第五ノ夢 悪神という概念について
「おい、明石!どういうことなのか説明してくれないかっ!?」
受け身も取れずにベッドに放り投げられた和夜は悲鳴を上げるように叫んだ。窓がないだけで普通の部屋に見える部屋は扉の向こう側で殺伐とした刃物の音がしているせいか、異様な雰囲気に包まれていた。
七つのエンブレムが描かれていた円形の空間。明石の言葉に呆然とする和夜を明石は引き連れ、蛇のエンブレムの入り口へと入っていた。まるで全て分かっている、一度来たことがあると言わんばかりにスムーズに進む明石に再び和夜は唖然とした。明石が和夜を連れて来たのは部屋が密集する場所。どうやら管理者の言う通り衣食住はきちんと提供されるようで、あの円形の空間から全て繋がっているようだった。生活区域に来る間にも図書室らしき部屋や聖堂らしき扉を見たので娯楽もきちんとあるらしい。此処まで充実しているのに殺し合いを強要される。しかも神の儀式のために。そして悪神という封印された犯罪者。その一人が、親友で相棒でもある明石?到底信じられない事柄だったが、部屋に来るまでの全てが真実だと和夜に突きつけてきた。生活区域に来た明石は目に入った一つの部屋を選択し、和夜を連れて中に入った。そうしてそこまで事実をどうにか咀嚼し、受け入れようとしていた和夜は突然、手首を掴んでいた明石にベッドに向かって投げ出されてしまい、受け身が取れずにベッドに横になってしまったわけである。体を起こし、ベッドの前で笑う明石に目を向ける。なんだかいつも以上に口角が三日月を作っていて、明石の笑みが妖艶に見える。まるで知らない顔を見てしまったかのような心境に和夜は自身を落ち着かせるために部屋に視線を向ける。ベッドは二つ並んでおり、和夜が座るベッドから見て右側には扉があり、あちらがバスルームだろう。左側にも扉があり、こちらはよく分からない。和夜の正面、明石の背後には茶色の丸テーブルと二脚の椅子が置かれ、テーブルクロスには美しくも繊細な模様が描かれている。普通に見れば、ただの、ホテルのような部屋だ。だが窓が何処にもない。つまり、あの不思議な空間から察するに此処も普通ではないのだろう。落ち着かない和夜を気配で感じ、明石は無邪気に口元に手を当てて笑った。
「さっき言ったでしょ?和夜。ボクが悪神の一人で、和夜がボクと契約している生け贄なの」
「俺と明石は友達だろう?契約なんて……」
「うん、そうだよ。でも契約はボクらが勝手にする」
訝しげに首を傾げる和夜に明石はにっこりと笑いかけるとベッドに腰かける彼の顔にズイッと顔を近づける。突然のことに和夜が身を引けば、明石は言う。
「最初から説明しなくちゃね。ボクは悪神の『嫉妬』。大昔……和夜のご先祖サマがいた辺りの時代にボクは大罪を犯した。許されない……多分今でも許されない罪を。で、危険に思った神サマに封印されちゃったわけ!ボクはモノに封印されたけど、なかには魂自体に封印されて転生って形を取らされているのもいる。それが悪神。あそこにいた全員が悪神と契約と言う名のモノを持ってる」
「さっきも言っていたが、封印されたって……明石は死人なのか?」
和夜の顔が悲しげに歪む。化け物によって家族を失った哀れな子。生きようともがきながらも闇に呑まれた和夜がすがったのがまさかの死人で、犯罪者だったなんて信じたくなかった。すがったのにそこには誰もいなかったと言われてるようなものだ。無意識に伸ばされた和夜の手を明石は優しく両手で包み込む。
「うん、ボクは死んでる。でもね、こうやって自我があって和夜に触れれるの。それはボクが和夜に使役させてやっているから。ボクらが宿るモノを持っただけで契約なんて、和夜らからすれば使役するはめになっているっていう認識だろうけどね。それもあるしボクが長い間封印されてたってこともある」
「……明石が、貴方が俺の前に現れたのは……」
和夜の他人行儀な口調に明石は少しだけ悲しそうな表情をする。それに和夜はグッと罪悪感が刺激される。けれど、それは和夜も同じで。明石が和夜の前に現れた理由。彼は左手で腰の刀に触れる。父親が口煩く言っていた、「絶対に触るな」という忠告。その事実を鑑みれば、自ずと答えは明白だった。自分の肩が事実を受け入れたくなくて微かに震える。それでも言わなければならなかった。そう、明石が宿るモノ、封印されたモノ。それはーー
「碧藤家の守り刀……これが、貴方の……」
「さぁ、どうだろうね?」
ふふっと何処か含みを持たせて笑う明石だったが、ほとんどが答えとなっていた。父親は知っていたのだろうか?碧藤家の守り刀に悪神がいることに。そんな和夜の疑問に気づいたのか明石が付け加える。
「多分、和夜のお父さんはボクのこと知らないよ。前の殺し合い……今みたいなのは結構前だったし、その時はボク、まだ碧藤家の守り刀として奉られてはいなかったから。でも、似たようなのは言われてたんだろうね ……ねぇ、でもね、和夜、ボクがあの時キミの前に出たのはただ、キミを救いたかっただけ。これだけはホント」
包帯で見えないはずの明石の目が和夜を貫く。例え他が嘘と聞こえても良い。でも、これだけは信じて欲しかった。それゆえに契約は生け贄へと変換されてしまったが、事実だった。真剣な瞳ーー包帯で見えないだけでそこにまるで存在しているかのような明石の眼差しから和夜は考えるように、フッと下へ視線をさりげなく逸らす。真っ直ぐに包帯に巻かれた明石の顔は和夜から逸らされることはなく、明石なりの誠実さが見て取れた。
「……儀式って、いうのは?」
「嗚呼、アレ?アレはただの殺し合い。生け贄同士が殺し合えば神サマの力が保たれるっていう眉唾物の、笑っちゃうような話だよ。今じゃ、儀式で化け物を殲滅するための神サマの力が溜まるなんて思われてるんじゃないの?世界も神サマも嘘だらけなんだよ和夜。神託なんて、誰かの犠牲で出来てるんだから」
ハハッと自虐的に笑う明石に和夜はピクリと肩を震わせる。つまり、あの管理者も紅藤からの使いだと思っていたあの集団も全員、この世界にいるという神様が仕組んだことで命じたこと。化け物に対処していることを喜べば良いのか、勝手に使われたことを怒り嘆けば良いのか。もはや和夜にはどれが正解かも分からなかった。
「ボクらは、ただの厄介者。神サマはそれを有効活用してると思ってるに過ぎないの。きっと、悪神にとりつかれた人らも同じ。それでもボクらはそうしないと存在出来ない……生け贄、契約者ーー宿り主に、悪神に証が刻まれるのだってそう」
「……明石」
和夜が少しだけ悲しそうな明石の声にそう、声をかければ、「なぁに?」と問いかけてくる。騙していたわけでもない。救ってくれたことも事実だ。けれど、和夜の胸に巣食い始めるソレは許さなかった。和夜は見えないはずの明石の目を見据える。包帯で見えないその目はどんな色をしているのだろうか?興味が湧いた。
「……なんで、言ってくれなかったんだ?」
なんで隠してた?嫌われると思った?怒ると思った?突き放すと思った?今の和夜はどれも違った。絶望にも似た感情を腹の底から感じていた。それは怒りとは言い難い恐怖で、不安だった。明石は握っていた和夜の手を自分の手と共に下ろすと口角を少しだけ上げた。笑みとは到底言えないような、笑みの作り方を忘れたような、ぎこちないものだった。
「今、和夜が考えている通りだよ」
「(俺の、考えている通り?)」
明石に言われても和夜にはぴんとこなかった。そうして少しして分かったのだ。自分はきっと明石に裏切られたと感じたと。それが明石の言うことと同じなのかは分からない。だからこそ、怖かった。和夜は左手でポンッと明石の肩を優しく叩く。その優しさは紛れもなく信頼を形作っていた。
「……しばらく、一人にしてくれないか」
「うん、良いよ。さすがにすぐに殺し合いなんて出来ないもんね」
「ボクはどっか見てくるね」と努めて明るく言いながら明石は和夜から離れ、扉へと向かう。明石がもう遠くに行ってしまったような気が一瞬して、和夜はひき止めるように言った。
「俺は、明石のことを親友だと、相棒だと思っている」
和夜のその言葉に明石は扉の前で一瞬止まり彼の方を振り返って言った。
「知ってる。ボクもだよ」
だからこそ、壊せない。
にっこりと嬉しそうに笑って明石は部屋を出て行った。ガチャン……という無機質な音が部屋に響く。途端に和夜の脳内は明石の言った事実を理解しようと回り出す。それはまるでグルグルと終わりなく回っているようでもあった。ふと、悪神もしくは契約者には証が刻まれると言っていたのを和夜は思い出した。証がなければまだ、夢だと信じられる。現実からどうにか逃れたかった。ノロノロとした動きで和夜は右側の扉、バスルームへと歩み寄る。扉を開けるとやはりそこはバスルームで淡いクリーム色を基調としたタイルが貼られていた。和夜はクリーム色のタイルに挟まれた洗面台の鏡に近づくと腰の刀を外し、洗面台に置いた。そうして帯に手をかける。タンクトップ姿になり、明石の言っていた証を探すが、何処を探しても見つからない。ふと、左胸に微かな痛みを感じ、タンクトップを引っ張って見る。
「……ハハッ」
乾いた笑い声が和夜の口から漏れる。鏡に映った和夜の左胸、そこにはいつの間に刻まれたのかーーいや、いつからそこにいたのか。とぐろを巻いた蛇が今にも噛みつかんばかりの迫力を持って鎮座していた。それは夢でもなければ、非現実的でもないことを鮮明に表していて、和夜の儚い希望をも容赦なく砕いていく。
「夢でもなければ、悪夢でもない。正真正銘の、殺し合いだ」
陰鬱な表情の和夜が鏡の中で嗤った。
来週と言っておきながら土日指定していないことに後から気づいたのはこいつです(ノンブレス)←
本日は土曜日に、説明会をお送りしますっ!次回は来週のー……多分日曜日です!