第六ノ夢 共犯という憶測について
何時間、いや、何日経ったのだろう。左胸に刻まれた証に和夜は幼い頃のように現実を呪った。あの時と同じように形見の着物にくるまってベッドに横になっていた。窓もなければ、時計もないため明石が出て行ってからどれほど時間が経ったのかさえ分からない。和夜は着物にくるまったまま、胸元で刀を抱き締める。情けない。そう思いつつもどうしたら良いのか分からなかった。扉の外に出て他の宿り主と管理者の言う通り殺し合えば良いのか。それともこのまま堕落に溺れ、恐怖から逃げるか。いや、そんなことをしていたって殺し合いが終わるわけはない。実際、あの円形の空間で殺し合いを嬉々として行っていた者が数名いた以上、平和的解決はもはや夢と消えている。それを可能にし数名を焚き付けたのは生き残ることで与えられる生と共に、管理者が言った「出来得る願いを叶える」という願望。彼らが持つ願い全てを叶えられるという保証はない。けれど、生だけよりも他人の命を踏み台にするには充分だったのだろう。そして他人を蹴落としてでも叶えたいものが彼らにはある。つまりそれは受け入れていると言っても過言ではなかった。
和夜は自身の腕に抱かれた刀を撫でる。明石という悪神・『嫉妬』が宿るモノ。和夜と明石がいつ契約したかと問われれば、きっと家族が化け物に殺され混乱していた九つの時。あの時 自分は言い付けを破り、憎悪と怒りの限りに武器を取った。復讐とも言えるあの時に契約したとしたらそれはそれで納得だ。自分はきっと父親の言い付けを破った罰も当たったのだろう。嗚呼、なら、殺し合いをしろと言うのなら自分は受け入れてなおかつ抗ってやる。ただでは誰も殺されたくはない。一度は助けを無視した神様に勝手に殺されたくはない。
「(俺は、勝手に殺されたくはない)」
そうとは決まっても体は動いてはくれなくて。それにこの状況を把握している明石がいない以上、むやみやたらに部屋から出ない方が懸命な気がした。他の宿り主……和夜の間違いでなければ七人ほどの彼らが同じとは限らないのだから。その時、トントン、と扉を叩く音が部屋に響き渡った。なんだ?と和夜はのっそりと起き上がるとベッドの上に座り込む。着物にくるまっているため、本当に明石が闇の中から救ってくれた時のようで和夜は思わず苦笑してしまった。思い出し笑いを和夜がこぼしている間もノックの音は規則正しく、トントン、トントン、と一定のリズムで扉を叩いている。この部屋に和夜がいることを知っているのは明石だけだ。明石がこの部屋を選んだ理由はよく分かっていないが、おそらく『嫉妬』の蛇が扉に刻まれているからだろう。部屋の中、内側の扉にもとぐろを巻く蛇が和夜を嘲笑うように刻まれていた。つまり、明石は和夜のことを知っているのでノックをする必要はない。あるとすれば、部屋にいる人物を知らない人。サァと和夜の背筋に緊張が走り、刀の柄に手をかける。もしかすると和夜を心配した明石が気を使ってノックをしている可能性もあるが、おそらくない。約十年間も一緒にいたのだ。過去にも似たようなことがあったのを踏まえれば明石はノックではなく大きな音を立てて入室してくるはずだ。それはきっと今も同じだ。だから違う。そうなれば、七人の中にいた誰かとなる。トントンという音が響く。扉を開いた方が良いだろうか?いや、開けたが最期、刺されるかもしれない。警戒し、ベッドの上で和夜は身構える。そうとは知らずにノックの音は無邪気なまでにトントン、トントンと響く。和夜が警戒し、なにも答えずにいると扉の向こうから声がした。
「反応がございません」
淡々とした女性の声だった。だがその声色は氷のように冷たく一切の感情がなかった。まるで声にこもる全ての感情を捨ててきたような、背筋を直接凍らせてくるような声。その声を和夜は初めて聞いた。もしかすると、七人ではないーー正確に数えたわけではないのではっきりとも言い難いが、和夜のように味方を連れている人物かもしれない。
「そう。じゃあしょうがない」
女性の報告をさほど気にしてもいなさそうな口調で別の声が答える。声変わりが終わっていない少年の声。だが女性のように異様に淡々とし過ぎていて少年ではない錯覚に陥ってしまう。先程までうるさいほどに響いていたノックが止まりーー
「蹴破って」
「承知致しました」
「はぁ?!おい、嘘だろう?!」
強硬手段を取った。まさかの手段に和夜は思わず声を荒げてしまう。此処がどういう場所か分からない以上、部屋の扉とはいえーー生活区域のものを破壊されるのは気が引けるし扉がないと生活しづらくなる。咄嗟に声を上げてしまい、和夜は口元を慌てて押さえるが後悔先に立たず。扉の向こう側にいる人物には聞こえたようで、小さく笑い声がした。
「嗚呼、やっぱりいた。扉を蹴破っても良いけれど、そんな無粋な真似はしたくないんだよねぇ。だから、開けて」
無邪気に笑う少年の声に和夜は警戒の色を濃くする。くるまっていた着物を肩からかけ、刀の柄に手を当てたまま和夜はゆっくりと扉に近寄る。まだ、声の主が味方と決まったわけではないし扉を開けた途端に攻撃してくる可能性だってある。
「攻撃はしない。攻撃したら管理者に言って僕達を殺してもらえば良いよ」
「……なに言って」
「管理者くらい出来るはず。だってそういうものだからねぇ」
少年の何処か確信した言い分に和夜は首を傾げながらドアノブに左手をかける。この扉の向こうに味方か敵かも分からない二人がいる。少年の言い分を信じても良いのか、それともそれ自体が嘘か。頭の中が混濁し、どれが正解か分からなくなっていく。
「僕達は、僕は、攻撃しない」
強く、強く念じるように祈るように少年は告げる。まるで和夜に問いかけ、そのうえで洗脳を施していくような妙な感覚に和夜はかぶりを振った。虫が首元を這うような異様な、微妙な心地と言うか感覚。それが少年に対する敵意かそれとも好意か、理解するのは恐ろしくも難しい。和夜は左手に握ったドアノブの冷たい感触を噛み締める。そうして勢いよくドアノブを引いた。次の瞬間、扉の向こう側から攻撃がーー来ることはなく、メイド服に身を包んだ能面を顔に張り付けたような女性と少年か少女かパッと見はよく分からないゴシック系の服に身を包んだ人物が礼儀正しく、宣言通り攻撃もせずに立っていた。おそらく人物が少年で、メイド服の女性が丁寧な口調でありながらも冷ややかな声色だった女性だろう。今もまるで目にガラス玉がはめられているかのようになんの感情を示すこともなく和夜を見ている。数cm差であろう身長の差がまるでなくなってしまったかのようで、女性に上から見下されているように感じてしまう。和夜の警戒した様子と添えられた柄に少年は明らかに作り笑いを浮かべると女性に向けて手を出し、ゆっくりとおろした。それに女性は「承知致しました、我が主」と感情を込めずに告げると軽く頭を下げて、一歩後退した。どうやらこれで女性は攻撃しない、と和夜に言いたかったらしい。つまり、敵意はないから武器から手を離して欲しいと言うのだ。和夜は少々警戒の色を残しながら少年の目の威圧というか無言の懇願に従い、柄に添えていた右手を離す。その代わりというように扉はいつでも閉じることが出来るようにドアノブを掴む。
「……なにか用?」
「もう一人いないことが気になるけど……まぁいっか」
少年の値踏みをするようなするどい瞳に和夜は肩からかけていた着物に袖を通した。背筋を駆け巡った寒気にも似たなにかは、きっと自分よりもこの状況を理解しているからこその恐怖のような気もしたし、なにか救いというか助言を得られるのではないかという邪念もあった。もう少し、明石がいない中で考えてみたいという思いもあったがなにより少年はもう一人を知っていたことが気になった。自分と同じように巻き込まれたもしくは付き添いと考えているのか、はたまた明石の言う自我を持った悪神と見抜いているのか。そう考えると少年と女性の関係ーーおそらく主従関係だろうが、どうなるのだろう。『嫉妬』以外になにがあるのか……なにを犯したのか和夜には分からないから。少年は和夜の怪訝そうな表情を見て小さく微笑すると言った。
「ちょっと話さない?共犯について、さ」
「……共犯?」
「そう、共犯のお誘いだよ」
不思議そうな表情を浮かべる和夜と裏腹に少年はニッコリと微笑んだ。
絶対ウチが書く作品にいる「お誘いする人」。今回は、彼らです!