第四十八ノ夢 破壊行為の愉悦
アダムとラスに向かって跳躍してくる玲緒にラスが彼の前に躍り出る。するとアダムは自らの前に立ったラスに目配せし、ラスもまた顔だけで主人を振り返り、彼の意図を読み取る。そして
「承知致しました、我が主」
と、敵前にも関わらず、頭を下げた。玲緒の鞭が無情にもラスの首筋に巻き付こうと大きく振りかぶられる。玲緒もまたラスの異常とも取れる行動に内心嘲笑していた。主だなんだと言う前に敵ーー自分が決裂させたのでそうだろうーーに頭を下げるだなんて、従者失格だろう?クスクスと笑う玲緒の鞭がラスの首筋に当たった。その瞬間、玲緒は下から殴られたかのように上空へと弾き飛ばされていた。結構高いはずの天井にまで吹っ飛ばされてしまい、玲緒は慌てて空中で体勢を整えるとその場で上下に回転し、天井に足をつける。ダンッと逆さまになった状態で天井に足をつけ、力を込めて跳躍。床に着地する。着地した勢いで床に飛び散っていた紅茶が水面を揺らし、水飛沫をあげる。玲緒は不思議そうに鞭を手元に引き寄せる。一体なにが起きた?ラスはなにも動いていなかったように思うし、それはアダムも同じだ。なのに、鞭もしくは体に下から殴られたような衝撃があった。そこから分かることは多少しかない。ニヤリと笑いながら玲緒が顔をあげると頭を上げたラスが前で両手を優雅に揃えて立っていた。後ろにはやはりアダムがおり、玲緒に向けて憤慨と表現するべきか、それとも彼女と似た愉悦ーー勝利への欲望と表現するべきか分からない、ごちゃ混ぜになった視線を向けている。
「……さすが、と言ったところかな。武器さえ気づかなかった。仕掛けをぜひとも暴いてみたいものだ」
「簡単には教え出来ません。我が主ではありませんので」
赤いガラスのように無表情な瞳が歪む。玲緒に挑発してくる。やれるもんならやってみろ、と。そんなラスの挑発をアダムは止めることはしない。嗚呼、だってこれさえも計画だから。アダムの推察通りなら、玲緒は……
アダムは自らの推察にクスリと笑みをこぼし、ラスの背後から顔を覗かせる。するとラスはアダムを庇うように片腕を伸ばす。
「一つ、聞かせてくれる?」
「嗚呼、良いとも。その答えで貴殿の正義と悪が確定しても私は喰うがね?」
「どうぞ?勝てるとは思えないけどね」
アダムの明らかな敵意と悪意の挑発に玲緒の口から「あ゛?」と低い声が漏れる。苛ついているのは見るからに明らかだった。しかし、玲緒はそんな自分をどうにか落ち着かせようと鞭の切っ先を指でなぞり、冷静さを取り戻す。伊達に何年も囚人の相手をしているわけでは、精神的にも肉体的にも、本人の本質であり魂までをも喰らうだけはある。まさに『暴食』。悪神がいるのはモノかそれとも玲緒自身か。
「『強欲』と結託してたはずだよね?彼女はある意味、君の食糧庫とでも云えるはず。なにせ勝手に犯罪者を見繕ってくれるんだからね。エル帝国は犯罪者には厳しいけれど冤罪にも厳しい。ラディアは冤罪を生んで強欲に求めた。けれど、君は『暴食』で喰らいたいんでしょ?最適な関係なのに」
どうして?とアダムは笑みを浮かべて問う。彼は気づいていた。『強欲』が広間に現れない時点で結託は破談していたことに、彼女が死んだということも『色欲』が言うよりも先に気づいていた。もちろん『怠惰』のことも気づいていたが、そこは割愛だ。今頃、どちらかが死んでいることだろう。『傲慢』に関しては『嫉妬』に従いそうであるため、推測は難しい。アダムの問いかけに玲緒はクスリと笑い、鞭に愛おしげに頬擦りした。
「喰えないからさ」
「え?」
「喰えないから、単純な答えだよ。姫は共犯者の意味を間違えた。共に犯罪を犯す者ではなく、私にのみ罪を犯させようとした。これだけで立派な決裂だろう?」
ごくごく単純な答え。玲緒にとっては喰えるかどうかが第一条件なだけ。ただそれだけの答えにラスは口元を僅かにひきつらせ、アダムはキョトンとしたあと、可笑しそうに腹を抱えて笑った。
「嗚呼、嗚呼!確かに!君にとっては重要なことだったのかもねぇ!そのお陰で減ったと思えば良いのかも?」
「ふふ、けれど姫の、『強欲』を喰らうことは出来なかったからねぇ」
アダムの何処か子供らしい、無邪気な笑みに玲緒は微笑を浮かべる。そして、バシンッと鞭を床に叩きつける。凄まじい勢いの衝撃に、床からの風圧がアダムとラスの前髪を揺らして遊ぶ。
「彼女にとっての正義も悪も、その本質も、今まで以上の美味な食事だったのだろうけれど。逃げられてしまった……いや、逃がしたのだっけ?嗚呼、腹が減って分からないよ」
クリムゾン色の瞳が、赤いラスの瞳と交差する。同じ赤系の色なのにこんなにも印象も明るさも感情も違う。玲緒の殺気が二人をまるで毛布で包み込むように覆う。殺気という殺気は二人を喰らいたくてたまらないと玲緒の心情を表す。
「決裂の理由はそういうことなんだね」
アダムが首を傾げて問えば、玲緒は同意を示すように頷いた。そして、鞭を振り上げる。来る、誰もがそう思った。だからこそ、ラスはアダムを守るために足元に転がっていたテーブルに目を付けた。表面のガラスはひび割れており、破片が床に砕け散っている。空中で鞭がしなる。バッとラスはスカートを気にしながらも片足を振り上げ、テーブルに足をぶつけると勢いよく上へと飛ばし、そうして真正面に向けて蹴る。途端に衝突し合う鞭とテーブル。ピシッとテーブルには亀裂が入り、鞭の攻撃に耐えきれず猫足の部分だけを残して四散する。四散した破片がアダムとラスを捺そうがそれよりも早くラスはアダムの手を掴み、後退。スカートに飛び散った破片を手で払う。玲緒も鞭で破片をいなし、二人を見比べる。従者が主人を甲斐甲斐しく守っている。端から見ればそう捉えることが出来るだろう。けれど此処は殺し合いで恐らく一番強いのは『憤怒』だ。静かに、そう静かに殺気と敵意を漂わせる二人に玲緒は愉快げに身震いする。正義とも悪とも分からない楽しい愉しいお食事の時間だ。
「嗚呼、愉しいねぇ」
ニタリと玲緒は笑う。アダムはチラリと出入口を一瞥したが玲緒が逃がしてくれるはずがないことを知っている。だって、標的は絞られたから。嗚呼、それさえも好都合。ついでに、そうついでに別の悪神が釣れれば、大成功だ。
「ラス、相手してあげて。僕も殺るから」
「はい、我が主。ではーー開始致します」
玲緒が腕を振り上げながら駆け出すのと、ラスがスカートの裾を可愛らしくそれでいて優雅にふんわりと白い手袋がされた両手で摘まむ。その瞬間、スカートの裾から刃が玲緒に向かって放たれる。それこそ風を切るように素早く、玲緒の急所を狙う刃物の群れに彼女は臆することなく鞭で応戦する。刃物では玲緒と相性が悪いとラスは瞬時に判断し、スカートを翻しながら一歩足を引く。ラスと入れ違いにアダムが一蹴りで前に躍り出ると、舞うように振り回される鞭をかわしながら玲緒の背後に回り込む。そしてアダムは玲緒の頭部目掛けて跳躍し、回し蹴りを放つ。が、その一撃は玲緒が半身を傾けたことで回避されてしまい、逆に着地したアダムの左手首に鞭を絡みつけ動けなくする。鞭を持った腕を玲緒が勢い上げれば、アダムの体も左手首が引っ張られて無理矢理立ち上がらせるような形になる。ミシリと痛む左手首にアダムは顔をしかめつつ、その場で一回転し、玲緒に再び回し蹴りを放つ。すると玲緒は攻撃を避けようと動き、アダムの拘束が勝手に緩んでくれる。空中を滑るようにアダムは降下し、玲緒の懐に迫れば、彼女の背後から切り裂く音が響く。挟み撃ち、そう玲緒は考え……違うと首を内心振った。背後の音はフェイクだ、何度も何度も様々な刃音を反響してはいたが聞いてきた玲緒だ。耳は相当肥えているし、もっともな理由としては背後にラスの気配がなかった。嗚呼、ならばフェイクしかあり得ないでしょう?玲緒はすかさずその場にしゃがみこみ、アダムの蹴りをかわすと低い体勢のまま横へずれる。そして、自らが先程いた場所の死角になる方向にラスが手袋に覆われた手を挙げていることを横目に確認する。とその場で踊るように、滑るようにラスの背後に回り込む。攻撃をせず、フェイクの準備に忙しかったであろうラスは背後に回り込んできた玲緒を表情を変えることなく一瞥し、クルリと振り返った。アダムを攻撃すると思ったのか、それとも自ら対処する気になったのか。片腕を振り上げたまま、玲緒を振り返り、彼女と対峙する。鞭を振り上げていた玲緒と振り上げていたラスの腕が同時に振り下ろされた。
「……おやぁ?」
目の前に必然的に現れた光景に、玲緒が獣のように瞳を歪めた。それは、手袋が破けて現れた真っ白な関節が人形のように球体になっている肌だった。
アダムとラスの正体がようやっと来ますよぉおお!!次回も来週!ウチの『暴食』のイメージがどうあがいても喰うになる()




