第四十九ノ夢 破壊行為の正当性
玲緒は目の前に必然的に現れた光景に、獣のように瞳を光らせ、歪めた。ラスの破けた手袋の隙間から覗く人ではあり得ないほどに真っ白な肌。まるで病人のような、血の気がなく生気を感じさせない肌。白い手袋から現れたさらに白い肌。そしてその肌に浮かぶ妙な深い線。その線は関節を補うようにして刻まれており、丸い形をしている。そう、関節が人形のように球体になっているのだ。
「……おやぁ?」
突然もたらされた情報に玲緒が思わず声を上げれば、ラスは紅い血のような瞳にほんの僅かな動揺の色を見せる。そうして、玲緒から一旦距離を取ると破け、見るも無惨な姿になった右腕の手袋を一瞥する。と、左手でビリッと破けた場所から布を引きちぎる。手袋によって隠されていたラスの肌は、やはり恐らく白く、そして関節には全て大小様々な球体が使われ、彼女が人間ではないことを物語る。ただの白い布と化した元手袋をラスは無表情で足元に捨て、自らの傍らにいつの間にか来たアダムに向けて頭を下げる。
「申し訳ありません、我が主」
「ううん、良いよラス。別に、そこまで重要じゃないから」
アダムの口調は従者に呆れているというよりは、当然と言わんばかりの口調だった。なにが当然なのか、玲緒にはよく分からないが。分からないが玲緒にわかることはたった一つ。床に垂れ落ちた鞭を振り上げ、空に舞い上げつつ微笑する。
「人形、だったとはねぇ」
そう、ラスの正体は人形ということ。人間と同じサイズの人形はこの世界に存在しているが、それはあくまで鑑賞用の人形であり、貴族の道楽に消える玩具だ。その人形が人に従い、声を発し、自らの意思を持って動いている。関節球体を目にしなければ、誰でもラスを人間と見間違えるだろう。化け物に侵略された世界に人の言葉を話す人形も、命令に従う人形も、意思を持つ人形も存在しない。意思を失った人間ならいるが、玲緒の目の前にいるラスのような人形は存在しないのだ。そう、まるで命を吹き込んだような人形なんて。何処ぞの研究者が人形に命を吹き込む秘術ともいうべき奇跡を成功させたならば別だが、アダムははっきり言って研究者ではない。パッと見は何処かのご子息様。優雅な佇まいと何処までも見通す観察眼、そしてその身より発せられる威圧感。『強欲』と同じかそれ以上か。王族ゆえの威圧感というカリスマ性。『怠惰』を思わせる神をも妨げ貶すであろう命の起源。まさしく、玲緒の求める正義と悪のように見えた。人為的な正義であり悪。アダムの内情など知らない玲緒は恍惚と『暴食』の所以を顔中に吐き出していた。美しくも醜い、矛盾をしたためた笑顔として。
「だが、人形にしては出来すぎているようだけれど?人形が人間のように生きているだなんて」
クスリ、とアダムは玲緒の言葉に微笑を漏らす。いや、それは微笑とは程遠い笑っていない笑み。ゾワリと玲緒の背筋を駆け上がったのは悪寒か殺気か。
「ラスを、僕の従者をそこらの人形と一緒にしないでよ。神に背く行為だなんて言い訳あるわけないでしょ?神なんてまやかしだ。その証拠の悪神」
自らの胸元に手を当て、優しく妖艶に微笑むアダムに一瞬玲緒は惚けてしまう。中性的な表情がまるで恋する乙女のように綻べば、それは絶世の美女。ハッと我に返り、バシンッと鞭を床に叩きつけると玲緒は問う。
「はてさて、だがしかし、それでも私は貴殿を喰らおうとしよう。私の、そう私の『暴食』という悪神のために」
笑う玲緒にアダムも笑い返し、いまだに頭を下げるラスに向かって片手を差し伸べる。ラスはその手を割れ物を扱うように慎重に片手で掴み、甲に口付けを落とした。主に忠誠を誓い直している、玲緒にはそのように見えたが二人にとっては違う意味を持っていた。アダムはラスが自分の甲に口付けしたのを横目にローズ色の瞳に玲緒を映す。
「それで良いんじゃない?僕も勝手にするからね。ねぇラス」
「はい、我が主」
クスクス、クスクスとまるで玲緒を嘲笑うように微笑む二人。二色の瞳が玲緒を捉える、肉食獣が獲物を狙う時のように鋭い眼差しで。
「どうせ死んじゃうんだし、教えても良いか。改めまして『暴食』。僕はアダム。悪神・『憤怒』を使役しているしがない人形師」
「改めまして永眠なさってください。ワタシはラス。我が主の最高傑作にして同類」
「以後、どうぞ勝手に」
「死んでくださいまし」
まるで魂を分けた姉弟のように、まるで示し合わせていたかのように二人の声が重なる。そこにいるのは神の領域に足を踏み込んだ悪神と、異端児が作り上げた異端児。嗚呼、悲しきかな。その事実を玲緒は黙認し、誤解している。だって、そうでしょう?此処にいるのは、悪神の生け贄であって儀式の生け贄。人形なんて、存在しないのに。
クスリと内心微笑んだのは誰だったか。玲緒は大きく跳躍し、空中を滑りながら鞭を大きく振るう。バシンッという破裂音を響かせながら、床が先程よりも大きく抉れ出す。悪神の能力か、それとも玲緒の馬鹿力か。アダムは容易に分かった。ラスがアダムの手を引き、後方に下がらせ、二人で円舞曲を踊っているかのようにステップを踏む。鞭の攻撃は衝撃波となって二人を襲うが、手前で絶ち消えてしまう。しかし、玲緒は振り切った鞭を勢いよく振り上げ、ラスの素肌が晒された右腕を狙う。彼女の思惑に気づいたラスはアダムを自らの背後へ誘導させながら右腕で鞭を防いで見せる。途端に反響する甲高い音とラスの肌に刻まれた浅い鞭ではない引っ掻き傷に彼女は「なるほど」と主へ情報を伝える。
「鞭に削られた金属を埋め込んでいるようです。そのせいでさらなる殺傷力が鞭に付与されております、我が主」
右腕の浅い傷を背後のアダムに見えるようにラスが回せば、そこに彼がいるものだと思い込み、玲緒は鞭をラスの右腕に巻き付けながら自らの方へ引っ張りつつ自分はその脇を通り抜ける。だが、そこにアダムはいなかった。騙された、と玲緒が思った時にはもう遅い。無防備な首筋に手刀が叩き落とされた。首筋に響く鈍い音に意識が混濁していくーーはずだったが、間一髪で一撃をかわした玲緒は鞭を振り払い、距離を取る。ラスの腕から解き放たれた鞭が大きくしなり、ラスの頬に傷をつけようともがく。些細な抵抗をラスは鼻で笑い、同時にいつの間にか玲緒の背後に回り込んでいたアダムが玲緒に攻め込む。同時に回された足をどうにかしゃがんでかわした玲緒だったが、ラスのスカートがふんわりと広がり視界を塞ぐ。どうにか視界からスカートをどかそうとするが、動けば自分の場所が二人に確実に伝わってしまう。すると、シュッと玲緒の耳元をなにかが通りすぎて行った。そうして左頬と左側の首筋に感じる生暖かい感触に玲緒は目を大きく見開いた。スカートで視界を塞いだと思ったらそれは意図的であったのかと。玲緒はクスリと口角を上げて微笑み、鞭を自らの足元で弾くように叩きつける。バシンッと破裂音と共に衝撃波を利用して玲緒は高く跳躍する。頭上高く舞い上がった彼女の目に刃物ーー恐らく割れたガラスの破片だろうーーを逆手持ちにしたアダムが入った。多分だが、ラスが刃物で攻撃し、その直線上にいたアダムが刃物をキャッチしたと言ったところだろう。だからこそ、玲緒は鞭を振るい、アダムの手から刃物を叩き落とす。手の甲に猫に引っ掻かれたような傷がつき、鋭い痛さにアダムが刃物を手放す。そして二人して玲緒が着地するであろう場所から飛び退けば、タイミングを図ったように玲緒が着地し、二人の足元を狙って鞭を振るう。さらなる殺傷力を得た鞭が床を縦横無尽に抉っていく。そのさまはまるで床をキャンパスに見立てて巨大な絵を描いているよう。玲緒の鞭捌きから逃れるようにアダムとラスは後方に、壁際に追い詰められていく。あんな殺伐とした啖呵を切っておいて、遠距離と近距離では攻撃範囲の分が悪いことに今さら気づいてももう遅いとばかりに玲緒は二人を嘲笑する。けれど、それは二人も同じこと。
「嗚呼、嗚呼、嗚呼!もっと喰いついて来てくれないと愉しくないだろう?それに、いつまで高みの見物をしているんだい?」
クスクスと玲緒が二人を嘲笑う。鞭の攻撃範囲のせいで攻撃できないアダムとラス。玲緒の嘲笑にラスは彼女の前で初めて笑ってみせると、振られた鞭を掴んだ。ギリ、ギリッと鞭に編み込まれた金属が刃となってラスの右手を傷つけていくが、彼女は微笑んだまま身動きひとつしない。引いても押しても動かない。まさに異様で危険。けれど、玲緒は確信していた。勝てると。二体一でも、鞭であるからこそ勝てる、と。楽観視して、食事の準備をしていた。だから
「そんなんで勝てるわけないでしょ?」
目の前と、背後の異変にも気づかない。
ラスの正体は、そう、そうなのです。設定考えてたら思い付いたんです!
次回は多分来週です。




