第六十ノ夢 それが私達の怒りだった
「あ、あああああああああああああ」
フジと名乗った人物の口から咆哮にも似た悲鳴が漏れる。殺意と哀愁と、悲しみと、憤怒を混ぜた声は慟哭となり次第にか細い息へと変わっていった。全て、全てアダムの言う通りだった。フジはーー改め碧藤茉昼は自分と和夜を引き離したのが悪神という化け物だと思っていた。いや、思い込むことで正気を保っていると云った方が合っているかもしれない。幽霊、いわば魂のみの存在で正気を保つとはなんとも可笑しなことだが。それを全てアダムによって引き剥がされた。フジーー茉昼は頭を抱えながらかぶりを振る。まるで自分が正しいと暗示をかけるように。
「私は……私は!兄さんと幸せになるために……化け物を殺さないと……じゃないと……私達はっ!」
「ふぅん。その考え方だけは 同意してあげる。君も大変だったんだねぇ」
踞る茉昼をあやすように、同情するようにアダムが言う。彼の言葉に彼女がゆっくりと顔をあげる。和夜と同じ蜂蜜色の瞳には光が宿っているようには見えるが、和夜のような美しい光沢はなく淀んでいた。そして、熱した鉄のように熟していた。
「でも、それがなんだっていうの?君の動機でしょ、それ。君に同情の価値なんてない。悪神という君にとっての化け物と手を組んだ時点で、君は退場してるんだから」
「うる……さいぃいいい!!!!」
咆哮をあげて茉昼は脇差を奪うように掴み直すと、彼女の前に歩み寄ってきたアダムに向けて大きく振りかざした。だがその一撃は怒りと殺意が先走った結果、分かりやすいほどに大振りの一撃となり、アダムに簡単にかわされてしまう。ヒョイッとずれたアダムに向かって茉昼は無我夢中で脇差を振り回す。当たるはずもない大袈裟な攻撃をアダムは嘲笑し、先程まで甘えていたラスに目配せをする。ラスはアダムの意図を正確に読み取り、彼の手を取ると踊るような体勢を作りつつも自ら?背後に引き込む。途端に茉昼の脇差がラスを襲い、ラスは躊躇なく右腕で防ぐ。ガキンッという甲高い音と共に脇差が防がれ、茉昼の腕に振動が走る。そしてラスが人間ではないことを再認識させてくる。いや、アダムとラスこそが真の化け物なのではないかと茉昼の脳内で警鐘が鳴り響く。それを無視し、茉昼はラスの右腕に脇差を引き下ろし、深めの一線を刻ませてもらう。するとラスが蹴りを放ち、茉昼を撤退させる。茉昼は蹴りを間一髪でかわしつつ後方に跳躍する。カタンッと着地した反動で腰に結ばれた鞘がローブから姿を現す。鞘の表面は削られ夜桜を咲かせていたはずだったが、いつの間にか鞘には大輪の藤の花が溢れんばかりに咲き乱れていた。
「事実を事実と認識できないというのは、哀れでなりませんね。まるで、意思のない人間を人形と見立てて遊んでいるかのようです」
「ハハ、ラス、面白い例え方するじゃん」
「お褒めいただき光栄です、我が主」
クスクスと、クスクスと二人が笑う。茉昼を嘲笑っている。茉昼はユラリと顔をあげ、親の仇と云わんばかりに二人を睨み付ける。
「生け贄という宿り主ではあるものの、すでに肉体はない。それで神サマの殺し合いに勝てるとでも思ってる?碧藤を幸せに出来ると思ってる?」
「……やってみないと、分からない、でしょう」
「嗚呼、その意気は買うべきモノだろうけどねぇ」
スゥとアダムの目が細められる。笑っているのか怒っているのか、分からないほどの笑みに茉昼は背筋に悪寒を感じた。ヒュッ、と首を後ろから抱き締めるように、締め付けられたかのような感覚。心臓をアダムの手中に奪われたような、そんな感覚。今までにない恐怖に茉昼の全てが包み込まれる。あんなに憎んでいた明石よりも、あんなに恨んでいた紅藤への感情とはまた違う、身の危険を感じる恐怖。拘束されたように動かない手足を、見開かれた蜂蜜色の瞳を、アダムは蔑む。
「悪神だけを悪と決めつける、そんな思考、『暴食』と同じで、悪神そのものの思考じゃない。悪神は、その名の通りだと誰が云ったの?」
悪いのは一体、だぁれ?
昔聞いた、茉昼の声によく似たあの声がフラッシュバックする。茉昼の耳を、脳を埋め尽くしていく。悪いのは全部、そう、本当は全部、茉昼なのに。嗚呼、でも、そうしないと私は、私達は、幸せになれないの。こんな不幸、和夜にあっていいわけがない!!
「……違う。悪いのは全部、悪神で、化け物なんだよ。だから、だから、兄さんを、和を救わなきゃいけないの」
「洗脳ですね、ある意味。いえ、思い込むことで正気を保っているからこその依存。片時も離れたくないからこその」
「君達に、私達双子のなにが分かるって云うの?和の絶望のなにが分かるって云うの?私の哀しみのなにが分かるって云うの?……だから、解放しないと」
なにが「だから」なのだろうか。ラスは呆れた様子を無感情な瞳に少しだけ写してアダムを一瞥する。アダムもよくわかんないと云うように肩を竦めた。そして呟く。
「誰がそれで悲しむんだろうねぇ」
誰もが分かりきっているのに、との含みを込めて言えば茉昼は恐怖の表情から一変し、泣きそうな表情になった。それはまるで迷子がようやっと捜し人を見つけて安堵したようで、愛しいなにかを視界に納めようとしていた。嗚呼、だからこそ、止まれない。この殺し合いのなかではもう、逃げ道なんて存在しない。だから、思い込むしかない。愛ゆえに、『傲慢』だと思うがゆえに。
「……嗚呼、そっか。『色欲』の云うことってこうだったんだ」
ポツリ、と茉昼はリーラとローズとの殺し合いを思い出す。そうして、右耳を飾る藤鼠色の房飾りを愛おしげに一撫でする。藤鼠色の髪を首根っこ辺りでお団子にし、前髪を左に流していることもあって、その仕草は妙に色気があった。中身が意識していたにしろ、していないにしろ、そこにはあったであろう幻想が浮かんでいた。だから。茉昼は脇差を握り直し、アダムとラスを睨み付ける。光が失われた濁った瞳に唐突に宿った光にアダムの目が驚愕に見開かれ、そして玩具を見つけたと云わんばかりに口角をあげた。茉昼はそんなアダムを気にすることなく、片足を後方に引いた。
「(愛しているがゆえの)」
茉昼は呟こうとした言葉を飲み込み、引いた片足に力を込めると一気に跳躍した。怒りと恐怖が茉昼の中を支配して残った理性も奪いそうになる。それでも良い気がしたのは、和夜の何処か幸せそうな表情を見たからかもしれない。再び大きく跳躍した茉昼をラスが睨み付けるように見つめると、背後のアダムを一瞥。そうして、アイコンタクトで読み取った意図にラスは傷だらけで人とは到底離れた人形染みた指先を口元に当てた。ラスがゆっくりとその動作をする間にも茉昼との距離は近づいていくる。だがラスは慌てる様子もなく、左手でスカートの裾をちょこんと摘まむ。すると彼ら二人の頭上に躍り出ていた茉昼に向かって突然、突風が襲った。茉昼は咄嗟に片腕で顔を防ぐ。腕に走る痛みに突風に鋭さがあり、突風ではなく刃になっているのではないかと防ぎながら茉昼は思う。ガッと吹っ飛ばされた勢いを使い、天井に足をつけると勢いよく飛ぶ。一気に下降するなか、茉昼はラスの足元を確認すると再びスカートを持ち上げているのがわかった。少しだけ持ち上がったスカートと足首の間から微かに風が吹いているように見える。茉昼は空中を滑るように落下し勢いよく脇差をラスに上段から切りつめると、彼女は勢いに押され少しだけ後方に仰け反る。そのまま彼女の首を掻き切ろうと着地した体勢から跳ね上がる。しかし、ラスも茉昼の考えは分かっているらしく、跳ね上がる茉昼と同時に後方に飛ぶ。茉昼が伸ばした腕をダンスをするかの如く、ラスが取ろうとすれば彼女は片足を振り上げてラスと距離を取る。足を振り上げた勢いを利用してバク転し、再び跳躍。脇差を振り回せば、ラスはクルリとその一撃をかわしていく。そうしてラスの脇を通りすぎ、先程まで背後だった場所に回り込んだ茉昼だったが……
「チッ」
「おや、猪突猛進型の馬鹿ではないんですね」
茉昼の舌打ちにラスがそう、罵倒なのか告げる。そうして、もう一度口元に指先を這わせて笑った。茉昼はラスの背後にアダムがいつの間にかいないことに気づいていた。だからこそ、気づかなかった。ラスが口元に指先を当てる動作の意味を。
「ですが」
色を失った真っ白な唇が妖艶に弧を描く。
「所詮、思い込みは思い込みでしかない」
その無機質な口から放たれた声はラスの声ではなく、好奇心を詰め込んだアダムの声だった。え、と茉昼が目を見開くよりも早く後ろから抱き締めるようにして両手が伸びる。まるで玲緒を刺し殺した時のように後ろから伸びた手は茉昼の目元を覆い、彼女を捕らえるように耳元で囁いた。
「なら、その正義、本人にぶつければ?」
悪魔の囁きに、茉昼は。
暗転。
ちょっと遅くなったごめんなさい!
次回も来週です!(言うことなくなってきた汗)




