第六十五ノ夢 それが私達の決断だった
どうすればいい?どうすれば、二人を失わずに済む?和夜は頭を抱え、現実から視線を逸らす。最初から分かっているのに、現実逃避して少しでも絶望から抜け出そうとする。もはや抜け出すことさえ自分には困難であるのに。その事に和夜はとっくに気づいていて。
茉昼は大切な妹で、約束を交わした愛しい片割れで。一度は死んだと思っていたのに、また出会えた。けれど、そんな彼女は操られているという。管理者の言葉を信じていないわけではない。むしろ疑っているわけでもない。『傲慢』と『憤怒』が扱える秘術とも言うべき神なる所業。それが本当に目の前で起きている。喜ばしいことなのに喜べないのは、彼女がもはや自分のなかでは過去の存在になっているから?それとも再び悪夢を植え付けているようであるから?分からない。茉昼がフジとして和夜と明石と交流した日々はまるであの時のようで、取り戻せない日々を取り戻すようで。なのに、何故、操られているなんて悲惨なことが起きるの?『暴食』がもはや殺されたのならば、彼女を操っているの『憤怒』であるアダムしかいない。だが、なんのために?茉昼と和夜を衝突させてなんになる?彼は、茉昼と和夜の関係に気づいていた?だから操って殺し合わせようとした?それともーー彼なりの激励?そんなわけない。無謀な考えに和夜は弱々しくかぶりを振った。アダムがそんな優しいわけがない。彼は「化け物の殲滅」を望む人外だ。証拠はない。だが、明らかに茉昼は明石ばかり狙っている。出会った時、明石にのみ漂わせていた殺気と敵意と同じように、殺意は明石にのみ向けられていて、蜂蜜色の瞳も明石しか見ていない。美しく濁った琥珀の瞳。その瞳が今一度写さなくてはならないのは、一体誰?
明石は大事な相棒で友人で、悪神で。十年間もの空白と絶望を埋めてくれた愛しい人で存在で。茉昼でさえ埋めることが出来ない空白を埋めてくれた唯一の人。貴女が悪神であろうとも信じると誓ったのに。生き残ると決めたのに。
嗚呼、ねぇ、世界も神様も残酷すぎる。殺し合いで生き残るのは二人もいらない。生者か死者か。大切なものを選択肢なさい、さもなくは死ぬのは大切な人。和夜を絶望が覆う。どう考えても覆せない未来。茉昼を救うためにはどうすれば良い?明石を助けるためにはどうすれば良い?
「茉昼!」
「和夜、多分、聞こえてないよっ!」
悲痛な声で和夜が叫べば、茉昼ではなく明石が答える。明石の目の前では茉昼が明石の首筋に脇差を食い込ませようと刃を突き刺そうとしている。それをその場で体勢を低くしてかわし、明石は彼女の腕の中から撤退する。そうして壁を蹴り上げ天井に跳躍。天井に足をつけ、茉昼がこちらに突っ込んで来るように跳躍する気配を感じ取ると、次の瞬間、明石は茉昼と入れ違いになるように天井を蹴る。空中で入れ違いになる二人は一瞬視線を交差させると何事もなかったかのように立場を入れ換える。床に着地した明石は素早く和夜のもとに駆け寄ると彼の背に恐る恐る手を伸ばし、さすった。震える背に手が伸ばせなかったのは思い出してしまったから、茉昼を刺激してしまうと思ったから、許せないと思ってしまったから。背をさする優しい温もりに和夜は思わず顔をあげる。蜂蜜色の瞳が溶けるように涙は止まることなく流れてくる。瞳は全てを失った時のように何処か虚ろではあったが、まだ希望を持っていた。
「和夜……」
「……無理だ。俺には……あいつを……」
もう一度殺し合いで手にかけるなんて。和夜が自らの手を見下ろす。ぶるぶると痙攣する手は自らの恐怖を示している。どちらか大切なものを選んで切り捨てるなんて出来やしない。だって、どちらも自分を形作った大切なものなんだもの。手放せない、手放すことは出来ない。明石が和夜のもとに行こうとも茉昼は明石を狙っているらしく、脇差の切っ先をこちらに向けている。しかしすぐに攻撃しないところを見るに操られてはいるがまだ理性は残っているようだ。それか和夜が引き金か。でも……と明石は思う。『憤怒』が操るなんて出来るものなの?と。管理者との会話は聞こえていた。今の茉昼は操られていると云うよりも命令を忠実に遂行しようとしているように見える。操っているのが『憤怒』だとすれば狙いは和夜になるはず。だって、殺せば終わりで生き残りは彼だけになるのだから。それをきっと和夜も気づいている。嗚呼、なら。
「……和夜」
「…………」
「気づいてるんでしょ?」
明石の少しだけ戸惑った声がする。悪神のことを告白する時と同じ悲哀を称えた声が和夜の耳を支配する。気づいてる?なにに?到底分からないと和夜が泣き叫びたいのをこらえ、喉の奥で悲鳴を掻き消しながら明石を見れば、明石は和夜の考えが正しいと云わんばかりに頷いた。明石の手は、震える和夜の手を優しく包んでいた。
「多分、茉昼は『憤怒』の素質もある。だからこそ、暗示にかかりやすかった」
「悪神は時に二つの適正を持つ宿り主を契約者に選ぶ」、管理者の言葉が和夜の脳裏で木霊する。分かっていた、予想していた。茉昼は悪神に対して憎しみを抱いていた、そして兄である和夜には愛情を抱いていた。悪神に向ける殺意は双子の運命を壊した怒りでもあって、兄を奪った怒りでもあるのだろう。双子の片割れで、兄だからこそ和夜もわかった。茉昼は悪神を憎んでいる。殺してしまいたいほどに。だからこそ、『憤怒』にもなり得た。思い込んで作り上げた偽りの怒りを、真実である憎しみを持っていたから。だからアダムは茉昼を操った。いや、明石の言う通り暗示をかけた。どう云ったかは知らないがおそらくこう云ったのだろう。「憎しみを本人にぶつけろ」と。精神的に揺さぶるのが得意そうなアダムであれば、弱った茉昼の脳へ催眠をかけることも可能だろう。そうしてアダムの暗示に茉昼は堕ちた。嗚呼、なら、その暗示を解く方法なんて高が知れてるじゃないか。和夜は脳の隅で形作られていた絶望がだんだんと大きくなっていくのを実感した。茉昼を解放するには、アダムを殺すか説得するしかない。だが、アダムはいない。見つけられたとしても明石を囮にするという皮肉な策を取るしかない。そんな策を取った挙げ句、二人を失いたくなどなかった。そうなるくらいなら……俺がーー
「(……今、俺はなにを考えた?)」
和夜の頭を横切った一つの考えは、今まで死んでいった宿り主と同じ欲望。零れ落ちる涙が和夜の困惑を物語る。嗚呼、自らもいつの間にか愛しいほどに歪んで溺れている。それほどまでに真実から目を逸らす。
「……暗示を解く、方法は」
「多分、和夜が考えてる通りだよ」
何処か明石の悔しそうで、泣きそうな声が和夜の鼓膜を震わす。嗚呼、思った通り。でなければ、本人が来るなんてあり得ないじゃないか。
多分、茉昼は殺したいと思って攻撃しているわけではないのだろう。本当にそうなら、この瞬間さえも攻撃し、二人を殺しているに違いない。それか共謀した方が都合が良い。さあ、選べ。アダムが和夜の目の前で中性的な顔を歪めて醜悪に笑った。形見となってしまった着物を握りしめる。藤が散らばった血族の証。そうして、わが家を守ってきたという明石が宿るモノ。大切な思い出か、大切な記憶か。選べるはずもない。覚悟していたはずだった、なのに。いつまで経っても覚悟出来やしない。ふと、茉昼を見た和夜の視界に虚ろな目をした茉昼が入る。まるで光を求めるように、迷い子が誰かを捜すように。
「ボクは、和夜の意思に従うから。どっちを選んでも和夜が幸せなら良い」
嗚呼、今、明石はなんと言った?なんと、告げた?ゾワリと和夜の背筋を駆け巡ったのは恐怖ではない感情。そう、この感情は失ったものを羨ましく妬ましく思っていたあの時と同じモノ。
「させない」
「え?」
無意識のうちに和夜は明石の手を掴んでいた。離さないと云うように、まるで茉昼と約束した時と同じように。嗚呼、なら。やっとわかったと云うように和夜の目から涙が零れ落ちた。虚ろな目と同じ色の瞳がかち合う。アイコンタクトで告げられた思いは双子が同時に瞳を閉じたことで決定される。
双子は救いたかった、助けたかった片割れを。支えたかった、守りたかった。でも、誓い合った手は、楔はほどけてしまった。離してしまった。不可抗力だとしても離してしまった。だから、もう双子はただの二人で、運命はもう絡まることはない。幸せと不幸はもはやない。あるのは意思のみで。嗚呼、ならば、あの時願ったようにもう一度繋ぎ留めてしまいましょう?今度こそ、煩わしい雑念に惑わされることないように。和夜は握っていない手で刀を抜き放つ。その行為に明石は気づくとゆっくりと和夜の片手を引きながら立ち上がらせる。そして、繋がれていた手を離し、ポンッと背を叩く。それは激励で鼓舞で、理解だった。ぼろぼろと零れ落ちる涙を袖口で拭い、和夜は刀の切っ先を茉昼に向けた。切っ先はまだ震えていた。けれど、解放してくれる、救ってくれる、そう確信した茉昼の瞳はゆっくりと弧を描いていく。そうして、にっこりと嬉しそうに笑った。
「(やっぱり)」
茉昼の笑みに和夜もよく似た笑みを返した。よく似た二人の笑みが出会えば、嗚呼、もうそれだけで良い。それだけで約束は達成出来た。だから
「和夜、 待ってて、今、助けるから」
「待ってろ茉昼、今、行くから」
尊き殺し愛を致しましょう?未来なんて、分かるはずないんだから。
さあ、愛しき者を殺れ。
遅くなりましたすみません!寝てました!(言い訳)
次回も来週です!




