第五十四ノ夢 『暴食』の破壊行為
グツグツと、殺意が煮えている。玲緒の腹より上、心臓の辺りで狂喜と殺意が沸騰しそうなほどに煮え滾っている。全てを食い散らかすように、相手の本質をも破壊し蹂躙しなぶる行為。それこそ玲緒の至高の食事。ペロッと乾ききった唇を舌で濡らせば、目の前の獲物ーーフジはビクリと恐怖で体を震わせる。いつまでもいつまでも終わらない殺し合い。それをフジは退屈に思っているのだろう、逃げたいと思っているのだろう。だが、玲緒は違う。まだまだ、足りなかった。腹八分目にも届かない。フジの正義も悪も何一つ喰らっていないのに、そう易々と見逃すなんて出来やしない。つまり、フジに逃げ道はないのだ。
「ふふ……」
唐突に漏れてしまう笑い声は玲緒の狂喜を指し示していながら、右脇腹の痛みを外へ逃がそうとする意図も孕んでいた。
何処かで誰かが嗤う。二人は忘れ、存在を無視する。『暴食』であるが故に、『傲慢』であるが故に。目の前のことにしか興味を示さない愚か者であるが故に。
玲緒のいつ来るか分からない攻撃にフジが身構えれば、彼女は足に力を入れ鞭を振るうべく腕を動かした。
『獅子 玲緒という女性は生まれた時から正義の味方だった。エル帝国という己の平穏のためならば過激な手段を取ることも厭わない思考を持つ国のもと、正義に満ち溢れた両親のもとに育った。父は罪人を捕らえる正義の騎士で、母はそんな父の姿に惚れた正義感溢れるカリスマ性を持つ女性だった。玲緒ーー彼女の家柄はエル帝国では上位に立つ方ではあったが、それにも拘わらず、両親は正義のために己を貫き、エル帝国のために力を注いだ。
そんな両親は彼女にとって正義だった。
正義感溢れる両親に育てられた彼女は周囲の期待通り、誰が想像しなくとも分かるように正義感溢れる少女へと育って行った。弱きを助け悪を挫く。悪であるならば、その悪が再び芽生えないように徹底的に追い込み駆逐しろ。それがエル帝国への愛であり忠誠であり正義。それはさながら洗脳に近く、けれど彼女は気にすることもなかった。全員がそうであったから。だから誰もが気づきもしなかった。彼女の歪みに、歪みに歪んだ正義という悪、悪という正義に。
彼女が成人の義を終え、大人の仲間入りを果たした素晴らしい日から一週間後。父親はある者を罪人として告発した。以前から怪しいと父親が睨んでいたその人物はエル帝国が不利になるように裏でありとあらゆることを手引きしていたのだ。他国へ情報を売り、エル帝国への輸入品を横流しにし、しまいには横領を働きエル帝国を滅亡に追い込もうとしていた。だがその時代、化け物によって世界情勢は大きく狂い、情報は偽物でも本物でも大した効果は得られることはなく、邪魔でしかなかった。しかしそれでも父親はその人物を諸悪の根源として断罪した。その結果、エル帝国の研究成果が守られ、罪人は兵器の実験台として処刑された。罪人は牢屋のなかで声高に無罪を主張し、家族も罪人の無罪を主張した。だが、実際に関わった証拠もあり、なにより本人が多少なりとも自白したことにより有罪は決定的であった。
しかし、正義は時に悪となる。
旦那の功績に母親は多いに喜び、父親と近い部署への所属が決まりかけていた彼女も大いなる正義を果たした父親を誇りに思った。けれど、何故か父親は違った。喜び家族を横目に一心不乱に資料を読み漁り、証拠を点検し、摘発した人物が治めていた地域の巡回を増やし地元住民に聞き込みをした。父親の行動に疑問を持った彼女は彼の後をつけ、そして知ってしまった。父親が冤罪かもしれない人物を処刑台に送り込んでしまったかもしれないことを。地元住民の誰からも好かれていた好青年、もうすぐ奥方が二人目の赤ん坊を生むという時で仕事も上手く行っていた正義感に溢れた順風満帆な青年。そんな青年が悪に手を染めたとは父親にはどうしても思えなかったのだ。そうして父親が調べた結果、全ての黒幕は罪人として処刑された人物の兄であることが判明する。狡猾な男は実の弟がお人好しであることを利用し自らの悪事を着せた。いわゆる濡れ衣だった。でも、罪人が完全な冤罪というわけではなかった。家族のために横領に手を染めていた、家族のために人から金銭を巻き取った。
その行為は端から見れば悪であり、本人からすれば正義。
嗚呼、哀れ。彼女は自分が見たこともない正義と悪にとりつかれてしまった。自分だけが知る正義、自分だけが掲げる正義、ただ憎しみを撒き散らす悪、そしてーー世界に蔓延る化け物と云う悪。
彼女の父親の行為は決して悪とは云えず、ましてや完全で善良な正義とも云えない。正義を自ら追求した挙げ句、父親は罪の意識に苛まれてしまった。もっとも罪人を捕らえる正義の騎士であったはずなのに、何十年もの間何百人単位ーー盛り過ぎだろうか?ーーの犯罪者を捕らえた騎士の思考にしては哀れすぎて理解出来なかった。正義に酔いすぎた愚かな騎士の成れの果て。父親の、いや到底父親にさえ見えない堕落様と沈み様に反し彼女の心のなかは興奮に満ちていた。
「父親は正義の名のもとに悪を罰した」
「罪人は正義の名のもとに悪を犯した」
ならば、正義も悪も全て、同じじゃあないか。
父親の変わり様に彼の正義感に惚れ込んでいた母親は、「正義を見失った男なんて要らない」と幼い弟を連れて別居を言い渡し、離婚が成立。娘の所属が決まるという大事な時期に直轄ではないにしろ上司であり父親が情緒不安定に陥り、功績を挙げたのに嘆いているのだ。父親の上司も「仕事にならない」として解雇を言い渡した。自らの罪悪感と罪人として断罪してしまった彼らへの懺悔で父親は酒に溺れ、死んだ。世間的には泥酔した挙げ句に足を滑らせて噴水に顔を突っ込んでしまい溺死。まさに正義と悪に溺死したのだ。だが、世間的には、だ。
その後、彼女は様々な部署を回り、看守に辿り着く。彼女は多くの正義と悪を目撃し、その都度、正義やら悪やらを唱える者達に噛みついた。噛みついては本質を挫き破壊し侮辱し軽蔑しなぶり心神喪失にまで追い込んで行った。まさにそれが正義であると云わんばかりに彼女は食した、多くの正義と悪を。肉体的に痛め付け、罪状による刑罰で痛め付け。度重なる拷問の合間に飴と鞭を使いこなし、スルリと心に潜り込めば、精神的に痛みつける。老若男女関係なしに正義と悪を値踏みをし、喰らっていく。それは囚人ーー犯罪者に止まらず、同僚の看守や新人の看守の恒例行事と化して行った。彼女が喰らった跡には亡骸となった人間しか残らない。乱暴に人の深い深いところにまで侵食し食い散らかしていく。まさにその姿は『暴食』。
彼女は、正義と悪に魅入られてしまった。両親から受け継いだ正義は、全ての悪を殺そうとし。両親が形作ってしまった悪は、全ての正義を挫こうとし。要するに、彼女にとっては正義も悪も関係ない。ただ、どちらも同じである本質を心行くまで愉しみたいだけ。父親が己に抱いた正義のように、罪悪感のように。罪人が誰かのために行ったように。ただ愉したい。ただ、あの時のように恍惚とした気持ちになりたいだけ。子供が欲しかった玩具をプレゼントされ喜ぶように、好きな人に告白されて両想いになって心が踊るように。それは彼女にとっての感情であり、欲であった。知らない感情を、知らない正義と悪を食する。破壊することが正義であり、罰するのが悪であると云うように。それこそが彼女が『暴食』を使役するはめになった所以。彼女こそが、真のエル帝国の看守である。
「それを教えてくれたのは、愉悦と興奮を教えてくれたのは、正義と悪の心地好さを教えてくれたのはーー私の唯一無二の正義、父親だよ」』
パシンッと乾いた音が響く。鞭が天井にぶつかり、軽く削っていけば粉末が下にいる二人に雨のように降りかかる。フジは片腕で粉末を目に入らないよう防ぎながら脇差を構え、玲緒の攻撃に備えるが……疑問を抱く。いつまでも経っても玲緒からの攻撃がないことに。防いだ腕を動かし視線を玲緒に向ける。フジに向かって振り回されるはずだった鞭が玲緒の手から零れ落ちていく。クリムゾン色の瞳がフジを睨み付けるように凝視していた。
「……は?」
「え……あ゛?」
怪訝な声がフジの口から、混乱の声が玲緒の口から零れる。理由は玲緒の左胸から紅く染まった刃の切っ先が飛び出していたから。そして、倒れていたはずのラスが玲緒を後ろから抱き締めるようにして立っており、口角をチシャ猫のように奇怪に歪めて嗤っていた。
「だから云ったでしょ?そんなんで、勝てるわけないでしょ、って」
次回は来週です!
書きながら正義は悪にもなるし、悪は正義にもなると改めて思いました。




