやめたように止まる。
「愛してた、茉昼……」
和夜の頬を撫でていた手が床に、彼女の死を告げるかの如く落ちていく。そうすれば、茉昼は本当に死んだのだと分かって。恐る恐る和夜が脇差から手を離し、茉昼の体を抱き締めれば彼女の体は本当に冷たくて重かった。十年もの間続いた偽りの成長と寿命が解けていく。茉昼の体は和夜の腕の中で仄かな藤鼠色の光に包まれ、徐々に消えていく。器も契約も消えた今、彼女が此処にいる意味はない。和夜は消えいく体を掻き抱くことなく、ひとつ空中に浮遊して残された脇差に指先で触れる。すると、脇差さえも和夜を拒絶するようにピキンと音を立てて消えてしまった。和夜の手の中に残ったのは、誕生日に贈られるはずだった房飾りの片割れだけ。正真正銘、なにもなくなってしまった。体も魂も成仏された。茉昼がいた痕跡はもう房飾り以外なにもない。和夜は手のひらに残った房飾りを涙目で見つめ、悲しげにけれど何処か愛おしい笑みで見下ろす。
さようなら、お休み……俺の、唯一無二の片割れ。
「……あ、ああ、ああああああ」
止めない涙が和夜の目から溢れ落ちる。愛しい愛しい妹、また何処かで会えたなら、その時は、また。
顔を覆い悲しみにくれる和夜の肩を明石が両手で抱き、優しくいつまでもいつまでも撫でていた。まるで母親のように。愛しいという茉昼の感情を込めて。
『**』『嫉妬』『**』『**』『**』『**』『憤怒』
残り二人
双子にとっては本当にこれが幸せだった……のですかね?きっと妹にとっては幸せだったのでしょう……
てな訳で次回は来週です!




