第六十四ノ夢 それが『傲慢』な私達だった
懐かしい、けれども幼い声。その声を和夜は知っている。夢にまで見るほどに聞き慣れている。愛しいと叫んでしまうほどに依存していた。誓っていた。その声と共に明石が目の前から消えた。
「?!明石!?」
心地好い声に身を委ねそうになりながらも和夜は我に返り、明石の名を呼ぶ。すると和夜の声に一拍の間を置いてガシャンッ!となにかが割れるような倒れるような音が響いた。おそらく、ほぼもぬけの殻である棚が倒れたのだろう。下段にはなにもなかったし、衝撃で倒れたと予測するのは簡単だった。だが、和夜が想像出来たのは此処までだった。少しだけ上がった埃がまるで煙のように舞い上がり、視界を覆い隠していく。その埃のなか、ひときわ輝いて見えたのは白銀に輝く刀身だった。
「明石!」
明石が刀身が使われた武器を使うはずがない。明石は扇だ。ならば、あの刀身は誰を指し示す?もう一度、和夜が大声で明石を呼びながら刀に手をかけると、徐々に晴れつつある埃のーー煙の中から明石が声をあげる。
「ボクは大丈夫!……多分!」
「多分って云うくらいなら安心だな!?」
明石の何処か余裕綽々とした無事な声に和夜は一瞬ホッとし、次の瞬間には背筋に悪寒が走っていた。晴れた煙のなか浮かび上がったのは崩れた本棚に背を預けながら強烈な刃を扇で防ぐ明石と、そんな明石に刀身を食い込ませんばかりに押し付ける藤鼠色の髪をした後ろ姿だった。和夜と管理者のいる手前の本棚にも大きく穴が空いていることから、吹っ飛ばされた衝撃で破壊されたのだろう。そうして、見たことのある後ろ姿に和夜の心臓が早鐘の如く鳴り響く。待ち望んでいた、いや、待っていなかった、いや、もう知っていた、いや、嗚呼……もう分からない。うるさい心臓は和夜の脳を犯すように鳴り響き彼の正常な思考を奪っていく。高揚とした感情を、悲哀を込めた感情を根こそぎ奪い、違和感を正常にしかつての悪夢を想起させてくる。あの髪色は、そして右耳に揺れるあの房飾りは。彼女の手に握られたあの脇差は、ローブにはためく獅子と藤は。もう、誰がなんと言おうともそれが真実だった。それが答えだった。
「……茉昼?」
「やっぱり!和夜の妹じゃんこの子!顔そっくりなんだけどぉ!」
和夜のこぼれた声は明石の申告によって掻き消えた。明石に襲いかかっていたのは悪神・『傲慢』を使役するはめになっている宿り主、茉昼だった。明石は自分に覆い被さってくる茉昼の腹を蹴り飛ばすと急いで立ち上がる。蹴り飛ばされた瞬間、茉昼は呆然と佇む和夜を視界に入れ、微笑んだ。まるで花が咲いたような可愛らしい笑み。本当なら和夜と共に成長し碧藤家を担う双子の兄妹となるはずだった二人の運命は、あの日、決裂した。ドロリと溶け出した鉄のような蜂蜜色の瞳に和夜は狂喜を感じた。だがその狂喜は、和夜と明石と同じ何処までも歪んだ美しい感情を孕んでいて、決して和夜自身が否定など拒否など出来やしないものだった。和夜の脳裏で記憶が花咲く。一緒にいようと指を絡めた。離れないでねと約束して笑いあった。双子だけの、二人だけのお約束。運命を決定付けられていたがゆえに慈愛に依存した双子のたった一つの未来。その未来を奪うならば、嗚呼、片割れを求めたまえ。それが、
「和夜」
「茉昼」
違えた意思である限り。
蜂蜜色の瞳が交差する。愛しい愛しいと交差する。まるで『色欲』のように、『怠惰』のように、『強欲』のように、『暴食』のように求め合う。近くにいて遠かった安心を求めて。茉昼はにっこりと和夜に笑いかけると空中で体勢を立て直し、立ち上がった明石目掛けて跳躍する。こちらに逃げようとしていた明石が茉昼に気付き、歯を食い縛りながら扇を構える。口のなかで悲鳴が言葉を形作ることなく消えていく。なんで、なんで茉昼は明石を狙う?憎しみを込めた視線を送っていたから?ならばなぜ、身動きせず武器もない比較的殺りやすそうな管理者を狙わない?話したかった。本当に『傲慢』で、死者なのに契約したことで肉体を得たのか聞きたかった。それは茉昼も同じはず。正体をようやっと表したのに明石ばかり殺気を向けている。正体を明かさなかった理由でもあるのだろうか?ぐるぐると考える和夜を横目にポツリと管理者が立ち上がりながら呟いた。
「あれ、操られてますね」
「えっ」
管理者の言葉に和夜の呆けた声が無情にも大きく響く。管理者は和夜の表情にまた哀愁漂う表情を向けると見える口元だけを歪める。
「悪神は時に二つの適正を持つ宿り主を契約者に選びます」
「……そ、れ……は」
「私からは以上です。では」
どういう、和夜が問うよりも先に管理者は彼の耳元で悪戯をするように嘲笑って告げた。
「せいぜい苦しんでくださいね、私達のように」
和夜の目の前に絶望という二文字が無情にも大きな音を立てて落ち、足元が奈落の底へと変貌した。
『碧藤茉昼とは悪神・『嫉妬』を使役するはめになっている碧藤和夜の双子の妹である。そして、彼女はとっくに死んでいる。十年も前に。
九つの時まで双子はずっと一緒だと信じて疑わなかった。生まれた時からずっと一緒にいる片割れ。兄は妹のために、妹は兄のために生涯を尽くそう。この家と藤のために。愛する家族のために。端から見ればなんと微笑ましい兄妹愛。なんと美しい家族愛。だが中身を紐解けば、現れるのは共依存。その片鱗に気づいたのは両親だけで、兄は無自覚だった。たまたま依存してしまっていた、いつの間にか愛しいが絡み尽きてしまった。ただそれだけの些細なこと。思春期に起こった自尊心と強度な信頼関係が生み出した可愛らしい産物。他とは違う世界に身を委ねたまま生きていた空想の物語。平和を謳歌したゆえに沈んでしまった不幸を殺した物語。身近な愛しい存在。愛しい片割れ。それが容易く壊れれば、溢れ出すのは狂喜だけ。
祝福の日に妹は死んだ、兄の目の前で化け物に食い殺された。その日、兄の心は死んだ。死ぬ時でさえ、双子は一緒だった。
だが、たったそれだけのこと。偶然によって、必然だっただけのこと。
悪神・『嫉妬』が兄に執着したように、妹もまた自らのせいで兄が苦しみ悲しんでいると喜び執着した。二人でわかつ運命に、二人でわかつはずだった幸せな未来に。だからこそ、奪われてはいけない。兄と妹の繋がりを。不幸で繋がれた兄妹の絆を。幸せになるはずだった運命を。ーー取り戻さなければならない。兄が不幸な運命なんてあってはならない。兄は、妹の希望だから。妹の願いだから、幸せだから。だからーーこんなこと、アッテハナラナイノ。
妹は嗤う。今助けると。
妹は泣く。私のせいだと。
妹は動く。抗うために。
妹は、語る。全て、私達が望んだことだと。
だから、妹は悪神・『傲慢』の手を取った。自らの思いを具現化したような彼女の手を。そうすれば、思い込んでいたものを絶ち切れると知っていたから。兄を救えると知っていたから。魂のみであった妹は肉体を得る。契約によって、もはや失われた命など惜しくない。救えるのならば、また笑ってくれるのならば。そのためなら私はこの身を壊したって構わない。消えてしまったって構わない。
全ての元凶を、悪神という化け物を奪え。奪われたのだから奪い返せば良い。先に奪ったのは私でしょう?
「ずっと一緒にいようね」
「華姫様と騎士みたいに?」
「そうだね、そうだよ!彼らみたいに、僕達は二人で一つ。助け合って行こうね」
「うん!私、兄さんのこと大好き!だから、手、離さないでね」
「約束だね」
「私達は、二人で一つ」
「互いを尊重して、互いを捜している」
「大好きだよ和夜」
「僕もだよ茉昼」
お揃いの房飾り、お揃いの瞳にお揃いの髪色。違うところを探して、手を繋いで、ずっと笑っている男女の双子。もう、未来に双子が存在することはない。
『嫉妬』と『傲慢』と手を繋いでしまったから。』
愕然とする和夜を管理者は置き去りにし、さっさと書斎から出ていく。巻き込まれたくはないと言うことなのだろう。管理者にとってはどうでも良いのだ勝敗なんて。和夜の脳内は管理者の冷酷であり合理的な性格に悪態をつきながら混乱を極めていた。茉昼は操られている?誰に?和夜はいつの間にかぼろぼろにまで破壊された本棚を柵のようにして戦う明石と茉昼を見る。どちらも大切な人なのに、どうして、どうしてこうなった?嗚呼、なにもかも分からない。和夜は痛む頭を抱える。絶望、まるで家族を殺されたあの日のような無常な選択肢。此処は、地獄でしかない。
「明石……頼む……茉昼に、妹に攻撃しないでくれっ!!」
悲鳴、慟哭、絶叫が響く。その声は泣いていた。和夜はいつの間にか両膝をついて座り込んでいた。蜂蜜色の瞳からは美しいほどに大粒の涙が零れ落ちている。和夜の声に答えようと明石が口を開こうとすれば、その僅かな隙を狙い、茉昼が脇差を振り回す。
「茉昼、やめてくれっ!!」
お願いだから、やめて。奪わないで、奪っていかないで。俺から……二度と奪わないで。宝箱にしまっておきたいほどのソレを、大切にしまい来んで出られないように絡め取ってしまいたいほどのソレを。けれど、茉昼は明石を殺すことにしか目を向けていない。明石も和夜のためならやめたいが、茉昼の攻撃でそれどころじゃない。此処はもはや、悲観に暮れる場ではなく、殺し合いの場なのだ。
幸福を夢見た少年と少女は悪神という感情によって約束を間違えた。
それを傲慢と見るかは人によりますが、彼女にとってはそれこそ『傲慢』たる所以であり彼女だったんです。
次回は来週!相見えた双子!どうなる!?




