第五十ノ夢 破壊行為の悪意
一方その頃。もしくは時間を僅かに遡り。
和夜は明石と共にとぐろを巻いた蛇が扉に鎮座している部屋へと戻ってきていた。途中でフジと別れており、生活区域に来るまでの道のりはある意味悲惨だった。何処もかしこも化け物の襲来の爪痕を深々と残しており、何部屋かはもはや使い物にはなりそうにもなかった。だが、同じように何処かに転移したであろう管理者にならどうにか直せるのだろう。管理者の言葉を借りるならば「衣食住は与えられている」のだから。
やはり不思議な力が働いたようで部屋のなかには化け物は侵入しておらず、三人で突破した時のままになっていた。和夜は傷ついた体がなんだか睡眠を欲しているような気がしてベッドに倒れ込んだ。体中に響く鈍い痛みは悪神を使役するはめになっているせいで起こる急激な回復なのか、それとももう忘れたいという和夜の心の奥底から響く訴えなのか。本人である和夜にさえ分からなかった。ベッドに飛び込み、腕を伸ばした先、指先に触れたかつての妹が大好きだった本。その本を手に取って起き上がり、ベッドの縁に腰かける。とちょうど、洗面で顔を洗ってきたのか明石がバスルームの方から出てきた。『色欲』との殺し合いで真っ赤に染まってしまった包帯は捨てたのか、和夜の方へ感覚で歩きながら真っ白な真新しい包帯を目元に巻き付けている。かすっただけだったから良かったものの、貫通でもしていたら……
「(貫通って、何処を?頭で狙うならこめかみとか脳て……)」
ゾッとした。和夜の背筋をもしかすると奪われていたかもしれない恐怖が駆け上がり、あの時の恐怖を思い出させる。片手で本を抱きしめ、バクバクとうるさい心臓を宥めながら和夜はもう一度、明石の無事を確認し安心感を得る。落ち着いた心臓の音を体で感じつつ、改めて和夜が思う。ペースが早い、と。どれくらいの期間を予想していたのかは知らないが、殺し合いが起こるもしくは巻き込まれるペースが早い気がする。早く終わらせたいにしろ、一日くらいーー数十時間でも良いーー休息をくれても良いのに。それともなんだ、『強欲』と戦う前の時間が休息とでも云うのか?
「大丈夫?和夜?」
「嗚呼、明石も大丈夫か?」
「うん!ボクは大丈夫~」
ボフンとベッドのスプリングが明石が和夜の隣に勢いよく座ったことで跳ね上がる。明石の大丈夫そうな笑顔に和夜は嬉しそうに笑い返し、明石が自分でやった際に余ってしまったであろう包帯の余分な部分を見つける。和夜は本を膝に置くといつものように明石の前髪を片手で少しだけ上げ、包帯の余分な部分を巻かれた包帯と包帯の間に捩じ込んだ。明石は後頭部で包帯を結んでいるらしいが、たまにどうしてか片方は結ばれているのに何処からかひょっこりと包帯の端が顔を出す。何処かで巻き間違えたか、それとも包帯を明石が足りなくて付け足した結果か。どちらとも云えたしどちらとも云えない、たまにある気の抜けるやり取りが和夜はなにより愛おしかった。なんだか、すごく安心するのだ。明石の前髪から手を離せば、彼がなにをやっているのか分かっている明石から「ありがと!」と感謝の声がかかる。和夜はその声に再び笑い返し、気になっていたことを問う。
「明石は管理者と知り合い、だな?」
ほぼ決定事項で、結果は分かっている問いかけ。明石は和夜に問いに彼の膝の上に置かれた『華姫様の物語』の表紙を指先でなぞりながら静かに言う。
「うん、知り合い。この馬鹿げた儀式よりもずっとずっと前から」
「ずっと?」
「そう、ずっと」
鸚鵡返しにした和夜に明石は口元に弧を描いて笑う。その笑みが何処か悲しげで和夜は思わず、明石の頭を優しく撫でていた。彼の行動に明石は驚くことなく、心底嬉しそうに優しく笑い、頭を撫でる和夜の手を掴む。すると指先で表紙をなぞるように和夜の手をなぞっていく。それはまるで妖艶さを孕んでいるようで、傷痕を、道筋を辿っているようだった。くすぐったい感触に和夜の脳裏に懐かしい思い出が甦る。嗚呼、懐かしい。妹と、互いの手を繋いで遊んでいた。「一緒だね」「離さないでね」って言って、互いの手を決して離さないでと笑って、何処までも一緒にいた、二人だけのお遊び。愛を与え与えられていた双子の兄妹の、単なるお遊び。その日常があんなにも容易く奪われるとは思わなかった。だからこそ、懐かしい。そして、妹の時と同じように……同じものを感じない。あるのは、悪神という欲が与える強き意思。
「和夜ー」
「ん?なに?」
和夜の手で遊んでいた明石はふいに彼に声をかけ、
「嫉妬した?」
微笑んだ。口元のみの笑みは知っていると言わんばかりの表情で、まるで狐のよう。明石の、相棒の、親友の、片割れの、悪神の問いに和夜は躊躇なく頷いた。
「嗚呼」
蜂蜜色の瞳が、熱せられた鉄のようにとろけるのを明石だけが知っている。明石は和夜の答えに満足したようで、彼の手から手を離す。この気心の知れた空間と存在がなんとも心地良い。だからこそ、知っているはずの事実に知らないふりをして蓋をする。
「(ま、今云うことでもない)」
明石が女だと云うことなんて。明石は見抜かれていることに気づいてさえもいない。知っているのは、和夜だけ。
和夜が内心頷けば、なにに納得したのか明石は僅かに首を傾げる。そして、唐突に告げる。
「ボクは正義だと思って行った、それが罪だと云われれば悪になる。正義も悪もないんだよ」
それが明石が犯した罪だということに和夜は間を空けて気づいた。管理者に言った言葉の意味。管理者がやったことは管理者自身にしてみれば正義で、あの二人にしてみれば悪。反対もしかり。そして、自分達はその両方だった。
「話しても良いのか?」
不安そうに、心配そうに和夜は明石に問う。かつて犯し、そうして封印された過去を自主的とは言え、話そうとしている明石に和夜は多少戸惑った。云いたくなさそうであった以前ーーといっても良いのかーーとは違い、今の明石は何処か決意していた。まるで、悪神のことを教えてくれたあの時のように。
「うん。管理者も情緒不安定っぽいし、なんかペース早いから、隠し事?っていうか話しておきたいなーって!」
「管理者のこと嫌ってるなぁ」
「ハハッ!うん、そうだね~うん、あんまし好きじゃないかな管理者。今は」
昔を懐かしむでもなく、ただ淡々という明石に和夜は膝の上に置かれた本をベッドに放るように移動させる。知り合いと和夜に見破られたというか知られたおかげか、さほど緊張感はない。
「無理は」
「しないから安心してっ!」
子供を宥めるように、ちょっと怒って和夜が言えば「大丈夫だから!」と明石が不貞腐れて言う。暗い雰囲気は一気に消え去ってしまっていて話しやすそうな雰囲気だ。サイドテーブルに置かれた水を注いだ新しいコップを横目に明石は大きく深呼吸をする。
「今さらだけど、ボクが昔のこと言っても……」
「大丈夫。明石は俺の守護霊みたいなものでもあるんだから」
不安そうな明石に和夜が言う。悪神と殺し合いのことを言われた時も最初は怖かった。けれど、信じたかったし信じた。なによりずっと側にいた明石だったから。だから、もうなにを云われようとも大丈夫。まぁ多分、驚きはするだろうけどね?和夜の力強い声色に明石はホッと胸を撫で下ろし……そして、語る。自らの過ちとは云えない大罪に満ちた正義を。
「ボクね、和夜が生まれた大和国が今の大和国になる前の国、大和帝国だった頃の結構高貴なとこの子供だったんだよ」
「大和帝国……数百年前も昔だなぁ」
「むふふ、そうだよ」
大和国と大和帝国、名称は似ているが中身は全然違う。簡潔に言えば、大和帝国の良い部分のみを切り取ったのが大和国だ。同じ文化を持ちながら違う思想を持ち些細なことが原因で勃発した国同士の争いで出来たのが現在の大和国で、引き継がれたのが『四華武』だと言われている。争いの原因も中身も大和国出身なら多少は知っている。ある意味、和夜と明石は同じ国の出身とも言える。その事実が和夜はなんだかくすぐったかった。また、明石が数百年もそのままであることも実感してしまう。
「一人っ子だったから、一応そこの跡取りだったんだけど、事情があってボクは家から出られない。ってなると血族の繁栄のためにはボクと結婚する人が家に入ってもらわなくちゃいけない。でも、もしかするとってあるでしょ?」
「つまり、養子を取ったわけか」
「そゆこと♪」
今現在の、和夜の父親が碧藤家当主であった時代はなかったが以前は頻繁にあったらしい、戦争の影響で。
「ボクはその養子の人に成人までに望んだ婚約者が出来なければ、政略結婚する予定だったんだ。養子の人のこと、ボクは大好きだった。だからボクと結婚してくれるって信じて疑わなかったし、本当の家族になれるって信じてた。でも……そう思ってるのはボクだけだった」
遠い遠い懐かしい思い出から絶望が溢れ出る。蕾が花を咲かす一瞬の、小さな綻びが黒い闇を溢れ出させる。
「養子の人はボクのこと嫌いだったみたい。でもボクは知らなかった。養子の人の成人の日、婚約者は出来なかった。だから、ボクは養子の人と一緒になれるんだって喜んだ。その時、『他の人が君の瞳に映るのは耐えられない』って言われて、ボクは喜んで目を差し出した」
ソッと包帯に手を触れる明石。その下に隠された目は二度と開くことはないのだろう、死人のように。その目にあふれる養子の人への愛情をもはや知る者はいない。
「でね、目が見えなくなっちゃったボクを置いて養子の人は成人の日に偶然出来た婚約者の人と出て行っちゃった……裏切られたと思ったし、なにより嫉妬した、妬んだ。ボクを愛してるって言ったのになんでそっちに行くの?なんでみんな喜んでるの?なんで、なんで、なんでって……それで気づいたんだ。養子の人の婚約者も、ボクじゃなくてそっちを選ぶように仕向けた両親も全部なくなれば、わたしを見てくれる……だから殺した」
「!」
途端に明石から放たれる殺気に和夜は思わず背筋を伸ばした。 全てを妬み恨む明石の殺意は、和夜が全てを失った過去と似ていた。全てを拒絶し、いつか垂れてくる蜘蛛の糸にすがるまで閉じ籠るか。それとも自ら蜘蛛の糸を掴みに奈落の底より這い出るか。どちらも希望であって絶望であって、両方が幸せを運んでくるはずはない。和夜は前者を、明石は後者を選んだ。ただそれだけの違い。
「そうしたら養子の人に怒られちゃったんだよねー多分殺されたのかな?で、封印されて悪神・『嫉妬』になった。だからボクにとってはその行いは大好きだった養子への正当な愛情であって正義だった。それを悪と見なされてもボクにとっては正義。世界にとっての罪でも、ね。これがボクの……ボクが悪神・『嫉妬』になった過去のこと」
にっこりと何処までも無邪気な笑みを浮かべて明石はそう締め括った。その笑みは何処か子供っぽくもあり妖艶でもあり、悪意に満ちていた。
ちょっくら遅くなりました!でも出す!そして中性的と書くと高確率で女性。いつものこと。……ウチは主人公達を悲惨な目に合わせんと気が済まんのか(いつものこと)
次回も来週です!




