第六十八ノ夢 それが私達の片割れだった
刀を左胸に埋めたままの茉昼を和夜は在らんばかりの力で抱き締める。会えるはずもない妹、死んだはずの妹……多分救えた唯一無二の家族。俺が、早くに『傲慢』の正体に気づいていれば。その違和感に警鐘を鳴らしていれば。アダムの思考を読んでいれば。全てに気づいていれば。なにか違ったのだろうか?死んだけれども追うようにやってきた茉昼と明石は憎み合うことなく、いつしか夢見たように微笑ましく仲良く接していたのだろうか。協力して、願いを叶えるために奮闘出来ただろうか。父の跡を遅いけれど兄妹で継ぐことも出来ただろうか。それら全てがただの幻。ただの夢。ただのあり得ない空想でしかない。目の前にあるのが現実で、変えようのない事実なのだ。
「……ごめん、茉昼」
ポツリ、と和夜の目から涙が零れ落ちる。涙は頬を伝い、茉昼の紅く染まった胸元へと落ちていく。座り込みつつも茉昼を抱き締めながら和夜はその顔をーー悲哀と歓喜を混ぜた表情を冷たい彼女の肩に押し付ける。正真正銘死んでいることを示す暖かくない体。あり得たかもしれない双子の未来。嗚呼、もう永遠にない。ふと、和夜は背中に微かな温もりを感じ、顔をあげた。指先でなぞるように背中を通っていく温もりは多分、明石ではなくて。顔をあげた和夜の目に、三日月のように弧を描いた同じ色をした瞳が入り込む。そうして、呟かれた声は望んでいた声だった。
「兄、さん……」
「茉昼?」
「そう、だよ……ふふ、悪神と契約してる、から、ちょっとだけまだ、兄さんといられる……」
にっこりと笑った彼女を和夜は感極まって優しく抱き締める。茉昼も優しく彼を抱き締める。悪神・『傲慢』との契約。その結果の器が肉体であり暗示を解くのが心臓しかなかったとは言え、心臓を貫けば茉昼はもう一度死ぬ。その事実にかわりなかった。茉昼は顔をあげ、涙を流す和夜の頬に手を添えると笑う。茉昼の手は恐ろしいほど冷たくて、棺に入っていた家族を見たあの時を思い出させる。
「……謝らない、で、兄さん……」
「なんで、俺が、もっと強ければなにか違っていたかもしれないのに」
齢九歳の子供になにが出来たか。化け物に突撃して行って生きていられたのは明石がいたおかげだからであって。嗚呼、何度夢に見たか。失いたくないものがあっさりと奪われる事実を。それはまるで奈落の底に突き落とされたかのようで。とその時、茉昼の視線が和夜からずれた。和夜が後方を一瞥すればそこにはいつの間にか、脇差を持った明石がしゃがみこんでいた。黒い鞘に刻まれた藤の華と、和夜が持つ藤の華、二輪が美しく咲き誇れば、明石が静かに口を開く。
「和夜、多分だけど茉昼が言いたいのは懺悔とかじゃないと思うよ」
「……え」
「だってあの時、和夜は寝てたんでしょ風邪で。そんな子供に多大な期待かける方が残酷でしょ?そこにボクが声をかけたから化け物を一時的にでも倒せただけであって和夜のせいじゃない。そう言いたいんでしょ?」
ねぇ?と明石が和夜に抱き締められた茉昼に包帯で覆われた視線を向けると彼女は蜂蜜色の瞳を柔らかく歪めて「そうよ」と笑った。
「……憎むべきは、全部、私、だから」
「どういう……?」
茉昼の不可解な言葉に和夜が疑問の声を漏らせば、茉昼は和夜の左耳を彩る房飾りを赤く染まった指先でなぞる。誕生日に両親に頼んで贈ってもらうはずだったお揃いの飾り。茉昼の右耳にも同じ房飾りが揺れている。
「……私、が、全部……悪いの……私が……」
ポロポロと茉昼の目から涙が零れる。まるで蜂蜜色の瞳が溶け出しているかのような錯覚に陥るのは茉昼の肌が死人特有の青白い色に染まっているからだろう。泣き出した茉昼に和夜はその理由をなんとなく把握しつつ、彼女の藤鼠色の頭を優しく撫でる。父親が、母親がしてくれたように、悪夢に魘される自分に明石が眠れるようにとしてくれたように。茉昼は懐かしい温もりに少し落ち着いたようで、途切れ途切れではあるが自らの心情を語る。
「……裏門から、侵入したの、知ってる?」
「嗚呼、当時は風邪でうろ覚えだったけど、あとで確認したら裏門からの侵入だった」
「それ、私」
なにがそれなのだろう。周囲に音が聞こえなくなってしまったかのような衝撃。茉昼が零れ落ちる涙を、瞳を隠すように房飾りを触っていた片手とは反対の手で目元を覆う。ローブから現れた巫女服の袖口が茉昼の表情を覆い隠し、彼女の感情を抑制する。私に、泣く権利はない。もはや、死んだ罪人なんだから。
「私が……裏門を、開けっ放しにした……そのせいで……!みんな、死んだ……私のせい」
茉昼の告白に和夜も明石もなにも言わずに聞く。今は口を挟む場では決してなかった。これは茉昼が溜めに溜め込んだ懺悔の物語だったから。両親を殺し、お手伝いさん達を殺し、和夜を独りぼっちにし、そして自らの所業を悪神のせいと思い込むことで自らの精神を保とうとした自業自得な、依存を求めた少女の話。
「……でも、私ね、嬉しかった……兄さんが、私と、一緒になった、って……私と同じで悲しんでいる、って……私のせいで悲しむ兄さんが……和がいることが、嬉しかった……私達は、何処までも同じで、一つなんだって!……だから、だから、許せなかった……悪神が……私達の、繋がりを、奪うのが……和は、幸せに、なるべき私の片割れだから……だから、私は、悪神が許せなかった」
二人の耳元を飾る房飾りが揺れ動く。双子として生まれて、ずっと一緒だった。私達は依存していた。だから、離れるのは駄目だった。違うのは要らなかった。離さないでと、ずっと一緒にいようねと指を絡めて繋いだあの日から運命は幸せしかなかった。わからない未来を想像して、勝手に依存して、悪いのは誰だと罵って、その結果、奪ったのが、悲しませたのが自分自身だと気づかないで。
茉昼の声は和夜に見放される恐怖と罪悪感で震えている。抱き締める和夜の温もりが一瞬分からなくなってしまうくらい、憎いはずの明石が柔らかくも愛おしい雰囲気をかもしだしていることに気づかないくらい。和夜と明石の二人の間に茉昼が介入する余地すらないことを理解してしまうくらいには。
「だから……私は、私達を引き離した全てを……紅藤や、悪神を……憎んで、殺そうとした……そうすれば、和が、笑って、くれる……そう思った……でも、全部、私のせいだった……」
目元を覆った腕の下から嗚咽が漏れる。茉昼の感情、茉昼が抱えてきた愛情はその名の通り、愛憎へと変貌した。愛しい片割れを求めて、片割れの幸せだけを求めて。「彼に与えられるのはこんな運命じゃない!」と叫びながら。どうにかして軌道修正しようとした。その結果、悲しませたのはーー片割れを悲しませたのは茉昼だった。アダムの云う通りだった。『傲慢』の云う通りだった。分かっていて分からないふりをしていたのは自分だった。悪いのはーー
「わた」
「違うんだ、茉昼」
「私」と云おうとした茉昼を遮り和夜が優しく彼女の頭を撫でる。和夜の言葉に「えっ」と茉昼が腕をどければ、彼は茉昼が想像していたような憎悪にまみれた表情ではなく、ただただ優しい笑みを浮かべていた。意味が分からなくて、戸惑う茉昼に和夜は彼女の右耳の房飾りを手の甲で撫でると言う。
「俺も同じだった」
「……えっ」
和夜の言葉に茉昼は呆けたように目を見開く。それは、それは一体どういう意味?
「茉昼が裏門を開けたのも閉め忘れたのも知ってた。俺の部屋が何処にあったのか忘れたのか?」
和夜の部屋は裏門が辛うじて見える位置にある。絶望を味わったあと、和夜は自分がベッドから飛び出す時、一瞬窓の外に視線を向けていたことを徐々に思い出していた。そうして、その記憶のなか、裏門が僅かに開いていたことを思い出した。絶望を忘れようと塗り替えられた記憶のなか、残された事件の資料をもとに和夜は真実を導き出していた。
「俺は、貴女を恨んでない。唯一無二の片割れを恨むはずないだろう?」
「……うっ、でも、私……」
「全部、知ってた」
その言葉に茉昼の瞳が、満月のように大きく見開かれる。見開きすぎて目から涙が溢れ、眼球を抉るように浮き出てくる。和夜は優しく笑うと言う。
「俺も、茉昼と同じだったから……!」
ポタリ、と滴が茉昼の頬に落ちる。その涙は美しいほどに透明で愛おしい。何処かで気づいていた。フジと名乗った茉昼に、悪神・『傲慢』の手を取った茉昼に。それらの行動全てがかつての自分と同じだと気づいた時、確信した時、嬉しかった。心が締め付けられるほどに嬉しかった。一人ではなかったと、絶望と悲哀にうちひしがれたのは自分だけではなかったと。約束をたがえ違えたのは、世界ではなく、単なる運命だとようやっと認められたから。だから、こんなにも愛憎。それが、俺のたった一人の、独りぼっちの妹。『傲慢』と『嫉妬』が求めた幸せの結末。嗚呼、俺達はきっと、もう一度会うのを待っていた。ただ、共にいるのを待っていた。
茉昼は大きく見開いた瞳から大粒の涙を流し、花が咲くような笑みを浮かべた。それだけで、それを聞けて十分。だから、
「ーー私を、殺して、兄さん」
全てを、終わらせて。
最近忙しくて創作出来てません……頭にはあるのに……悔しい……!
まぁそんなこんな、次回は来週です!




